2016年11月9日水曜日

【日本映画】君の名は。~「かたわれどき」の賞味期限



台湾でも大ヒット中の「君の名は。」

小学校高学年から大人まで巻き込んでの大騒動らしいが、皆さん一様に「面白かった」とおっしゃる。かくいうわたしも、ちょっと絵柄が苦手かな~なんて最初は思ってたものの、みるみる物語に引きこまれ何度となく涙した。


「君の名は。」のストーリーはこんなんである。
隕石の衝突により無くなってしまった飛騨高山のあたりの小さな町に住む女の子と、東京の都会で暮らす男の子がひょんなことから意識だけ入れ替わってしまい、ふたりが時空を越えることで本来は被災して死んでしまった町の人たちを救う。目覚めれば手のひらからこぼれ落ちるように消えるのごとく、入れ替わった主人公ふたりは当時の記憶を留めることができない。後遺症的に残る「片割れ」への喪失感を感じて年をかさねるうち、都会の雑踏の中でついに二人は出合う。

「入れ替わり」元祖の「転校生」(大林宣彦・監督)そこに筒井康隆「時をかける少女」というパラレルワールド的要素が加わった、ある意味スーパー·ジュブナイル作品である。特に若い層を中心にウケるのがわかる。
じゃあ、なんで大人にも受けたんだろう?

思い出したのが、中学生のとき読んでいた「ぼくの地球を守って」(日渡早紀/通称『ぼくたま』)という漫画だった。あまり詳しく覚えてないが、「月にある宇宙ステーションで地球を見守っていた宇宙人チーム」という前世をもつ人々が、現世で巡りあってスッタモンダする話だ。
わたしも割と影響を受け、「前世の仲間がどこかでワタシを待ってくれてるかも」と当時思っていたことを告白する。
似たような人は結構いたようで、その漫画が連載していた「花とゆめ」って漫画誌のペンフレンド募集欄とか「ムー」などのオカルト雑誌では、「むかしの名前で出ています」ならぬ「昔(前世)の仲間をさがしています」っていう、「ぼくたま」の影響を激しくうけた投稿であふれていた。みんな絶対どこかに存在するはずの「あなた」を強烈に信じていたのである。
今ならそういう現象には名前が付いている。
「中二病」ってやつだ。


「君の名は。」の女主人公・みつ葉はストーリーのなかで一度死んでいる。生まれ変わって男主人公・瀧に改めて出会うのだ。
日本には「袖ふりあうも多生の縁」という言葉があるが、台湾はじめアジアの人々も「有縁」(縁がある)ということを大事にする。仏教の「輪廻」という思想を共有しているからこその考え方だろう。英語圏にも今は「ソウルメイト」という言葉がある。比較的新しく、仏教的な思想を翻訳した言葉かもしれないが、けっこう受け入れられている印象だ。
アニメーションとしての美しさや技術が優れているのはもちろんだが、探し求めていた前世の恋人に出合うという東洋的なテーマが、世界的に「君の名は。」を成功させている理由となっているとすれば興味深いとおもう。


とはいえ、今年40になるわたしはこの作品を観て泣いたりしつつ、「遠くまで、来ちまったな。」と思っていた。なぜなら、みずからの運命的な半身(かたわれ)に出会える「かたわれどき」が、幻想もしくは賞味期限付きであることを、私たちは知っている。
かつて、これ以上なく理想的だと思っていた友人夫婦が最近になって離婚したことを耳にした。わたしだって結婚時に感じていた「前世的」「運命的」な感触なんて今となってはどこへやら、というていたらく。
だからこそ、「君の名は。」という作品は、大人にとってもこんなにも光り輝くのかもしれない。現実の人間が演じていないアニメーションだからこそ、誰もがかつての「中二病」だった自分をぞんぶんに投映できるのだ。
しかし映画はエンディングを迎えればそこで終わるが、ひとの人生には後日談がある。
ひとつの村を救った「君の名は。」主人公の三葉も、これから家事分担とか主導権争いとか浮気心とかで揉めるんである。

じゃあ、かたわれどきから随分とおくへ来てしまった大人の利点って何だろう?
そこは忘れがたい思い出を積み重ねていけるのが大人であると応えたい。飴玉のような甘い記憶を牛のように反芻して意地きたなく舐めている。その美味は、そんじょそこらの子供たちには味わえないものなのだよ、ふふふ・・・

なんて言ってたら、子どもたちに嫌がられそうですねえ。。。




「君の名は。」
監督:新海誠/2016/日本







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