2017年12月9日土曜日

【展覧会情報】Yoga 日本近代洋画大展@北師美術館 ~2018/1/7


台湾をはじめ、朝鮮や満州などの「外地」の美術の流れを抜きにして、日本の近代美術史を語ることはできない。しかし、この70年間に日本近代美術史で台湾の位置付けはいまだになされていない。理由の1つは、引き揚げ時の荷物制限から、戦前の台湾で評価された作品が残されていないことが挙げられる。しかしもう1つ、画壇という名の日本人社会が、「湾生」という存在、ひいては台湾から目を背け続けたことに、原因があるのではないかと考えた。
(麗しき故郷、台湾——湾生画家・立石鉄臣を巡って/栖来ひかり)
https://www.nippon.com/ja/column/g00421/


これは、以前ニッポン・ドット・コムで書かせていただいた立石鉄臣についての論考ですが、「台湾と日本近代美術」という事柄について、とても大きな意味のある展覧会が、いま北師美術館(台北教育大学付設の美術館)で行われています。展覧会タイトルは「Yoga 日本近代洋画大展」。

2014年に東京芸大の大学美術館で行われた「台湾近代美術:留学生たちの青春群像」に引き続き、北師美術館と東京芸大大学美術館がタッグを組んで行われている展覧会ですが、この展覧会すごい!
おそらく日本の近代美術絵画がこんなにもまとめて台湾で観られることは、初めてなのではないでしょうか。

陳澄波ら台湾の画家たちの師匠にあたる梅原龍三郎や藤島武二、黒田清輝、安井曾太郎などの作品を中心に、台湾美術教育に大きな貢献をした石川欽一郎の90年ぶりに発見された幻の油絵作品、日本人に近年人気のある藤田嗣治(レオナルドフジタ)など、90点を越える作品が、日本各地の美術館やコレクターの元から一堂に会し、とっても見応えがあります。

もともと日本の近代美術絵画とは、西洋で生まれた「洋画」の上で、いかにして西洋の模倣を越えた「日本人」としてのアイデンティティーを確立するかという闘いでもありました。例えば今回の展覧会ポスターにも使われた和田栄作の「野遊」は、イタリアルネサンスのボティッチェリ「プリマヴェーラ」やルノワールなどを彷彿とさせながら、日本飛鳥時代の服装や藤の花など日本的な要素を入れて換骨奪胎されています。

そうした日本人画家の帰属意識は、教え子である台湾人の作家たちに同じく「日本人ではない、台湾人としての表現」を考えさせることに繋がり、植民地下での台湾人アイデンティティーを芽生えさせ、台湾人美術家による台陽美術協会の設立につながって行きます。
また梅原に「紫禁城シリーズ」などを描かせたひとつの「大東亜アイデンティティー」を考える試みは、同時に日本が東アジアを侵略した帝国主義の裏返しでもあったといえるかもしれません。

日本の近代美術を通して展開された「西洋ー日本ー台湾ー東アジア」についての試行錯誤。それを俯瞰してみることの出来る展覧会が、台湾で行われるということに非常な意義深さを感じます。

会期は1月17日まで。
ぜひとも、在台の皆さんには足を運んでいただきたい展覧会です。

https://montue2011.wixsite.com/yoga

2017年11月26日日曜日

【第54回金馬奨雑感】

トロフィーも金色の馬なので単なる賞の名前と思っているひとが多い(私も以前ずっとそう思っていた)のだけれど、そもそも「金馬奨」は設立当時に中国との両岸冷戦下で最前線だった「金門」「馬祖」の一文字ずつを取って、中国に影響されず、かつ台湾語全盛の台湾映画界の中で「国語」(北京官話/台湾華語)で作る映画人を応援する賞として設立され、また蒋介石の誕生日祝いを兼ねて毎年この時期に開催されるようになった。
後に「北京官話」のみならず広東語も加わり、香港映画全盛期(台湾映画不毛期)には香港映画で盛り上がった金馬。
また両岸関係の変化に伴って中国映画にも門戸が開かれ、2011年には「日本語」「セデック語」が主な言語の「セデック・バレ」が多くの賞を受賞するなど受賞作品の多様化が進むなか、近年は巨大な中国資本・マーケットへの距離の取り方と台湾映画界の独立性、および政治的な不公平感がぬぐいきれず、受賞作品の選定のされ方について色んな問題提議がされており、そういう意味で金馬奨を考える事はまさに「台湾とはなにか(by・野嶋剛氏)」を考えることそのもので、それが金馬奨を観る面白さともいえる。
去年は多くの賞を中国・香港の作品が獲り、台湾映画ファンとしてはやけ酒を煽りたくなるような結果でしたが、今年は台湾映画のレベルが全体的に高かったので、かなり楽しみにしていた第54回金馬奨。
その予想を裏切らず、鐘孟宏プロデュース「大仏プラス」、「GF*BF」の楊雅喆監督「血観音」などのド本土系が各賞をかっさらい感動でボロ泣き。特に、日本でも話題となった「父の初七日」を撮った王育麟監督の「阿莉芙」で、トランスセクシャルの「シェリー」を演じた名脇役俳優・陳竹昇(大仏プラスではメインキャスト)が助演男優賞を受賞したときは声を上げて座席から飛び上がるほど嬉しかった!そして林秀美はじめ多くの映画人がその陳竹昇の受賞に涙しているのにも、またもらい泣き。そんな現場に幸運にも居合わせられ、ほんと有難く思いました。
映画音楽賞では、台湾客家ロックの第一人者・林生祥(交工楽隊)の「大仏プラス」の主題歌が受賞したのにも、また感じるものがあり。
この篇でも書いたように、
http://www.nippon.com/ja/column/g00440/
これからの台湾エンタメの鍵を握るのは「本土的多様化」というのはかなりいい線行ってるかと思います。そして今年の金馬の結果もその傾向に呼応するように(審査員の呉念真の影響も大きいのかも知れない)、より台湾本土指向に対して積極的に評価する方向に向いている気がしました。作品賞を受賞した楊雅喆監督が掲げた「没有人是局外人」の旗もよかったし、受賞者が「あえて」台湾語・広東語を喋る場面も多くみられたのも印象的。
本来、台湾を全面に押し出すキャラだった陳玉勲監督や魏徳聖監督の今年の作品(「健忘村」「52HRZ」)の興行成績が振るわなかったのは、その辺り(観客の期待する本土テイストに欠ける)に原因があると思っているのだけど、昨日公開されたばかりの楊雅喆監督「血観音」(今年度の作品賞はじめ主演女優賞・助演女優賞)を近いうちに観に行って、いろいろまた考えてみたいと思います。台湾にお住まいの方は是非とも「血観音」観に行ってみてください、とっても面白そうなので。
それにしても台湾映画って、ほんっとーにいいものですね。それでは、さよなら、さよなら、さよなら。

2017年11月16日木曜日

【おしごと報告】『な~るほど・ザ・台湾』の11月号

『な~るほど・ザ・台湾』の11月号、隔月で担当させてもらっている連載コラム「台湾の街角」にて、日本の雑誌にもよく登場し漢方薬や乾物の問屋街が立ち並ぶ「迪化街」について書いています。
迪化街の切り取り方といえば、印象的なのは日本時代の画家の郭雪湖が描き映画「大稲埕」で有名になった絵画作品「南街殷賑」ですが、今回はちょっと目線を変えて、迪化街を上から眺められるスポットについて紹介しています。テーマは
「大稲埕、上からみるか?横からみるか?」
表紙は映画「我的少女時代」で大ブレイクしたビビアン・ソン。見かけたら、手に取っていただければ嬉しいです!

2017年10月29日日曜日

【Nippon.com】コラムで、西日本新聞社の中川博之台北支局長の追悼記事を執筆しました

➤日本語版


➤繁体字版


為一位愛台灣的日本朋友而我寫了一篇哀悼文,請多多指教。
まことに僭越ながら、先日お亡くなりになった西日本新聞社・中川博之台北支局長の追悼記事を執筆させていただきました。
もっと中川さんとの付き合いの長い、わたしより相応しい書き手の方がおられるのではと正直悩みましたが、執筆中は中川さんの遺された記事やエピソードに触れながら、知らなかった中川さんと改めて出会っていったような、貴重な時間でした。
機会をくださったNippon.comの野嶋剛さん、高橋郁文さん、そして取材や写真提供にご協力いただいた皆様に心より感謝いたします。有難うございました。
また、先に公開された繁体字版は多くの台湾の方が読んでくださったようで、「中川記者が亡くなったのは日本と台湾にとっての大きな損失」など、その死を惜しむ声をたくさん耳にしました。
中川さんが台湾へ抱いていた想いの一端でも、お伝えすることが出来るのならば、本当にうれしく思います。

2017年10月9日月曜日

『台湾、Y字路さがし。』販売状況


【書店およびネットでのお取り扱い状況】
お取り扱いを確認した日本/台湾の書店様やオンラインショップ様をご紹介、随時追加しています。もし新たに見つけていただいた際はご一報ください☆
また、お取り扱いのご希望も承りますので、コメントかメッセージ頂けますと幸いです。
<台湾>
紀伊國屋書店(台北)
淳久堂書店(台北)
誠品書店各店(台北)
欒樹下書店(台北)
永漢書局(台北)
台灣e店(台北)
青鳥書店(台北)
晃晃書店(台東)
新南12(桃園大渓)
<日本>
※ 日本では小売り価格が大きく異なりますので、各販売状況を確認のうえ、ご検討ください
下北沢B&B(東京下北沢)
東方書店(東京神保町)
内山書店(東京神保町)
誠光社(京都)
文榮堂道場門前本店(山口市)
ベジタブル喫茶ToyToy(山口市)

2017年9月24日日曜日

【お仕事報告】nippon.comで台湾映画《紅衣小女孩2》についての記事を書きました


通過《紅衣小女孩2》等最近的鬼片潮流、寫了一篇關於在電影裡台灣民俗信仰的深化。
今年の台湾映画いちばんの興行収入を叩き出している大ヒット作『紅衣小女孩2』をはじめ、最近の台湾での「ホラー/オカルト/民俗」ブームを通して感じる台湾本土意識の深化についてnippon.comで書きました。
先に繁体字版の公開となっています。よろしくお願いします!

2017年9月17日日曜日

【メディア掲載】『台北畫刊』の日本語版インタビュー


感謝台北市政府《台北畫刊》外文版的專訪~感覺太奇怪自己在封面上,這不是「封面生產器」啊XD

台北市観光局が出版している季刊雑誌『台北畫刊』の日本語版(及び英語版も?)で、インタビューをして頂きました。
Y字路本や台北での生活について4ページほど紹介して貰っており、なんと表紙カバーにも載っていてびっくり。。。
MRTの駅や市内の観光地に置かれているようですが、写真が大きすぎで、シワシミタルミの「2シ2ミ」が残酷に映し出されていますので、ご覧になる場合は薄目で見ていただくようお願いします!!!

2017年9月2日土曜日

【山口県の旅】天上大風/周南市鹿野漢陽寺



暑さきはまり蝉澄みわたる一人(山頭火)


お寺の中にご案内いただき座って一息。
現住職夫人の杉村妙子さんが出してくださった一杯の冷茶が、水琴窟みたいに共鳴しながら喉をおちていく。
焙じた芳ばしさと、西瓜のような涼やかさがほのかに香る不思議なお茶で、このあたりの名産の「鹿野茶」というそうだ。

ここ山口県周南市鹿野の「漢陽寺」は、唐の杭州で修業した用堂明機禅師が開山した名刹で、鹿野茶はその時に持ち帰られた茶種がもとになっている。杭州といえば「龍井茶」が有名だが、鹿野茶も当時から変わらず、龍井茶と同じく摘んだその日のうちに茶葉を釜で煎る製法が伝えられている。
美味しく感じるのは、すばらしい佳人が淹れてくれたというだけではない。住職のお母様が定期的に茶葉をふたたび台所で半日ほどかけてじり、じりと煎る、その煎り方に秘訣があるらしい。
「義母のように美味しく煎ることができるようになるには、まだ時間がかかりそうで」と妙子さんがほほえむ。
伝統を重んじつつモダンを感じる日本式庭園がぐるりと囲む荘厳な本堂は、樹齢2000年を超える台湾ヒノキだそうだ。
前住職の庭造り好きが高じ、8年をかけて昭和41年に完成した庭を作ったのは重森三玲、昭和を代表する日本庭園の作庭家であり研究者である。

6つの庭園にはそれぞれ、平安・鎌倉・桃山など異なる時代の庭園様式が盛り込まれ、重森美学をたっぷり贅沢に堪能できるが、どの庭にもどこか親しみを覚えるのは、使われている石のせいだろうか?
山口の防府大道辺りから東に行くと、ゴツゴツと尖った岩肌の山が多くなるが、庭を彩る石たちは、そんな山口東部の山の形を彷彿とさせる。
それもそのはず「庭の石にはその土地のものを使うべし」というのが重森三玲のポリシーだったそうで、県内のどこそこにイイ石がある、台風で道路を塞いだイイ巨石がある、と聞いては前住職と連れだって駆け付けたという。



中庭に7つの石が追いかけっこをするように丸く置かれた石庭があり、「地蔵遊化の庭」と名付けられている。
遊化=遊戯は仏教から来た言葉で、生きること自体を楽しみ遊ぶ境地をいうらしいが、それを聞けばこの重森三玲と前住職が8年がかりで作ったこの庭達そのものが「遊化」といえるのかもしれない。
ちなみに地蔵遊化とは、お地蔵様が子供たちと無心に遊ぶさまである。そう聞いて思い出すのが良寛和尚のことだ。子供たちと隠れんぼしたり鞠をついて遊ぶ事を何より大事にした良寛和尚は、子供が揚げる凧にどこまでも高く上がるようにとの願いを込めて「天上大風」と書いた。

そこからまた連想したのが、台湾の台東にある、同じく「鹿野」という場所で上がる熱気球。
偶然にも台東鹿野もまた茶の産地だが、その台東を舞台にしたドキュメンタリー映画の公開が全国各地で始まっている。酒井充子監督による『台湾萬歳』で、台湾の日本語世代の方たちの半生を追った『台湾人生』『台湾アイデンティティ』に続く台湾三部作の最後の作品である。酒井監督の出身地は山口県周南市で、じつはこの漢陽寺さん、酒井監督にお薦めしていただいた。
10月には、地元周南市のMOVIXでもお披露目会があると聞く。お近くの方はぜひ足を運んでみてはいかがだろう。

酒井監督が映画に込めた想いが、高く広く届きますように。
台北でも早く上映されてほしいものだ。


2017年8月30日水曜日

【取材メモ】知の巨人・國分直一の思い出を聞く



台湾の考古学・民俗学の基礎をきずいた知の巨人・國分直一先生と親交の深かった、山口県立大の安渓遊地教授ご夫妻が台北にお見えになり、青田七六でお話を伺いました。
台湾高雄の小さな港町で少年時代を過ごし、京都大学卒業後に台湾にもどって研究者として活躍した國分直一。安渓先生が編まれた、國分直一自伝エッセイとインタビューをまとめた書籍「遠い空」は、日本時代の高雄の風景が國分先生の実直な言葉でのびやかにスケッチされていて、読みごたえがあります。


雑誌『民俗台湾』を立ち上げた金関丈夫や立石鐵臣らと共に、戦後もしばらく遺物の修復などのため留用され台湾に残り、その仕事は台湾でも高い評価をうけている國分先生ですが、立石鐵臣も、愛情あふれる人物スケッチを幾枚も残しており、その素直・つつやましやかで愛される人柄が透けてみえます。



留用期間が終わり日本に戻られてからは、各地の大学で教鞭をとったあと山口県下関市の梅光学院大学で教え、80歳代後半まで名物教授として学生を指導されました。ビフテキとハヤシライスが大好物だったそう。
じつは先日の帰省時に、今は空き家になっている山口市市内の國分先生のご自宅を観に行ったら、なんと、わたしが中高を過ごした家のすぐ近くでした。ひょっとすると、その頃、国分先生と道ですれ違っていたりしたことがあったかもしれないと思うと愉快です。


國分先生がお亡くなりになったあと、その膨大な蔵書はすべて安渓先生の手で、台湾大学図書館に寄贈され(そのほか金関丈夫の蔵書も)、現在は台湾大学図書館五階の特蔵組で見ることが出来ます。人の本棚というのは、まるでその人の頭の中をのぞき見しているみたいで、面白いというかちょっと後ろめたい感じがするのですが、台湾大学図書館で國分先生の脳みその一部を覗きみてると、会ったこともないのに、とても慕わしい気持ちになるのだから不思議で、それも國分先生のお人柄のなせる技なのかもしれません。


2017年8月17日木曜日

【山口県の旅】萩の猫寺・雲林寺




山口縣萩市的山裡有一家貓寺「雲林寺」,就是貓奴天堂,交通非~常不方便 ,但為貓奴一定會有值得去。特別驚訝的是他們的手冊漫畫有英文版,還有中文繁體版啊!好像不少的台灣跟香港貓奴朋友已訪問過了,欸,你們的熱情真的太厲害了吧!
山口県で話題沸騰の猫寺、「雲林寺」さんに伺いました。
岡山のご出身である角田和尚さんが、色んなものに導かれるようにたどり着いたここ萩郊外の山村では、予想をうわまわる「猫愛」な世界がくりひろげられています。
昭和の曹洞宗の偉人で無為自然を説いた澤木興道師の本を読んで、仏道を志したものの、このままでは人生修行が足りないのではと思い直し、印刷会社でサラリーマンをして名古屋・東京と都市生活を過ごした角田和尚。
あらためて臨済宗へと弟子入りし、小僧としていろんな地に訪れているうち、山口に縁を得て現在の雲林寺へと赴任しました。途中、岡山で招き猫収集家だった伯母様の遺品を引き継いだあとから、いろんな方の猫グッズが奉納品として続々と集まるようになり、今に至ります。

檀家も多くが地を離れている萩の山奥で、赴任当時は雨のたびにバケツをもって寺中を走り回っていたそうですが、10年後に結婚、現在は奥様とお二人の子供さん、4匹のニャンコ(本物)、600体近くの猫像とともに、各国からお客さんを迎える毎日を送っています。本尊前には、なでるとご利益がある「びんずるさま」に倣った「びんずる猫」さま、お寺の中でみられる多くの猫像は、国際的大会でも多く入賞経験のある地元のチェーンソー・アーティスト、林隆雄さんのお手になるもの。
庭では、肉球が魅力的な猫手塔が屋根にたつ庭のほこらまわりを、ネコハギ・ネコノチチ・ネコノメグサ・マタタビなど、「猫草」たちが自然な姿でノビノビと身を伸ばしています。
また、和尚みずから企画・デザインしたグッズたちが本当にかわいい。本来なら欲から離れるための「禅寺」なのにも関わらず、物欲にまみれてしまうこと間違いなしです。


もうひとつ感動したことがありました。
萩の猫伝説を解説する漫画のオリジナル冊子が、中国語の繁体字版もあるのです(あとは英語版)。ここ一か月、山口県を取材でまわっているなかで、特に「看板やメニューに簡体字だけではなく、繁体字中文を足してほしい」という要望を伝え続けてきた身としては、格別にうれしく思いました。
雲林寺の山号は「栖月山」。わたしの「栖来」の字とおなじです!ご縁を感じるなあ。
なんだか懐かしい親戚を訪ねたような気分でした。

【戦後72年】引き揚げ・移民についてかんがえる『勿忘却事~忘却スルコト勿レ』ノート

(1)元・毎日新聞論説委員の下川正晴さんの新著『忘却の引揚げ史』をよむ。
文化人類学者・泉靖一が、旧満州からの引き揚げ途中に性的暴行を受け妊娠した日本女性に、「二日市保養所」にて当時は違法であった堕胎をほどこし戦後のあたらしい人生を与えた知られざる過去について、当時の証言や状況を掘り起こした本。
同じ女性として時に読み進めるのがつらい描写も多いですが、女性という立場を軸に戦争や歴史観について大いに考えさせられます。
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4863291558/hnzk-22


(2)山口県長門市出身の画家、香月泰男の美術館へ取材に行く。
戦後のシベリア抑留を描いた代表作「シベリア・シリーズ」。中でも好きなのは「青の太陽」という作品です。抑留中のほふく訓練があまりにも苛酷で、蟻が巣の穴に入っていくのを見て、「ああ、自分も蟻になって穴の中で平和に暮らしたい」と願った香月が穴の中から空を見上げた、そこには昼間にも関わらず星が輝いていた(闇のように暗い穴から空を見上げると、昼間でも星が見えるらしい)・・・昼間の空に星が見えるほどの穴の暗さ、という壮絶な孤独とかすかな希望をかんじさせてくれる作品。
戦争とは、シベリアで経験したこととは何だったのか。
好むと好まざるにかかわらず、それを考え続けることが画家の一生に付きまといました。奇しくも、香月の郷土・長門にて、昨年ロシアのプーチン大統領が招かれ首脳会談が行われた際には、多くの日・ロのメディアが香月美術館へ訪れたものの、実際には記事にはならなかったそうですが、郷土を「わたしの地球」と呼んだ香月は、墓の中でどう感じていたのだろう。
ところで、香月には二人の息子さんがいて二人とも創作関係の仕事(建築)をしている。婦人は100歳でご健在。戦争に翻弄され、作品スタイルも時代ごとに大きく変わった。立石鉄臣を思い出さずにはいられなかった。

(3)山口県下関市、赤間神宮にある「大連神社」と旧満州から引き揚げた人々。

竜宮城のような下関の赤間神宮の一角に、旧満州から引き揚げてきた「大連神社」があることは、あまり知られていません。実際に終戦後、当時の大連神社の水野久直宮司の手によってご神体及び宝物が持ち帰られたもので、こういった例は大変珍しいそうです。
読売新聞の現・台北支局長、牧野田亨さんによる読売新聞誌上での10年ほど前の満州引揚者についての連載も拝読。丁寧な取材から書き起こした立派なお仕事。同じく「満州引き揚げ」といっても、本当に様々な立場や苦境があったことがわかり、その端々に(1)の下川さんの「二日市保養所」のような存在のリアリティもしのばせながら、多面的に旧満州からの引き揚げを描く、その相対的な筆致に共感しました。わたしが小学生のときに大ヒットしたドラマ『不良少女とよばれて』の原作・原笙子さん(しかもこの筆名・ロシアの「ハラショー!=素晴らしい」って言葉からつけられたと)も、当時の大連神社の舞人で、戦後に立場が逆転したことから中国人のいじめを受け、はじめて虐げられる立場を実感したという記述が印象的でした。


(4)明治期に日本最大のハワイ移民を送り出した山口県・周防大島の日本ハワイ移民資料館にいく。
「瀬戸内海のハワイ」で売り出し、カウワイ島と姉妹島として交流がある周防大島。のどかで風光明媚なこの島は、戦前は災害や人口過多で貧困に苦しみ「芋喰島」という蔑称でよばれ、日本でもっともはやくハワイに移民を送り出しました。
当地では番号で呼ばれ、サトウキビのプランテーションで働いたハワイ移民の苦難の歴史や、現地の日本人同胞による日本語・日本文化教育の資料も充実しています。また、山口県から多く渡ったペルー移民についての部屋もありましたが、第一期にペルー移民として渡った男性が身に着けていた「羽織袴」を見た瞬間に、そういう正装をして日本からいえば地球の裏側の遠い地にたどり着いた人の心境を思って、ぶわっと涙が出ました。ペルーでの移民環境は非常に劣悪で、多くの人が亡くなったそうです。
今回の山口取材では、「移民」や「引き揚げ」に関してたくさんのことを学びました。わたしたちは今、おおくの海外の人を働き手として、または住民として日本に迎えていますが、かつては日本人が逆の立場にあったことは、今ほとんど意識されることはありません。
戦前・戦後の事に関しての記憶がいまの日本人に引き継がれていない事柄は数おおくて、こういう、足元がゆるいところから未来について語ることは、とても「あやうい」感じがするのです。

2017年8月5日土曜日

【お仕事報告】nippon.comにて、ブルータスの表紙騒動について書きました

先日フェイスブック上で書いた『BRUTUS』表紙についての考察がニッポン・ドット・コムで記事になりました。先に中文繁体字版からの公開です。野嶋剛さん、高橋郁文さんに大変お世話になりました、いつも有難うございます!!!
寫了一篇關於《BRUTUS》的封面!請多指教!



《BRUTUS》的封面,臺灣人為何不爽

http://www.nippon.com/hk/column/g00425/

2017年7月12日水曜日

香港映画「十年」~香港返還20年におもう「10年」。


【お仕事報告】
台湾の日本語オンラインマガジン『Taisuki.cafe』 にて、香港映画「十年」について執筆しました。台湾では去年公開され話題となったこの作品、返還20年目を迎えたこの夏、日本でも7月22日より公開されるそうです。


香港映画「十年」~香港返還20年におもう「10年」。

https://taisuki.cafe.network/sono/2219

2017年7月9日日曜日

麗しき故郷、台湾——湾生画家・立石鉄臣を巡って



多言語サイト『nippon.com』にて、湾生の画家・立石鉄臣についての記事を執筆しました。文中に取り上げたドキュメンタリー映画『灣生畫家ー立石鐵臣』は、現在開催中の台北電影節にもノミネートされています。上映は7/13に華山光點にて。

麗しき故郷、台湾——湾生画家・立石鉄臣を巡って
http://www.nippon.com/ja/column/g00421/

2017年7月8日土曜日

【磯永吉】コメとタネをめぐる、台湾と山口のはなし。






水にはさまれて青草

梅雨雲の霽(は)れまいとする山なみふるさと  

(山頭火)

県庁農業振興課様のお計らいで、磯永吉・著『蓬莱米談話』(山口農業試験場/雨読会発行/昭和・39)を農業試験場よりお借りすることができました。
著者の磯永吉博士(1886~1972)は、日本統治時代に農業技師・末永仁と共に「蓬莱米」(台中65号)というお米を開発し「台湾蓬莱米の父」と呼ばれる農学者。 http://www.taipeinavi.com/special/5041312
ぱさぱさと細長いインディカ米だった台湾のお米と、台湾に比較的近い九州などで生産されていたモチモチで丸いジャポニカ米の一品種「中村種」を1000種以上かけあわせ、亜熱帯・熱帯である台湾の気候風土にあわせ改良された二期作のお米「蓬莱米」は、台東の「池上米」など多くのブランドを産み、いまも日々台湾の食卓へと上っています。
今回お借りした『蓬莱米談話』のなかの最後に収録されている「蓬莱米裏話」では、台湾の各地の農家と深く協力し合いながら研究をつづけた様子や、当時高品質の蓬莱米を作っていた新竹の農家で作られた米が一時は日本・東京のお寿司屋さんなどに寿司米として輸出された際、それが台湾産のお米と気づいた客はひとりもいなかったことなどが記されていて興味深い。
磯博士は戦後も、陳儀はじめ中華民国政府の強い要望をうけて台湾に留用・研究をつづけ、1957年に帰国。その帰国先に山口をえらびました(その後は横浜へ移住)。中華民国政府はその功績に感謝するため、毎年20俵もの蓬莱米を磯博士が亡くなるまで送り続けたといいます。
さて、帰国先に山口を選んだ磯博士は、防府市に暮らしながら山口農業試験場の顧問を四年間つとめましたが、そこで山口と台湾との何とも不思議な縁がつながります。台湾大学の磯永吉学会のレポートによると、蓬莱米の元となった品種「中村」は江戸からあった品種「都」系に属しており、その都系で当時あった品種は山口小鯖で伊藤音一という人のつくった「穀良都(こくりょうみやこ)」という品種である、つまり山口は「蓬莱米」の故郷にあたるというのでした。
果たして磯博士はそのことを知って帰国先に山口を選んだのかどうか不明ですが、かつて磯博士が眺めていたこの山口の田んぼで育っている稲たちが台湾の「蓬莱米」の兄弟のような存在だというのは、なんとも不思議な気がします。
この磯永吉博士による『蓬莱米談話』の半分以上は品種改良の複雑な過程や成果などバイオ的な専門分野の論文で占められており、門外漢のわたしにはほぼチンプンカンプンなのですが、そこで急に心配になったのが、ついこの前、日本の国会衆議院で可決された「種子法廃止法案」。
タネや品種改良の話って一般人には難しいし、毎日たべているお米がどういう風に作られてきたかなんて、実はこうして蓬莱米について調べるまで考えたこともありませんでした。
「種子法廃止法案」とは、平たくいえば「日本の基本食料である米・大豆・麦の種を国が守ることを放棄するもの」、つまり米などをはじめとした作物のタネの研究・供給についてもう国はサポートしませんということ。
それによってまず心配されるのが、現場である農家が培ってきたノウハウや体制が混乱することだそうですが、さらに心配なのは将来的に「簡単で育てやすい外国のタネに、現在ある国産種が駆逐されてしまう」こと。
先人の努力の積み重ねでできた美味しい日本のお米の来し方に思いをはせつつ、梅雨にそぼぬれて瑞々しい青田をながめる。
もっともっと「タネとコメのはなし」を知りたいと思いました。


2017年6月29日木曜日

【掲載情報】読売新聞国際版にてご紹介いただきました


另外個日本報紙《讀賣新聞國際版》的報導就6/20出來了。照片是在建成公園後面的y字路口拍了,昨天的《西日本新聞》同安街也是,光都不是觀光的地方,都沒有人注意過的角落,現在在日本大報社的紙上,算是很有意思的現象,就讓我認為台灣的y字路口的力量很大。有一個句子我好友水瓶子寫給我書的推薦文裡說
「這麼多樣性的路口,給了我們一個『新舊並存』的啓示!」是其實說得很好,它教給我們,不只歷史建築,怎麼大街小巷路口都有歷史。而且,能夠知道脚下的小小歷史連繫就可以養對這塊土地的愛情,這是我在書裡面要證明的事情。

西日本新聞様と同じ時期に取材頂いた読売新聞様の記事が、6/20の国際版に掲載されました。ご取材くださった読売新聞台北支局長の牧野田亨さん、素敵な記事をありがとうございます!
ちなみに牧野田さんは福岡・門司のご出身と言うことが取材中に判明。門司には祖父母が居た関係でわたしも幼いころ住んだことがあり、その後も長い学校休みの度に過ごした場所でもあったので、漫画の立ち読みに通った商店街の本屋の話などローカルな話題で盛り上がりました。
縁は異なもの味なものとは、よくいったものです。

【掲載情報】西日本新聞でご紹介いただきました


【西日本新聞記事】
6月19日づけの西日本新聞様にて、同安街Y字路のブラヒカリが!

同安街の入り口から川沿いの紀州庵までの約一キロまでを散歩しながらの取材。
拙著からの引用も組み合わせて構成された、丁寧でY字路の魅力つたわる内容になっていました、ありがたいことです。さらに、「ブラヒカリ」という文字が公の場に載った記念すべき記事もあります(笑)


ご案内しながら、台北路地の魅力に改めて感じいりました。西日本新聞台北支局長の中川博之さん、素敵なご提案と記事をどうもありがとうございました!
https://www.nishinippon.co.jp/sp/nnp/world/article/336617/

2017年5月28日日曜日

【日本映画】ママ、ごはんまだ?


主人公の一青妙さんのお母さんは、台湾人に嫁いだ日本人。
つまり、わたしの大先輩に当たるわけで、台湾に来て間もないころに、夫と家族が大げんかしている内容が全く飲み込めずひたすら不安だった頃の気持ちが蘇り、胸がしめつけられるようでした。
そんな中で言葉をおぼえ料理をおぼえて居場所を作っていった一青さんのお母さんにじぶんを、「日本人か台湾人か」で揺れた妙さんに、我が子のこれからを重ねあわせずにはいられない2時間。
一つ言えるのは、お母さんは台湾での生活やご主人の顔さんのことを大事に思っていたのだろうな、そして何より台湾のごはんが好きだったのだろうな、ということ。
もしそれが嫌な思い出であったなら、日本に帰ってからも台湾料理を作りつづけることは苦痛でしかないわけで。

お母さんが亡くなったあと、長いあいだ閉めきっていた実家のドアをあけ、その中の金庫を開け、押入れのなかにみつけた箱を開ける妙さん。
入れ子状になった「わたしの箱子」を開けつづけ、ルーツを辿りじぶんを見つけていく過程は、玉手箱をあけてじぶんの真実の年齢の姿をとりもどす浦島太郎をおもわせる。
かつてはなんて残酷な話だろうと思っていた浦島太郎の昔話だけれど、40歳を過ぎたあたりから、なんて救いのあるはなしだろうと思うようになった。
何故なら、じぶんらしく居られないことが、なにより残酷な状況であることを身をもって知ったからだ。

美味しい豚足とチマキ、明日買いに行こうっと。

【台湾ドキュメンタリー映画】擬音~台湾の音と魔術師。


「Taisuki Cafe」さんでの連載コラム「スクリーン越し台湾通信」にて、先日観てよかったドキュメンタリー映画「擬音」について執筆しました。
しられざる映画製作の裏方、フォーリー・アーティスト。ご一読いただけると嬉しいです。

【台湾ドキュメンタリー】擬音:台湾の音と魔術師。

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「黒澤明や今村昌平という巨匠たちの作品を支えてきた大御所の録音技師・Bさんの現場で何とも緊張感があったが、それまで映画の音がどのような人によって、どんな風につけられているのか全く知らなかったわたしにとって、これらフォーリーを含むサウンドデザインの現場に関わった経験は鮮烈だった。」
「職人的ということは、創造も含めて仕事が生活そのものなのである。わたしたちが映画を評価するときには、脚本や演出や芝居ということの創造性に重きを置きがちである。だが同時に、映画とは多くのクリエイティビティーを集めて作った総合芸術だということを、改めてこのフォーリーのドキュメンタリーは教えてくれる。」

2017年5月21日日曜日

久石譲&ミーシャ·マイスキー@國家音樂廳



中正記念堂の敷地内にある台北のナショナル・コンサート・ホールは、ローズウッドの壁にデコラティブな天井のガラスなど、品のよいシノワテイストただよい、非日常を感じさせてくれる好きな場所のひとつです。

この晩ご一緒したのは、台湾なでしこ会(※)の大先輩で呑み友達のF・Yちゃん。
人気の手づくり石鹸教室「Plumeria soap」の経営者として活躍している彼女、じつはかの久石譲氏の姪っ子さんということもあって、久石氏のコンサートにお誘い頂きました。

パンフレットの氏の写真をじっくり見ていると、ちょっとした表情とか目から鼻筋・頬にかけてのバランスなど姪っ子のYちゃんとそっくりで、血の繋がりってすごいな〜と思いました。
ジブリ·ワールドに無くてはならない音楽家として有名すぎる久石譲氏ですが、今回のコンサート·プログラムではジブリ音楽だけではない、多才かつ多様な久石譲世界を味わう事ができ、ナショナルシンフォニーオーケストラの演奏もその要求に応え、あっという間に過ぎた2時間半。

一曲目はエッシャーの絵をイメージして作られた久石譲作「encounter」より。
変拍子が複雑に連なりあいながら滑らかに変化していくそのさまは、フィリップ·グラスなどの影響を受けた現代音楽家である久石譲の本領発揮という感じでとても楽しい。
実際、台湾ではその名前を冠したマンションが出来ていたほど人気のある氏だが、実はご本名を藤澤守さんとおっしゃり、藤澤守名義の「はじめ人間ギャートルズ」でデビュー、その後「愛のコリーダ」で有名なクインシー・ジョーンズをモジッて、きゅういし·じょー→久石譲という芸名になったと知る人は少ないだろう。
などと偉そうに言ってるわたしもむかし、敬愛するロック漫筆家·安田謙一兄さんのラジオ番組「夜のピンチヒッター」でそれをしった。そのとき流れた久石譲氏の作ったタコ八郎のテーマソングは、それまで持っていたわたしの久石譲氏へのジブリ的固定観念を覆すものだった。久石譲さん、じつは結構パンクです。
そう思って改めてジブリを観れば、ナウシカの「ランランラララン」やインド音楽やラピュタの洞窟のシーンなど、ジブリの中にもこっそりソッチ系久石譲テイストは散りばめられているので要注意。

さて、特に素晴らしかったのが二曲目、ドヴォルザークのチェロ協奏曲より。
ミーシャ·マイスキーは、クラシックマニアの夫の影響で家で聴く事も度々あったけれど、生で聴くミーシャの音は芳醇で、長年熟成させた希少なブランディを呑んでいるかのよう。
イギリスの乾いた草原に吹く風のようなミーシャのチェロの深い音、そこに岩清水の如くほとばしり出るフルートの音色。
寄せては返す波、湖面に落ちた雨粒の広がり、小川のせせらぎ。1800年代に西洋で生まれた曲にも関わらず、自然の隅々に宿る「瞬間の永遠」を感じさせてくれ、そこには東洋的な「わびさび」もあり、まさにミニマリスト·久石譲の真骨頂を味わった気がしました。
最後の「魔女の宅急便」のテーマソングには、やっぱりもうこれは身体が反応。色んな楽団が演奏しているのを聞いた事はあるけど、ここで聞いた「うわー本物や」感はすごい。

得難い時間をご一緒させてくれた麗しきYちゃんに心からの感謝を。

※なでしこ会・・・日本人で台湾人に嫁ぎ台北周辺に住んでいる嫁の会で、もう35年続いている