2016年11月27日日曜日

【第53回金馬奨雑感】金馬奨って、なんなんじゃ?



昨晩、第53回目の授賞式を迎えた金馬奨
台湾の「一路順風」「再見瓦城」が多くの部門でノミネートされていたにも関わらず、主演男優・女優賞、監督賞、作品賞とメインの賞をすべて大陸勢に持って行かれた。
受賞者のスピーチも北京訛り・広東語が飛び交う授賞式となり、毎週のように台湾映画を観に劇場へかよって「國片」(台湾映画のこと、日本人がいうところの”邦画”)を応援しているものとしては、一昨年を彷彿とさせる、気分が滅入る結果となった。
今年の台湾作品は、イマイチ不作だったのは確かだ。「これだ!」という作品が本当に少なかった。また大陸の受賞作も観れていないものの、ダイジェストを観る限りはどれも魅力的な作品で、受賞にはそれなりの説得力もあるんだろうし、「妥当だった」という声もチラホラ聞く。
それでも、やっぱり残念だ。特に「一路順風」の許冠文マイケル・ホイ)が主演男優を逃した瞬間は机を叩いて「ごらー!ざけんな!」と叫びながら立ち上がってしまったわ、や~ね。

終了後も気持ちが収まらず、FBにも「台湾で行われる映画賞を台湾映画にあげなくて、台湾映画はどうやって発展していくねん?」という意味のことを中国語で投稿したら、同時間にやっぱり怒っていた愛台湾な作家のハリー・チェン氏(『人情珈琲館』)も賛同のコメントをくれて、少し慰められた。

翌日の各紙の温度差はいつものごとく、ではあるが、とくに自由時報の「金馬變金鶏」の見出しには「うまいこというな~」と感心させられた。「金鶏」は「百花」と合わせて豪華絢爛な中国文化を象徴する言葉だ。
台湾と中国のあいだの最前線だった「金門」と「馬祖」の頭文字を取って、「中華民国の映画の発展を促すために」「蒋介石の誕生日のお祝いとして」始まった金馬の歴史は、今年の春に公開されたドキュメンタリー那時此刻~The moment」に詳しいが、昨晩の状況をおもえば、時代の移り変わりにしみじみしてしまう。

今や台湾映画には大陸の力が欠かせない、と思っている映画人は多いだろう。マーケットの規模や資金能力、製作環境、どれをとってもケタが違う。
以前、台湾映画業界で働く友人から聞いた話だが、台湾の映画を大陸で上映したり資金を集めるには、最低2名の中国人俳優をメイン・キャストに入れなければならない、という法律があるらしい。だから、現在製作されている台湾映画の多くがこの条件を満たすために頑張っている。
「自分が観たい」映画の完成を実現させるのが、映画人の仕事だ。だから、どんな手段を使ってでも映画を完成させるのは当然だし、そういうものだと思う。
でもそれによって、台湾らしさが映画から失われたり、自由な映画づくりが出来なくなるとすればやっぱり心配だ。
それで思いだすのが、「六弄珈琲館」の上映前に大陸のネットで「ひまわり学生運動を支持したらしい=台湾独立派」というレッテル炎上した、戴立忍(ダイ・リーレン)の事件だ。大陸ですでに完成していた主演映画の公開はおじゃんになり、戴立忍自身も「わたしは独立派ではなく中国人だ」みたいなことを長々とした手紙で釈明した挙句に、何とか収束した。一時は「六弄珈琲館」の出演シーンも削られるという噂もあったが、そこには影響はなかったようだ(たぶん)。
何だかもう随分前のコトたいな気もするが、たかが半年前のこと。台湾の映画人にとって、中国政府は怖いだろうが、同じように大陸ネット民の反応も怖いだろう。大陸の映画のスポンサーはテンセントをはじめ、インターネット会社が多い。
「金馬は大陸の映画に不公平」という意見で台湾映画がボイコットされる事態になりでもしたら、大ゴトだ。
審査は揉めに揉めて100分にもおよんだらしく、「殺し合いみたいな現場だった」と漏らした審査員がいた。全力で検討しただろうし、審査員はみなぜったいに「金馬は公平」と豪語するだろう。
今年の台湾映画がイマイチだった。結局、結論としては、そういうことになるのかもしれない。

でもそれでも、一個ぐらいはな~。。。
そもそも、台湾人自身が台湾映画を観ない。多くのスターが出て華やかにテレビ放映され注目される金馬映画だからこそ、台湾映画が賞をとれば「じゃあちょっと観に行こうか」という気持ちにもなるだろう。
でも六部門でノミネートされて無冠って、、、(まだ上映始まってないのに、これでは大打撃である)となれば「やっぱ台湾映画はだめなんだ」って台湾の観客は思うだろうし、とくに台湾本土意識の強い人なんかは、「しょせん映画業界なんて外省人の世界だから」と、更にひねくれてしまうというものだ。
大陸の影響下に縛られない自由な中華文化の発展というコンセプトで始まった金馬だからこそ、台湾映画に対する影響力は大きい。でも、一昨年に「KANO」がまったく賞をとれなかったことや、昨年「太陽の子」みたいな良い作品が音楽以外まったくノミネートされなかったことなど、現在の台湾人の多くが持っている「台湾意識」と審査員の意識の剥離が感じられるところも無きにもしもあらず。
金馬奨自身が毎年のように、それに関わる様々な立場の人に、金馬奨って一体なんなのだろう?って問いかけているようなところが、金馬奨にはある。
それは同時に「台湾って一体なんなのだろう?」って考えることに似ている気がする。


そういう意味で、今回一番のクライマックスは、ドキュメンタリー部門で最優秀賞に選ばれた「日曜日式散歩者」のプロデューサー・鴻鴻氏の

今回の金馬賞のなかでドキュメンタリーは最も激しい争いだったと聞いている、まずは同業者の皆さんに尊敬の念を送ります。
《戀戀風塵》はじめ、すべての作品が国語のみで作らねばならない時代もあった。
しかし今回のように、殆どが日本語で作られたドキュメンタリーが最優秀賞を取れるというのは、台湾が本当に自由で独立したクリエイティブな場所だということを意味しています。その自由と平等の精神のもと、皆さんに同性の婚姻の法制を支持してほしい

という受賞の言葉、そしてプレゼンターとして出たジョセフ・チャン鳳小岳の「BF*GF」コンビが、「ぼくは男朋友」「ぼくも男朋友」と自己紹介しながら抱き合い、法制化のために立法院周辺でスッタモンダしている同性婚への支持を、それぞれ表明したことだった。
こういうところ、台湾らしくていいなあと本当におもうし、金馬授賞式を観る楽しさの一つだと思う。


来春には魏徳聖監督「52Khz,I love you!」陳玉勲監督の「健忘村」も控えている。 
今年の悔しい思いをバネにして、来年の金馬での台湾映画の反撃に多いに期待したいところだ。













2016年11月18日金曜日

【李安作品】 Billy Lynn's Long Halftime Walk~ アン・リー最新作「ビリー・リンの永遠の一日」を劇場で観るべき、たったひとつの理由。




じつのところ、台湾では評判のあんまり芳しくないアン・リーの「比利‧林恩的中場戰事 (邦題:ビリー・リンの永遠の一日)」である。
いくつかネットで観た論評を要約すると、「ストーリーは悪くないが、前宣伝で期待してたほどの映画体験が得られなかった」ってことだ。
映画史初の3D✕毎秒120フレーム(昔のテレビが毎秒24フレーム、その後出たデジタルビデオが毎秒30フレームといえば、その映像の細かさがわかるだろう)という未だかつて無かった挑戦で、メディアの前宣伝では「まるで現場にいるかのような臨場感」と絶賛され、アン・リー自身の口からも「未来型3D」という言葉がでて、だれもが期待と興奮で映画館にのぞんだはずだ。

台湾ではいまのところ、この映画が最高の状態120フレームを損なうことなく観られるのは、台北駅ビル内の「京站威秀」だけである。そしてそのチケットは800元する(普通の映画館は250~300元ぐらい)。
台湾のネットで論評している人は殆どが800元払ってみている(もしくは試写で800元と同じ状態で観たかもしれないが)。そんな彼らにとって、今回のアン・リーの新作は「800元払う価値があるとは思えない」ということらしい。


わたしは結局、普通の映画館の3D上映(280元)で観たので、さしてがっかりしなかった。まるで自分がドローンに変身して主人公にひっついて飛び回っているかのような浮遊感を感じる映像にはそれなりに興奮したし、「戒/色 ラスト・コーション」や「ライフ・オブ・パイ」ほど好きな作品じゃないが、ストーリーも十分に面白いものだと思った。美味くて評判の料理屋にきて、ワンランク上のコース(800元)にすればお造りの品数が二品増えるのとシェフ推薦の熟成肉のステーキが付いてくるんだけど、まあそれだと量が多すぎるからと思い、実際ワンランク下のコースを食べてすでに美味しくて割と満足したって感じだろうか。
でもシェフの推薦を外すわけだから、今度来た時はそれ頼むからね~みたいなちょっとした申し訳なさと、次回への期待の余地も残されている。
そんな訳で、この映画を800元払って観た人と同じ場所から批評することは難しいということを最初に断っておく。
断ったうえで、この作品をやっぱり劇場で3Dで観ることをお薦めしたい(800元でなくてもいいから)。

(※以下はネタバレが含まれます)


イラク戦争に派兵された若きアメリカ兵ビリー・リンは、所属するB班の隊長が戦闘中に撃たれた際に敵兵に対して取った勇敢な行動がニュースに取り上げられ、一躍「祖国の英雄」となる。仲間と共に一時休暇で戻ったアメリカ・テキサスでも熱狂的に迎えられるが、戦地で極度の緊張状態にある後遺症としてPTSD(心的外傷後ストレス障害)によるフラッシュバックに悩まされる。
家族はみなビリーを暖かく迎えるが、唯一イラク戦争に反対している姉だけは、成果を出したのだから、もう戦地には帰らず戻ってきて、PTSDを治療して欲しいとビリーを説得するのだった。
ビリーと仲間のB班は、アメリカン・フットボールの試合に招かれ「英雄」としてハーフタイム・ショーに出演することになる(と言っても立ってるだけ)。一同を迎えに来たのはハマー・リムジン(黒人ラッパーのMVとかでしか観たことない、バーカウンターとレザーソファーが内蔵された物凄くラグジュアリーなリムジン)という超VIP待遇で、B班の物語を映画化したいというプロデューサーまで現れた。映画化の資金が取れて皆の出演が決まれば、ひとり10万ドルのギャラぐらいは出るかもしれないと言われ、大喜びするB班たち。
また、ビリーはチアガールの中のひとりの女の子に一目惚れし、彼女のために姉の説得を受け入れて戦地に戻らない選択肢について考え始める。
「英雄」として迎えられる気持ちよさを存分に味わいながら会場に入り、ハーフタイムショーでは”ディスティニーズ・チャイルド”(ビヨンセが在籍していたグループ)らと共に舞台にあがって高揚感を得るB班のメンバー。だが、一方で失礼な態度や待遇も受け次第に高揚は冷めていく。アメフトのスポンサー(スティーブ・マーティン!)も映画の資金として、B班の物語にかけられる金は全部でせいぜい5500ドルぐらいと買い叩く。
そうしてビリーを始め、B班のメンバーは祖国にもどって与えられた「英雄」という称号の安っぽさに失望し、自分の居場所は「戦場」しかないと考えるのだった。




カメラは、ビリーの目線/ビリーを観る人の目線/スクリーンを観る私たちの目線というレイヤーを単純な入れ子構造ではなく、複雑にからませることによって、現場のリアリティを浮き出させることに成功している。
宣伝でも目玉となっていた、ビリーからの目線で繰り広げられる”120フレーム✕4K✕3D”のハーフタイムショーは特に圧巻で、ビリーの現実をわたしたちも追体験できるしくみになっており、盛大でゴージャスなハーフタイム・ショーで爆発する花火と戦場の爆発とが交互にフラッシュ・バックし、わたし達はビリーと一体化して戦場と舞台を行き来しているような感覚に陥る。

とくに面白かったのは、ショーに登場するディスティニーズ・チャイルド(もちろん吹き替えだけれど)のメンバーの顔が全く見えないことだった。
手を伸ばせば届く距離にありながら、ビリーは一度もビヨンセの顔を観ることがない。ビリーからの目線だと、彼女たちの後ろ姿しかみえないのだ。
正面からの姿はスーパーボウルを見に来ている会場の観客だけのものだ。現場のまっただ中にいる人は、それを全体から眺めて楽しむことはできない。
湾岸戦争がはじまったとき、デジタル技術の発達により現地からほぼリアルタイムで映像がテレビへと届くようになり、空爆のミサイルをまるで打ち上げ花火でも観るような感覚で観ていたことをおもいだす。瓦礫の下にはたくさんの一般市民が下敷きになって血を流していたはずだが、「お茶の間」でくつろいでいる観客にそんな映像は届かなかった。本物の戦争が映っているのにも関わらず、そこにあるのは徹底的に「非リアル」な感覚だった。


そうなのだ。
どんなにその時に最高の技術を駆使したところで、結局はビリー達と同じリアリティを味わうなんて不可能だ。ビリーからの目線での戦場の映像を観ていたとき、わたしは自分がドローンとなってビリーの顔のすぐ横を飛んでいるような感覚をもったと先ほど書いた。
しかしドローンは勿論生身のわたしではない。ドローンが撃ち落とされたところで、現実のわたしが傷を負うわけではない。いかにそれを臨場感ある映像で体験しても、それはアメフトのハーフタイムショーと同じなのだ。試合で応援しているチームが負けたとしても、終われば皆それぞれじぶんたちの家に帰ることができる。
でも、戦争のまっただ中にいる人は違うのである。
死の恐怖と戦い、家族との別れに震え、恐ろしい戦闘のフラッシュバックに悩まされる。そんな彼らが生きる場所は戦地しかない。
戦争とは人々の「帰る場所」を奪うことである。


ビリーの中で幾度もフラッシュバックする場面に、戦場で隊長を撃った敵兵の中東人の男を刺殺するところがある。ビリーが英雄に持ち上げられた所以のシーンだ。
首を刺したときの鈍い音。じんわりと後頭部に広がっていく血。
時代劇みたいに「ザクっ」と音がしたり血が飛び散ったりはしない。細心の注意を払って刺された人間が死んでいく過程を「リアル」に描いているようにみえる。
しかし、その死んでいく男の目には、何も映っていない。ビリーの目線なのだから、普通ならビリーの顔が写り込んでいるはずだ。普通の映画なら、普通の演出家なら、「リアリティを出すために」そういうふうに撮るとおもう。瞳に写り込んだ「カメラ」をCGで消し、そこにビリーの顔を移植する。

でもアン・リーはそんなことはしない。

そこに何も映さない。ただただ、深くて暗い闇をのせる。これは映画自身による「わたしはリアルではない」という告白なのだ。どんなに映像的リアリティを追求したところで、そこに本当のリアルはないという事を映画自身が語ってしまう。
そんな風に、この映画のいたるところに密やかに、アン・リーのメタフィクションの「罠」が仕掛けられている。
ちなみに『背中』というのもこの映画の中の大事な要素である。なぜなら人は自分で自分の背中を観ることは出来ないからだ。観客はビリーの視線で映画を観ながら、同時にビリーの背中を観ることができる。つまりわたしたちは、ビリーではない。


このストーリーを120フレームで撮る価値があったのか?原作選びをまちがえたのではないか?
わたしはそうは思わない。
もっとアバターのように、それに見合った題材があったのではないか?そんな論評もみた。
しかしそれなら、李安はもう「ライフ・オブ・パイ」で已にやってしまっているじゃないか。
このストーリーだからこそ、この技術で作らなければならなかった。
戦争体験を「リアルに感じる」ことがどれだけ「非リアル」な事なのか、それを証明するために使われたことのない技術に敢えて臨む、それがアン・リーが「ビリー・リンの永遠の一日」で挑戦したことではないだろうか。

以上はすべてわたしの深読みでしかない。莫大なお金をつかって、血を吐くような困難を抱えながら、そんな事に挑戦するのは一見馬鹿げたことにおもえる。
でも、アン・リーは普通の映画監督じゃない。天才なんである。リアルに対する「映画」の不完全さを誰よりも深く感じながら「でもやるんだよ!」の人なんである。
だから、わたしたちはいつも、アン・リーの背中ばかり追いかけているのである。


そういう意味では、本当にこの映画を「体験」するには、やっぱり800元払って「何だかなあ」と思うのが正解なのかもしれない。
あまりにも逆説的にすぎるかなあ・・・








2016年11月16日水曜日

【台湾ドキュメンタリー映画】單車天使~自転車にのった天使たち。


先日おとずれた台東の街で、道路脇がかなり贅沢に自転車用道路として線が引かれてあり、「環島」(台湾自転車一周)しているサイクリストたちが気持ちよさげに走っているのを観た。
近年、台湾は自転車ブームだ。
それもそのはず、台湾は世界最大の自転車メーカー「GIANT」を擁している。
台北も「GIANT」の管理する公共シェアバイクシステム「YouBike」がうまれて以来、ずいぶんと利便性を増した。台湾一周のコースとなる要所要所にも「GIANT」が設置した自転車用の休憩所が設置されており、台湾における自転車旅行の環境は年を追うごとに良くなっているといえそうで、日本から走りに来ているひともふえているみたいだ。
とはいえ、台湾の田舎の道は車も平気で車線越えてきて危ないし山も多いので、大人といえど結構ヘビーな経験に違いない。

そんな自転車での「環島1200キロ」を、孤児院の子供たちが達成してのけたドキュメンタリー映画が公開になった。タイトルは「單車天使 ~Cycling Angels」。



「ややこしい環境のなかでいろんな歪みを抱えた子供がここに来る。
私たちはその子どもたちの歪みを時間をかけて少しずつ整え、子供を覆っている色んなものを取り除いてあげる。そこで現れるのは、とても純粋で無垢なひとりの子供の姿なんです。」
(雲林私立信義育幼院・呉院長)



ベトナム戦争以降に急速に発展した台湾の経済は、とくに近年はアジアにおけるハイテク産業の拠点として発展がめざましい。シャープをはじめ台湾企業による日本企業の買収も最近大きな話題となったし、台北の街をあるけば目につくのは高級車だらけ。ポロシャツをスラックスにインする見かけはかなり地味だが、実はすごい金持ちの中小企業の経営者、なんて人がゴロゴロしている。
しかし台北から離れて南のほうへ行けば、事情は少し違ってくる。
たびかさなる台風被害や洪水などの自然環境も影響し、台北と地方との格差は大きい。
それを皮肉って、地方のひとは台北のことを「天龍國」、台北に暮らす人のことを「天龍人」と言ったりする。もともと日本の漫画の「ONE PEACE」の中に出てきた特権階級を持った人々をあらわす言葉が流行したものらしい。

台湾の中でも、とくに経済的に苦しいと言われている県が苗栗県、そしてこのドキュメンタリーの舞台となる児童施設「雲林私立信義育幼院」のある雲林県だ。
経済的・社会的な歪みは、最終的にいちばんの弱者である子どもたちに、しわ寄せとしてやってくる。
「育幼院」で暮らしているのは、身寄りのない子どもと限らない。本来は子供を保護する役目をもつ親が、貧困・アルコール中毒・麻薬中毒・虐待・ネグレクトなどで子育てを担うことができないケースも多い。
しかし子供は、親を選ぶことはできない。そして、どんな親を持っても、子供がいちばんに願うことは「回家」(家にかえる)ことなのだと、呉院長は言う。
「子供がここに来た日から、すべては”いつか家に帰る”ことを目標に子供の成長を促すのが、わたしたちの役目なんです。」


少年よ大志を抱け、という言葉がある。
子供が描く絵がどれも素晴らしいように、理想や夢が小さなからだの中いっぱいにぎゅぎゅうと詰まっているような、そんな単純なイメージをわたし達は子供に対して抱きがちだ。
でも、施設で育っている子供は時にそうではない。
学校のあるカリキュラムで、施設で育った子供と一般的な家庭の子供をいり交え、自分の将来の計画を作文に書かせ発表させるシーンがあった。

同じ地域の一般的な家庭で育っている子供が書いた作文はこうだ。
「台大にはいって卒業して大きな会社にはいり結婚して子供がうまれ、40歳で大統領になり・・・100歳で町内会長をつとめる!」
要約するとこんな感じ。いますよね、こういう男子。子供らしく単純で、自信に満ちあふれている。

これに対して、施設で暮らすとある少女が発表した作文はつららの如く冷たく心に刺さる。
「施設を出たらクラブに勤めて、クラブで彼氏をみつけて結婚して、子供は作らない。離婚してまたクラブで彼氏をみつけて、30歳でお母さんとお父さんを探しに行く。40歳で弟や妹たちを探しに行く。最後は彼氏と一緒にビルから飛び降りて死んでおしまい、あははバカでしょ(笑いまじりに)。」

心の奥底でじぶんは必要とされていないと認識している子供たちは、自己肯定感を育めない。自己肯定ができないと、未来についても建設的な将来像が描けないのだと院長やスタッフはいう。
そこでせめて施設にいる間に、出来る限りの「達成感」を感じさせることで自信を持ってほしい。自信とは「自分を信じる」気持ちである。院長のそんな願いから始まったのが、施設の子供たちと共に自転車で「環島」(台湾一周)することだった。

十分なトレーニングをかさね、多くのボランティア・スタッフの協力を得て、2週間で「環島」する子供10名プラス大人達の冒険がはじまる。いちばん小さなメンバーは8歳の少年だ。
走るのは一般車道。川べりの自転車専用道路ならまだしも、あまりにも危険だというので、当初は誰もが反対したという。
東側のルートは、宜蘭から山側に入って台湾中央山脈の中でもかなり高度の高い梨山を通って行く。アウトドアに疎いわたしが聞いても、かなりチャレンジ性の高いコースなかんじ。

転んだり、パンクしたり、投げ出しそうになりながら、それでも再びペダルを漕ぐ子供たちを目で追いながら、わたしのハンカチはも~ビショビショだった。
がんばれ!がんばれ!子供たち!がんばれ!がんばれ!支える大人たち!
大人たちは毎晩ミーティングをかさね、危険なポイントや気付きを話し合う。転んで怪我した子供たちを優しく、ときに威勢よく励ます。

「子供はじぶんが生まれてくる環境を選ぶことは出来ない。でも、自分の足でどう歩いて行くかは自分で決められると、この台湾一周の旅を通じて知ってほしい。」

呉院長の言葉のひとつづつが力強く、まっすぐに私たちに響いてくるのは、呉院長が心から子供たちを信じているからだ。そしてまた、子供たちを信じている自分自身をも信じている。更にその信じるということの裏付けとして、出来る限りの細心と努力を惜しまない。

現代社会のなか、子供を取り巻く環境はますます息苦しくなっている。
あれ危険、これ危険。心配を理由に少しでもリスクのあるものはどんどん子供の周りから遠ざけられ、それにつれて子供が自分を信じて試す=親が子供を信じてチャレンジさせる、そんな機会は減っていく。
逆に、過保護な風潮が進んだことがリスクに対する想像力の劣化につながり、先日東京のミッドタウン・デザインウィークで起きた不幸な事故(学生がつくった木屑を散らしたジャングルジムが燃え、一名の男子が亡くなった)を引き起こす一因となったのではないか、呉院長の言葉を聞きながらふと、そんなふうに思った。


もうひとつ、子供の貧困と格差は、日本でもどんどん明らかになってきている大きな社会問題だ。
保守的な政権の下では「家庭の教育」ということが叫ばれがちだが、そこからはみ出してしまった子供たちに、最低限のセーフティーネット以上に大人や社会はどういう教育を与えることが出来るのか。そんなことを、この映画は改めて考えさせてくれるのだ。





「單車天使 ~Cycling Angels」
監督:周抱樸/2016/台湾




2016年11月13日日曜日

【台東】取材旅行備忘録その③~台東市内


都蘭のあとは台東市内の「鐵花村」「晃晃書店」へ。鐵花村は残念ながら平日のためライブもなく閑散。友人オススメの林家臭豆腐は外カリ中フワ感がB級グルメ的に完成度高かった。お隣の絶品という噂の米苔目は開店前でありつけず。

古書を置く一軒目と、新刊本及びカフェの二軒目、どちらも上階にゲストハウスが備わっている「晃晃」は、元·出版社勤務のオーナー素素さんに目利きされた確かな品揃えと細やかな気配りが行き届いた本屋さんで、台東の重要な文青(文系)かつ猫奴隷系(笑)スポット。お客さんも猫に混じってくつろいで過ごしていました。

ちなみに、店名のは最初にお店に居た耳の聞こえない猫の「晃晃」から取ったもの。お店で手作りしたカボチャのパイがおいしい!とくに地元のおばさんが作っているという粟を使い月桃の葉で包む原住民チマキ「アバイ」は常食にしたいぐらい美味です。

残念ながらオーナーの素素さんは日本旅行中だったけど、店長の易許さんには出版物から見た原住民文化など色々教えてもらいました。この日の収穫は、台東発「独立雑誌(インディー/リトルプレスマガジン)」である「慕山」「台東。是家」。どちらも一号が発売されたばかりの新しい雑誌です。


今年の3月に「なーるほどザ台湾」誌にて、こういった台湾のローカル系リトルプレス雑誌について特集させて貰ったのですが、若い人が故郷にUターンして、故郷の良さを伝えたい!面白くしたい!という流れは、更に盛り上がってる感じ。台南の正興街をはじめ、台湾の若い子ならではの視点やイラスト、デザインの可愛さも堪能できます。台湾のローカルプレス雑誌、要注目。


帰りの自強号で鉄板の、台鉄弁当(ナイスジャケ!)。やっぱりこれは食べないと帰れない。
「移動しながら食う」飯の旨さに似るものぞなし。でも、高鉄(新幹線)弁当は方向性が中途半端でイマイチ。普通の台鉄弁当のほうが何倍も美味しいとおもう。ししゃものフライとか、なんかよくわからんカスカスのセロリ炒めとかやけど旨いのが台鉄弁当。このまま変わらず居てほしい。
高鐵弁当は変な色気を出さず、台鉄のストイックな台湾駅弁感について再考し、精進してほしいものです(エラそう・笑)。
今回の台東旅行のために色々情報提供くださった、寺尾ブッダさんと水瓶子に最大級の感謝を!

【台東】取材旅行備忘録その②~都蘭



都蘭,這個好地方,雖然我不太會衝浪也想住在這裡一個禮拜。感謝Homi·ma接受了我的採訪!

都蘭で民宿や原住民のハンドメイドグッズを扱うお店を経営し、地元のアネゴ的存在のHomi·Maさんに取材させて頂き、原住民の伝統を重んじながらも新しく現代的なアプローチを持って創作している音楽家や芸術家について話を伺いました。

先週末に舒米恩(sumin/スミン)主催の「阿米斯音樂節」も行われアミ族が多く暮らす都蘭は、サーフィン好きやこの土地に惹かれるたくさんの外国人で賑わっていました。
夜にはHomi·maさんに誘って頂き、「1950~60年代原住民音楽のレコードを聴く会」へ。台湾版ピーター·バラカンとも言えそうな、長年台北に暮らすエリックさんという台湾マニア・アメリカ人DJの方がコレクションを披露。
集まった地元のアミ族の老人達が懐かしそうに一緒に歌っているのが印象的でした。それにしても、火を囲むってすごくいいね。パチパチ燃えてる火を囲んで長閑な昔のレコードの音に耳を傾ける幸せな時間でした。

都蘭の海の色が、先日nippon.comさんで記事を書かせて頂いた陳澄波「東台湾臨海道路」とまったく同じ色をしていて感動したり。
http://www.nippon.com/ja/column/g00386/

一週間ぐらいここに泊まってゆっくりしたいなあと思いました。

【台東】取材旅行備忘録その①~鹿野龍田


鹿野鄕龍田にお茶の取材に来ました。
ここには国営の茶葉改良試験場があり、その技術提供を受けた茶農家が無農薬のお茶づくりを頑張っています。

最近台北の茶藝館でも人気のある、濃厚馥郁とした甘みのある紅茶のような烏龍茶「紅烏龍」の故郷です。改良試験場のあとは、数々の受賞歴のあるベテラン茶農家「新峰茶園」の梁さんと、地元にUターンして頑張っている若い茶農家の阿山(アサン)に取材させてもらいました。

「新峰茶園」はもともと、梁さんの義父(奥さんのお父様)が始められた茶園。お義父さんは、新竹から移住してきた客家人で当時より残る樹齢50年ほどの木は「阿公茶」と呼ばれ、台湾国内でも数々のメディア取材を受けた名高いお茶です。もうひとりの茶農家の阿山は、梁さんの奥さんの親戚筋にあたるそうです。


熱気球で有名な鹿野ですが、とにかく風景がうつくしい。
日本統治時代に新潟県からの移民300名ほどが中心となって開墾した地区だそうで、開墾100年を記念して随分前に失われたという神道式の「鹿野神社」が、日本の左官の技術協力を得て道教の廟の脇に再建されていました。

 

四ツ辻の連なるお茶やパイナップルの田畑がどこか懐かしく、母の故郷の九州霧島あたりの景色を思い出させます。
紅烏龍はもちろん美味しかったのですうが、もうひとつ淹れてくださった、まったく改良を加えられていない原始的な茶葉「野生茶」は驚きでした。飯の炊けるような、ほんのり穀物香がする香りと甘みは、蒸しパンを思わせます。しかも、100年前に日本からこの地へと移り住んできた人々はこういうお茶を飲んでいたのかと、しばしその時代へとタイムスリップさせてくれます。
こういう四次元な味覚体験は、その地を訪れなければ味わうことの出来ない醍醐味。お茶に対しての、新しい味覚を、また開いてもらえたかんじです。

2016年11月9日水曜日

【日本映画】君の名は。~「かたわれどき」の賞味期限



台湾でも大ヒット中の「君の名は。」

小学校高学年から大人まで巻き込んでの大騒動らしいが、皆さん一様に「面白かった」とおっしゃる。かくいうわたしも、ちょっと絵柄が苦手かな~なんて最初は思ってたものの、みるみる物語に引きこまれ何度となく涙した。


「君の名は。」のストーリーはこんなんである。
隕石の衝突により無くなってしまった飛騨高山のあたりの小さな町に住む女の子と、東京の都会で暮らす男の子がひょんなことから意識だけ入れ替わってしまい、ふたりが時空を越えることで本来は被災して死んでしまった町の人たちを救う。目覚めれば手のひらからこぼれ落ちるように消えるのごとく、入れ替わった主人公ふたりは当時の記憶を留めることができない。後遺症的に残る「片割れ」への喪失感を感じて年をかさねるうち、都会の雑踏の中でついに二人は出合う。

「入れ替わり」元祖の「転校生」(大林宣彦・監督)そこに筒井康隆「時をかける少女」というパラレルワールド的要素が加わった、ある意味スーパー·ジュブナイル作品である。特に若い層を中心にウケるのがわかる。
じゃあ、なんで大人にも受けたんだろう?

思い出したのが、中学生のとき読んでいた「ぼくの地球を守って」(日渡早紀/通称『ぼくたま』)という漫画だった。あまり詳しく覚えてないが、「月にある宇宙ステーションで地球を見守っていた宇宙人チーム」という前世をもつ人々が、現世で巡りあってスッタモンダする話だ。
わたしも割と影響を受け、「前世の仲間がどこかでワタシを待ってくれてるかも」と当時思っていたことを告白する。
似たような人は結構いたようで、その漫画が連載していた「花とゆめ」って漫画誌のペンフレンド募集欄とか「ムー」などのオカルト雑誌では、「むかしの名前で出ています」ならぬ「昔(前世)の仲間をさがしています」っていう、「ぼくたま」の影響を激しくうけた投稿であふれていた。みんな絶対どこかに存在するはずの「あなた」を強烈に信じていたのである。
今ならそういう現象には名前が付いている。
「中二病」ってやつだ。


「君の名は。」の女主人公・みつ葉はストーリーのなかで一度死んでいる。生まれ変わって男主人公・瀧に改めて出会うのだ。
日本には「袖ふりあうも多生の縁」という言葉があるが、台湾はじめアジアの人々も「有縁」(縁がある)ということを大事にする。仏教の「輪廻」という思想を共有しているからこその考え方だろう。英語圏にも今は「ソウルメイト」という言葉がある。比較的新しく、仏教的な思想を翻訳した言葉かもしれないが、けっこう受け入れられている印象だ。
アニメーションとしての美しさや技術が優れているのはもちろんだが、探し求めていた前世の恋人に出合うという東洋的なテーマが、世界的に「君の名は。」を成功させている理由となっているとすれば興味深いとおもう。


とはいえ、今年40になるわたしはこの作品を観て泣いたりしつつ、「遠くまで、来ちまったな。」と思っていた。なぜなら、みずからの運命的な半身(かたわれ)に出会える「かたわれどき」が、幻想もしくは賞味期限付きであることを、私たちは知っている。
かつて、これ以上なく理想的だと思っていた友人夫婦が最近になって離婚したことを耳にした。わたしだって結婚時に感じていた「前世的」「運命的」な感触なんて今となってはどこへやら、というていたらく。
だからこそ、「君の名は。」という作品は、大人にとってもこんなにも光り輝くのかもしれない。現実の人間が演じていないアニメーションだからこそ、誰もがかつての「中二病」だった自分をぞんぶんに投映できるのだ。
しかし映画はエンディングを迎えればそこで終わるが、ひとの人生には後日談がある。
ひとつの村を救った「君の名は。」主人公の三葉も、これから家事分担とか主導権争いとか浮気心とかで揉めるんである。

じゃあ、かたわれどきから随分とおくへ来てしまった大人の利点って何だろう?
そこは忘れがたい思い出を積み重ねていけるのが大人であると応えたい。飴玉のような甘い記憶を牛のように反芻して意地きたなく舐めている。その美味は、そんじょそこらの子供たちには味わえないものなのだよ、ふふふ・・・

なんて言ってたら、子どもたちに嫌がられそうですねえ。。。




「君の名は。」
監督:新海誠/2016/日本







2016年11月8日火曜日

【お知らせ】エバー航空の機内誌「en voyage」11月号



在長榮航空機內雜誌11月號,我寫了一篇關於泰雅族的染織大師/尤瑪·達陸老師!
エバー航空の機内誌「en voyage」11月号にて、タイヤル族の伝統的織物を復活させたことで今年台湾の人間国宝となった服飾作家、ユマ·タル Yuma Taruさんについて書かせていただきました。ユマさんは映画「セデック·バレ」の衣装を担当された方でもあります。
インターネット上でも公開されていますので、お読み頂けると嬉しいです。
以下のサイトの82~83ページです。
過去のバックナンバーも公開されています。

【お知らせ】陳澄波、幻の絵の発見をめぐって


「ニッポン·ドット·コム」というサイトで、山口県防府市で見つかった台湾を代表する洋画家·陳澄波の幻の絵をめぐるルポを書かせてもらってます。
知られざる日台交流の歴史について、読んでいただけると嬉しいです。

http://www.nippon.com/ja/column/g00386/?pnum=1#auth_profile_0