2017年7月12日水曜日

香港映画「十年」~香港返還20年におもう「10年」。


【お仕事報告】
台湾の日本語オンラインマガジン『Taisuki.cafe』 にて、香港映画「十年」について執筆しました。台湾では去年公開され話題となったこの作品、返還20年目を迎えたこの夏、日本でも7月22日より公開されるそうです。


香港映画「十年」~香港返還20年におもう「10年」。

https://taisuki.cafe.network/sono/2219

2017年7月9日日曜日

麗しき故郷、台湾——湾生画家・立石鉄臣を巡って



多言語サイト『nippon.com』にて、湾生の画家・立石鉄臣についての記事を執筆しました。文中に取り上げたドキュメンタリー映画『灣生畫家ー立石鐵臣』は、現在開催中の台北電影節にもノミネートされています。上映は7/13に華山光點にて。

麗しき故郷、台湾——湾生画家・立石鉄臣を巡って
http://www.nippon.com/ja/column/g00421/

2017年7月8日土曜日

【磯永吉】コメとタネをめぐる、台湾と山口のはなし。






水にはさまれて青草

梅雨雲の霽(は)れまいとする山なみふるさと  

(山頭火)

県庁農業振興課様のお計らいで、磯永吉・著『蓬莱米談話』(山口農業試験場/雨読会発行/昭和・39)を農業試験場よりお借りすることができました。
著者の磯永吉博士(1886~1972)は、日本統治時代に農業技師・末永仁と共に「蓬莱米」(台中65号)というお米を開発し「台湾蓬莱米の父」と呼ばれる農学者。 http://www.taipeinavi.com/special/5041312
ぱさぱさと細長いインディカ米だった台湾のお米と、台湾に比較的近い九州などで生産されていたモチモチで丸いジャポニカ米の一品種「中村種」を1000種以上かけあわせ、亜熱帯・熱帯である台湾の気候風土にあわせ改良された二期作のお米「蓬莱米」は、台東の「池上米」など多くのブランドを産み、いまも日々台湾の食卓へと上っています。
今回お借りした『蓬莱米談話』のなかの最後に収録されている「蓬莱米裏話」では、台湾の各地の農家と深く協力し合いながら研究をつづけた様子や、当時高品質の蓬莱米を作っていた新竹の農家で作られた米が一時は日本・東京のお寿司屋さんなどに寿司米として輸出された際、それが台湾産のお米と気づいた客はひとりもいなかったことなどが記されていて興味深い。
磯博士は戦後も、陳儀はじめ中華民国政府の強い要望をうけて台湾に留用・研究をつづけ、1957年に帰国。その帰国先に山口をえらびました(その後は横浜へ移住)。中華民国政府はその功績に感謝するため、毎年20俵もの蓬莱米を磯博士が亡くなるまで送り続けたといいます。
さて、帰国先に山口を選んだ磯博士は、防府市に暮らしながら山口農業試験場の顧問を四年間つとめましたが、そこで山口と台湾との何とも不思議な縁がつながります。台湾大学の磯永吉学会のレポートによると、蓬莱米の元となった品種「中村」は江戸からあった品種「都」系に属しており、その都系で当時あった品種は山口小鯖で伊藤音一という人のつくった「穀良都(こくりょうみやこ)」という品種である、つまり山口は「蓬莱米」の故郷にあたるというのでした。
果たして磯博士はそのことを知って帰国先に山口を選んだのかどうか不明ですが、かつて磯博士が眺めていたこの山口の田んぼで育っている稲たちが台湾の「蓬莱米」の兄弟のような存在だというのは、なんとも不思議な気がします。
この磯永吉博士による『蓬莱米談話』の半分以上は品種改良の複雑な過程や成果などバイオ的な専門分野の論文で占められており、門外漢のわたしにはほぼチンプンカンプンなのですが、そこで急に心配になったのが、ついこの前、日本の国会衆議院で可決された「種子法廃止法案」。
タネや品種改良の話って一般人には難しいし、毎日たべているお米がどういう風に作られてきたかなんて、実はこうして蓬莱米について調べるまで考えたこともありませんでした。
「種子法廃止法案」とは、平たくいえば「日本の基本食料である米・大豆・麦の種を国が守ることを放棄するもの」、つまり米などをはじめとした作物のタネの研究・供給についてもう国はサポートしませんということ。
それによってまず心配されるのが、現場である農家が培ってきたノウハウや体制が混乱することだそうですが、さらに心配なのは将来的に「簡単で育てやすい外国のタネに、現在ある国産種が駆逐されてしまう」こと。
先人の努力の積み重ねでできた美味しい日本のお米の来し方に思いをはせつつ、梅雨にそぼぬれて瑞々しい青田をながめる。
もっともっと「タネとコメのはなし」を知りたいと思いました。