2016年10月30日日曜日

【本】蛇のみちは/団鬼六自伝 ~鬼のみちは鬼



最近お会いした方が団鬼六の「緊縛の会」に行ったことがある、ときいて久々に急に読みたくなり本棚をまさぐった。
よかった、持ってきてた。
幻冬舎アウトロー文庫から出ていた鬼六さんの自伝「蛇のみちは」。ページをめくり始めたら止まらなくなった。20年ちかく前に読んだきりで内容もうろ覚えだったし、20歳そこそこの小娘が読むのと40歳の大娘が読むのでは人生のボリュームへの実感がちがう。お腹を抱えて笑い転げたり、侘びしさに胃のあたりがキュウと潰れそうになったりしながら、読み耽った。

なんたって、出だしからしてすごい。
就職活動中に小豆相場に手を出して失敗し家出した主人公(鬼六さん本人)は、大阪は新世界の将棋クラブで真剣師(賭け将棋で生業をたてるセミプロ)たち相手に賭け将棋をしながらウロウロしていた。大晦日に打ち負かした相手の男は金を持っていなかったが、男に誘われて釜ヶ崎のアパートに招き入れられる。勝負で負けた金は払えないかわりに「わいの女房とお○こやらしたる」と迫られる鬼六さん。断ると男は「ならせめて」と夫婦の愛撫の実演をはじめる。
「なんぞお好みの体位がございまっか」
という男のせりふと同時に、新年を告げる除夜の鐘がいっせいに鳴りはじめる。
「人生の泥沼の断面を見つめながら耳にしたあの何か物悲しい除夜の鐘の音は、終生忘れられない気がする。」

どうだ、すごいでしょう。

それ以降、文筆家として、ピンク映画やSM界の巨匠として成功していく道のりが描かれ、その間のヌルヌル・ドロドロ・ぐちゃぐちゃの泥沼ぷりが幾度となく披露される。しかし、かぴかぴと乾いた明るさはどこかに常にあり、それが妙にもの哀しくて、気持ちの行き場がなくなった末に笑いとなってこみあげてくる。

黒澤明の名作の殆どをプロデュースした、本木荘二郎と出あう話が衝撃的だった。
あの「羅生門」や「野良犬」「七人の侍」の大プロデューサーでありながら、金の使い込みで東宝をおわれ、ピンク映画の監督をしながら、最後はひとり寂しく死んでいるのを発見されて、共同墓地に葬られ、その墓石には本木荘二郎の荘の名さえ残っていないという。
たくさんの人生の無情が、愛惜を込めて記される。その切なさに、のたうちまわりたいような気分になる。

借金取りに追われて流れ着いた三浦半島で中学教師をしていた時代に通っていた安酒場の話も好きなエピソードだ。
漁師町なので客はみな漁師で、「マグロ社長におビール二本」「イワシさんにお銚子一本追加」「あそこのコンブにわかめ酒」
とか、それぞれ獲っている魚の名前で客が呼ばれたうえ、そこにヒエラルキーもあるという話で、リアル「青べか物語」みたい。酒場のホステスはみな、遠洋漁業に出る漁師たちの情婦である。船が航海に出る日には、正妻や子どもと同じ場所で見送りの出来ない酒場の女達を乗せた見送りのバスが仕立てられ、みな思い思いに着飾ってバスに乗り込むのだが、バスの行き先は、すでに陸から遠く離れた船がみえる岬で、そこから船の上の男たちは大きな棒にくくりつけた布をふり、岸では女達が号泣しながらハンカチを振り返す。
その豪快な別れのシーンに感動し、鬼六さんは別れた東京の女を思ってクヨクヨするじぶんを情けなく思うのである。

多いに格好つけたりハッタリかましつつ、情けないじぶんも容赦なくさらけ出して、ドッカリとまな板のうえに横たわる鬼六さん自身。それを、冷徹な観察眼を持ったもう一人の鬼六さんが天才的な切れ味をもった包丁で料理していく。もうこれは女体盛りならぬ「鬼六盛り」である。しかも懐石料理と言ってもいいぐらい、繊細で優しくて、意外性があり、奥のふかい滋味がある「アウトロー懐石」だ。

鬼六さんのエッセイを初めて読んだのは、漫画評論・原作でご活躍の大西祥平さんが薦めてくれた「牛丼屋にて」というエッセイ集だった。「吉野家」は実は朝から肴つまみつつ酒のむのに最適って話だったとおもう(今手元にない)。その味わい深さの衝撃は、大西祥平さん原作のマンガ「警視正大門寺さくら子」にて、美女警視正のさくら子が朝から吉野家で労働者に囲まれて牛丼をかっこみ周囲の驚きを買うシーンとして昇華された。女子の「おひとりさま」ブームなんてまだまだ先の話だった頃。
わたしも憧れて、いったよ吉野家、注文したよ熱燗。1回だけだけど。
今では、0.1秒たりとも躊躇することなく、これらの事をこなすことが出来る。しかし残念ながら、東京には空がない、ではなく、台湾の吉野家には酒がない。

一般的には「SMのひと」って認識をされてる鬼六さんだが、そのはみ出し方は、鬼六さんより遅れること二年でお亡くなりになった邱永漢さんにも通じるところがある。邱永漢さんも「お金儲けのひと」という認識には収まりきらない天分を持った人だった。

それを考えると、昨今日本で話題になる人って芸能人でも政治家でも、スケールちっちゃいですよねえ。舛添とか。邱さんや鬼六さんと比べたら、ちっちゃさに涙がちょちょぎれそうなぐらい。自己規制やら何やらで細分化されどんどんスケールダウンが進んでいる今の日本では、例えばドゥテルテ大統領みたいなジャンル分け出来ない人が来ると途端に大騒ぎになってしまうのは仕方のないコトなのかもしれない。。

鬼六さんが亡くなった年に、自伝エッセイをまとめたものが出版されていたのを発見した。「死んでたまるか」というタイトルで、表紙はおそらく若かりし頃の鬼六さん。
うっとりするような、イイ男である。
わたしの観たことある鬼六さん(写真だが)は、長めの七三の白髪に紺色の着流しみたいなのが定番スタイルだが、常々その白くて豊かな眉毛と七三の髪の毛がまるで取ってつけた「かつら」みたいだなと思っていた。なんか違和感あるっていうか、ドラマとかで若い俳優が老け役やってるみたい。それぐらい元のお顔や目が若々しい印象だったのだけど、この「死んでたまるか」の写真をみて、つくづく恐らく殆ど元は変わってないのだろうと思った。晩年まで、とっても若々しい精神をお持ちだったのだろう。

「死んでたまるか」で阿川佐和子さんが、推薦文をよせている。
こんなに品よく優しくユーモアを描けるいいオトコになら、縄で縛り上げられても文句は言いません。」

あらまあ。
あたしも、おんなじ気持ちです。


「蛇のみちは―団鬼六自伝」
(幻冬舎アウトロー文庫)  1997/6
団 鬼六 (著)












2016年10月26日水曜日

【台湾ドキュメンタリー映画】四十年 ODE TO TIME~ロックヒーローはどうして27歳で死ぬのか?



ジミ・ヘンドリックス。ジャニス・ジョプリン。ブライアン・ジョーンズ。
ロバート・ジョンソン。ジム・モリソン。カート・コバーン。
最近では、エイミー・ワインハウス。

これらの人に共通の事柄があるが、なにかお分かりだろうか?
皆さんミュージシャンで27歳ぐらいで死んだのちに伝説となった、ということである。あんまりにも27歳前後でしぬロックスターが多いので、「悪魔と契約を交わした27クラブ」とかの都市伝説まであるらしい。日本でいえば、尾崎豊が26歳で亡くなっている。


台湾にも、28歳で亡くなったロック・ヒーローがいる。
名を李雙澤
そう聞いてピンとくる日本人は居ないと思うが、いわゆる団塊世代の台湾人にとっては伝説的なフォークロック・ミュージシャンで、台湾のボブ・ディラン(おっとタイムリー)とも呼ばれた人らしい。お父さんはフィリピン系華僑で、小学校のときに香港経由で台湾に来た。作曲家で歌手、そして画家でもあった。

1970年代以前の台湾音楽市場のメインストリームは洋楽だった。しかし、1972年の米ニクソン大統領による中国訪問、そして1978年の中華民国との国交断絶は台湾の多くの若者に衝撃をあたえ、洋楽への反発へとつながった。そこで生まれたのが台湾民歌、正式には「校園民歌(シャオユエン・ミング)」と呼ばれる潮流である。

唱自己的歌!(自分の言葉で自分の歌をうたおう!)」
を合言葉に「民歌の父」と呼ばれる卑南族/パイワン族の胡德夫(Ara Kimbo)や、文学者・余光中の詩を歌に起こした楊弦が登場するが、中でもヒーロー的な存在だったのが李雙澤である。
李雙澤が舞台で行ったとされる「(欧米文化の比喩である)コカ・コーラの瓶を割る」パフォーマンスは、いまでは「民歌」の象徴ともなっている。
代表曲は「少年中国(サオ二エン・ツォングオ)」と「美麗島(メイリーダオ)」。前者は中共との統一を意識させ後者は台湾独立を意識させるとして、それぞれ戒厳令下で禁歌となった。

ドキュメンタリー映画「四十年」は、昨年行われた民歌誕生40周年を記念するコンサート「民歌40」の模様を交えながら、これら「台湾民歌」の中心人物だった人々の姿を追い、その証言から「民歌」とは何だったのかを考えさせるドキュメンタリーだ。

「民歌」を日本でいうと、ちょうどフォークロック世代とかニューミュージックとか言われる音楽世代にあたり、フォークの神様と呼ばれた「山谷ブルーズ」の岡林信康とか吉田拓郎、「翼をください」の赤い鳥なんかを連想させる。

映画は、現在アメリカ在住の「民歌の父」である楊弦が、ギター屋でマーチンのアコースティック・ギターを試し弾きして、その演奏の素晴らしさに黒人の店主の眼をウルウルさせるという、めちゃくちゃカッコいいシーンからはじまる。また「台湾原住民運動の先駆者」ともいわれる胡德夫が、李雙澤から当時「おまえ卑南族なんだろう、卑南族の言葉で歌えよ!」と叱咤激励されて、
美麗的稻穗  https://www.youtube.com/watch?v=c-Qt6JtrjV8 」
(金曲賞で最優秀歌曲賞を受賞したスミンの「不要放棄」を彷彿とさせる)
を完成させたエピソードはまるで、岡林信康がキング・クリムゾンのロバート・フリップに「俺たちの真似じゃなく、日本のロックを聞かせろよ!」と言われて生み出した日本民謡調ロック「エンヤトット」の話にそっくりだ。
アジアで同時代的に「アメリカに追随せず自分たちの言葉で自分たちの音楽を」という動きが盛んだったことがよくわかり、しかもそのきっかけが、日本は日米安保、台湾はアメリカとの国交断絶という、アメリカを軸にして対極へ向かう出来事から派生しているというのが味わい深い。


もうひとり、映画のなかで中心人物として出てくる人がいる。
今年の東京映画祭は、台湾を代表してこの「四十年)がノミネートされたが、そのレッドカーペットを監督と共に歩いた、名司会者として名高い陶暁青である。
自身のもつラジオ番組で「民歌」を紹介しブームの火付け役となったことから「台湾民歌の母」とよばれた。
陶暁青は映画のなかで李雙澤についての恨みをぶちまける。当時の「民歌」のコンサートで陶暁青は司会者をしていたが、出てきた李雙澤のアジテーションがとんでもなく酷かったというのだ。そして、まるで現在は伝説のようになっている「割られたコカ・コーラの瓶」の真実を語る。そんないいものじゃなかった、と陶暁青は吐き出すようにいう。
「でも伝説ってそうやって作られる、そんなものよ。」

李雙澤はその後、淡水でフランス人の旅行者の女の子を助けるため海に飛び込み、28歳で帰らぬ人となった。伝説の完成である。
李雙澤の残した「美麗島」は禁歌となった後も台湾語の歌詞が付き、美麗島事件をはじめ台湾の民主運動にともなうテーマソングとして歌い継がれていく。そして40年目の今年ついに、蔡英文大統領の就任式で合唱されて、再び話題となった。


「民歌40」では、癌と戦いながらこれが最後のステージになると言う歌手もいた。
40年前から口づさんできた曲を、その頃の憧れのスターと共に歌うことができて、観客みんな幸せそうな顔をしていたが、こらえきれずに泣いている人もいた。この人たちひとりひとりの40年、さぞかし色んなことがあっただろう。わたしも今年でちょうど40歳なのだが、40年って結構いろんなことがある歳月だと我ながら思う。
いわんや台湾をや。
民歌の登場を台湾の民主前夜とすれば、社会的にも激動の40年である。

伝説とはならず、みんな27歳以降の人生を一生懸命生きている。ロックスターだって27歳で死んだ人だけじゃない、その数の何十倍もいて、その中からノーベル文学賞を受賞する人が現れたりする。なんとも愉快じゃあないか。
昨日の映画館の部屋は小さな部屋だったが満席で、お客さんは恐らくリアルタイムで「民歌」に触れてきた年齢の方達って感じだった。本編がおわって、いつもならみんな早々に席を立って帰ってしまうのに、エンドロールが終わるまでひとりとして席をたつ人はいなかった。
これまで台湾の映画館で100本以上の映画を観てきたが、これは初めての經驗だった。



台湾では残念ながら一ヶ月もたずに上映が終わってしまいそうな「四十年」だが、日本人にもそもそも馴染みのない歌ばかりだし、「台湾民歌」の歴史や社会背景など知らなければちょっとわかりづらいドキュメンタリーだけに、東京映画祭でどういう反応がでるか気になるところだ。




「四十年   ODE TO TIME」
監督:侯季然/台湾/2016






2016年10月23日日曜日

【オーストリア映画】愛是一隻貓 Tomcat~ 愛とは一匹の猫であり、ひとつの森である。




言葉を眺めることに疲れてくると私は猫をさがしにたちあがる。猫ほど見惚れさせるものはないと思う。猫は精妙をきわめたエゴイストで、人の生活と感情の核心へしのびこんでのうのうと昼寝するが、ときたまうっすらとあける眼はぜったいに妥協していないことを語っている。媚びながらけっして忠誠を誓わず服従しながら独立している。気ままに人の愛情をほしいだけ盗み、味わいおわるとプイとそっぽ向いてふりかえりもしない。爪のさきまで野生である。これだけ飼いならされながらこれだけ野獣でありつつけている動物はちょっと類がない。

(開高健「猫と小説家と人間」)


あらゆる動植物について名描写を残した作家の開高健が、「猫」について書いたエッセイの一節である。開高はこのあと、「猫を観ていたら女を見る必要がいらない」とつづけ、一匹の猫のしぐさを精細に描いてその三人称を「夏子」とか「ナオミ」にすれば、そのまま女のことを書いた文として通用するだろうと言うが、最後は
「けれど、たとえば『夏子は眠りからさめると優雅に傲ったそぶりでアクビを一つしてからお尻をくまなく舐め、化粧くずれをなおしはじめた』などというのではいけないから、別種の注意を払うこととする。」
というこの上なく開高健らしい、アホくさくも魅力に富んだ一文で締められる。

古今東西、数多くある猫について書かれたもののなかで最もすきな文章のひとつだが、ねこ好きの方ならこれらの描写に思わず「うんうん」と肯いてしまうだろうし、猫好きでなくとも、猫の魅力がいくらかはつたわるのではないだろうか。
近ごろ流行っている言い方で、猫下僕という言葉がある。猫に振り回されながらも猫を溺愛せずには居られないほど猫が好きなひとを指し、台湾では猫奴(猫の奴隷の意ですね)とも呼ぶ。台湾人は猫好きが多く、Facebookでも猫系のページは多くのフォロワーをもっているし、蔡英文大統領も相当な猫奴で有名だ。

先日、試写に呼んでいただいたオーストリア映画の「愛是一隻貓~Tomcat」(愛とはいっぴきの猫である)というタイトルは、そんな猫下僕/猫奴の共感を一瞬でひきだし、観たくてたまらない気持ちにさせる。ポスターのなかで撫でられている猫ちゃんの人たらしな表情が猫奴たちをとろかすのだ。
2016年ベルリン国際映画祭で、LGBT映画最高の栄誉といわれるテディ賞を受賞した「愛是一隻貓~Tomcat」、しかしDMの上に「猫奴請小心服用」という言葉があるように、猫奴のみなさまにオススメするには、いささか気がとがめる。なぜならこの映画は、恋人同士が愛を失うかわりに猫を失う物語だからである。


アンドレとステファンは、オーストリアはウィーンに暮らすゲイカップルである。
同じクラシック・オーケストラの一員として働く二人は、ちいさな森のなかの古く美しい民家に暮らし、公私をともにしている。同じく芸術を愛するオーケストラの仲間達を家に招いてはパーティをひらき、美味しい手料理をふるまう。ジャズ・ミュージックに身体を委ねながら愛しあう。家では裸同然で、動物が寄り添うように暮らす二人のそばにはいつも、愛猫のモーゼがいる。映画の前半では、二人の生々しい愛の生活とモーゼが遊んだり寝転がったり水を飲んだり食べたりする猫の日常が交互にうつしだされる。あたかも、モーゼが二人の愛を咀嚼しながら生きているようだ。

美しい人生を貪欲に享受しつづける2人+1匹の生活は永遠につづくかのように思えたが、ある日ステファンを襲った暴力的な衝動が猫のモーゼを死に至らしめ、状況は一変する。
突然じぶんがしてしまったことが理解できずパニックに陥るステファン。この日を境に、ステファンに対するアンドレの心は冷えきってしまう。それまで家では気ままな裸族だった二人が、以降は下着を身につけきちんと服を着ているのは、ふたりの心の距離の比喩である。猫と同時に、アンドレの心をも失いつつあることを感じ恐怖するステファン。何とかアンドレの気持ちを取り戻したいともがくが、その代償のごとく片目を失い、またアンドレも、ステファンを愛しながらも赦す事のできない状況にくるしむのだった。
やがて二人のもとに、再び小さな白い子猫がやってくる。
戸惑いながらも歩み寄ったふたりが、音楽に身を委ねてふたたびお互いの服を取るところで、エンディングとなる。



映画を観ていて、つい最近話題になっていた悲しいニュースを思い出さずにはおられなかった。
台大で長年フランス語やフランス文学を教えていた67歳の在台フランス人・畢安生(仏名:Jacques Picoux)教授が、投身自殺した事件だ。
台大でフランス語をとっていた学生はみな彼の授業を受けてきたようで、わたしの周囲の台大出身者も例外でなく、一様にショックを隠し切れない様子だった。品がよくチャーミングな微笑みをいつも浮かべていた教授と、授業のあとに決まっていっしょに煙草を吸った思い出を話してくれたひともいた。


畢安生教授はまた、映画を深く愛した人物でもあった。
台湾ニューシネマの製作にかかわり、侯孝賢(ホウ・シャウシェン)、蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)、楊德昌(エドワード・ヤン)、王家衛(ウォン・カーウァイ)らと親交もふかく、彼らの作品をフランス語訳して海外へ積極的に紹介した。昨年も侯孝賢監督の「黒衣の刺客」がカンヌ映画祭で監督賞を受賞したが、元をたどればそうやって台湾映画がヨーロッパで評価されるようになった礎を築いたひとりと言っても、言い過ぎではないだろう。

畢安生教授の自殺の原因は、昨年、35年連れ添った恋人の曾敬超さんを癌でなくしたことにある。
当時、癌の末期にあった曾敬超さんは延命措置をしないように願っており、畢安生教授はそれをよく理解していたという。しかし、同性同士のため婚姻関係になく、内縁としても認められなかった畢安生教授は曾敬超さんの希望を叶えるするすべを持たなかったばかりか、最期に立ち会うことさえ不可能だった。曾敬超さん遺族の決定により延命措置は施されたという。
それだけではない。遺産相続の権利がない畢安生教授は35年もの長いあいだ曾敬超さんと暮らした住まいを、相続することも出来なかった。
それから一年、失意の底にあった畢安生教授は、台北市文山区にある自宅の10階のベランダから身を投げた。今から一週間前、10月16日のことである。

遺言には、曾敬超さんの骨と一緒に海に散骨してほしいとあった。




ウィキペディアで「同性結婚」を引いてみると「同性結婚は認めていないが、同性カップルの権利に対し、何らかの形で法的な保証をあたえている国」という項目のなかに、台湾も入っている。
台湾で、同性婚の法制化に向けてうごきが始まったのは陳水扁大統領のときだが、その後反対する世論が強まり、最近になってようやく「同性パートナー登録制度」が始まった(ちなみに李登輝元・大統領は同性婚反対派で、理由は敬虔なクリスチャンだからという)。県毎に制定された条例に相当するもので、あくまでも法律的な効力はなく、すでに登録カップル数は全県合わせて1000組を超えているようだが、登録することによる具体的なメリットについての記述はみつけられなかった。どうやら形だけの登録制度で、例えば今回の畢安生教授のケースのようなことが起こっても何かしらの効力を持つものではなさそうだった。
そんな訳で、台湾が本当に「何らかの形で法的な保証をあたえている国」に入るかどうかは、今のところは疑わしいと言わざるをえない。



映画に話をもどせば、この作品の作られたオーストリアでは、同性婚とまでは言えないまでも、夫婦に準じる権利を同性カップルに認める法律が2010年に施行されている。
映画のなかでも、「同性カップル」が特別視されない空気は常にあり、ヨーロッパにおける個人の自立に対する懐のふかさを感じることができた。
もっとも興味ぶかったのは、事あるごとに何かの小動物が死に、それが森に還っていくことだった。
最初のほうでは、死んだ蛇が恐らくモーゼによって家のなかに持ち込まれた。死骸はアンドレの手で森のなかに葬られた。死んだモーゼも森に埋められたし、ウサギの死体を見つけるシーンもあった。
何だかまるで、森が生け贄を要求しているみたいに思えてくる。それがもっとも顕著なのは、ステファンが果実を取る作業中に樹から落ちて怪我をし、片方の眼球をうしなう所である。少しずつ何かしらを犠牲にしながら、アンドレとステファンの愛の生活は保たれている。しかし森は奪うばかりではない。果物やきのこなど、季節がめぐるたびに自然の恵をあたえてくれる。
ひとは自分のなにかを差し出しながら、それと引き換えに、小さな森の姿をした「愛」を誰かと育むのかもしれない。
そしてまた森からの収穫物を血肉としながら、老いてゆく。



畢安生教授の件いらい、台湾ではふたたび同性婚についての議論が高まっている。10月20日のニュースでは、最高裁判官7名のうち6名が同性婚を支持し、人権と平等のもとに法改正をするべきと明言したのは、ここ最近の同性婚議論のなかでも大きな進展だった。
現在の大統領である蔡英文は以前から同性婚を支持する表明をしている。
昨日は原発全廃の方針を発表した蔡政権だが、同性婚にかんする法改正の早期実現にも、あらためて期待したいところだ。
愛は、ただでさえ苦しみを伴う。どんなに愛し合っていてもいつかは離別がくる。ならばせめて、どんなセクシャリティーであろうとも、二人の愛情が少しでも多くの人から祝福され、安心して年を取っていける社会に、一刻もはやくなってほしいとおもう。




畢安生教授と曾敬超さんのご冥福を、心よりお祈り申しあげます。




「愛是一隻貓 Tomcat」
監督:漢德克勞斯 ハンダ・クラウス  Händl Klaus
オーストラリア Austria / 2016







2016年10月15日土曜日

【おしらせ】な~るほど・ザ・台湾「KAVALAN」の記事


最近リニューアルされた「な~るほど・ザ・台湾」のHPで、李玉鼎社長にインタビューに伺った「KAVALAN」の記事がアップされました。
KAVALANウイスキーにご興味のあるかた、ご一読いただければ幸いです。

https://naruhodo.com.tw/2016/09/01/kavalan%EF%BC%88%E5%99%B6%E7%91%AA%E8%98%AD%EF%BC%89/

2016年10月14日金曜日

【日本映画】怒り~世間という名の「怒」の正体(※ネタバレ注意)



「怒り(いかり、英: anger)とは、人間の原初的な感情のひとつで、様々な要因・理由で起きるもので、例えば目的を達成できない時、身体を傷つけられた時、侮辱された時などに起きるものである」
(ウィキペディア『怒り』




吉田修一の原作が、「悪人」(2010)に続いて李相日監督で映画化された。

タイトルは「怒り」(台湾公開タイトルは一文字で『怒』)。
豪華なキャスティングと、2時間22分という長さを感じさせない緊密な演出で話題となっている作品だ。

物語は、東京八王子の住宅地の鳥瞰風景からはじまる。
果てしなくつづくかのような、整然と一戸建てが連なる管理された街並み。
ここで起きた殺人事件が発端となり、逃亡生活をつづける犯人をめぐって、沖縄・千葉・東京に現れた謎の男3人のうち誰が本当の犯人なのかをさぐるミステリーが、この映画「怒り」の骨子となっている。

謎の男ひとりは、歌舞伎町のゲイサウナで優馬(妻夫木聡)にひろわれた直人(綾野剛)。
一緒に過ごすうちに次第に直人を信頼するようになった優馬は、亡くなった母親の墓へいつかいっしょに入ろうとまで言う。しかし、ちいさな猜疑心が積み重なり、テレビでみかけた「整形しながら逃亡している殺人容疑者・山神は直人かもしれない」と考えるようになった優馬は、直人を遠ざける。

もうひとりの謎の男は、千葉の港町でちいさな漁業の会社を経営する槙(渡辺謙)のもとに現れた田代(松山ケンイチ)である。
田代は、槙(渡辺謙)と二人暮らしで軽度の発達障害をもつ娘・愛子(宮崎あおい)と関係をふかめ、槙の支えでアパートを借りて共に暮らすようになる。ある日、逃亡中の殺人容疑者の報道を見た愛子は、それが田代ではないかと疑い警察に通報する。田代はそのまま姿を消してしまう。

3人目は、沖縄の無人島にあらわれた男・田中(森山未來)。じつはこの田中が、整形しながら逃亡している殺人容疑者の山神である。
友人の辰哉(佐久本宝)とボートで無人島に遊びに来た泉(広瀬すず)は、廃墟にひっそりと暮らすバックパッカーの男・田中と出合い、いらい度々田中をたずねるようになる。
ある日、那覇に出かけた辰哉と泉は、偶然そこで田中を見かける(ここで泉が何度も田中の名前を呼びかけるのに振り返らないのも、田中が真犯人である伏線になっている)。
3人で酒を飲み田中と別れた後、泉はアメリカ兵らしい黒人男ふたりにレイプされ心身に傷を負う。
泉を助けることが出来なかった辰哉はじぶんの情けなさを責めるが、田中は辰哉に寄り添い「いつだっておまえの味方だよ」と声をかける。このことから、辰哉は田中への信頼を深めていく。
辰哉の実家の民宿をしばらく手伝っていた田中だったが、突如として人が変わったように凶暴になって暴れたのち、民宿から姿をけす。田中を探して無人島に向かった辰哉は、泉がレイプされたことを嘲ける田中の暴言に憤り、田中を刺し殺す。廃墟の壁には、泉のレイプを嘲笑する言葉と共に、八王子の事件現場に残されていたのと同じく、大きな「怒」という文字が残されていた。警察の調べにより田中こそが、逃亡中の山神本人であると判明する。


3つの筋が錯綜しながらも、置いてけぼりを感じたり混乱をきたすことなく、しっかりと物語の世界に没頭することができる。俳優陣の渾身の芝居の魅力を、李相日監督はあますところなく捉えてストーリーにおさめていく。この緻密さ、語り口のうまさ、もう殆どアルチザンの領域だ。

この映画を精密に織られた絨毯に例えるならば、縦糸は「怒り」、そして横糸は「信頼」である。
ー 同性愛者と信じていた直人が、(誤解ながらも)異性の恋人を隠していたことへの、優馬の怒り。
ー 直人を永遠に失ってしまった優馬が直面した、直人の信頼を裏切ったじぶんへの怒り。
ー 娘の愛子を周囲の偏見から守れず、かといってどうすることも出来ない槙の、無力な自分への怒り。
ー 田代を信頼できなかった愛子の、自分の情けなさへの怒り。
ー 田中を信頼して裏切られたことへの辰哉、泉の怒り。

それ以外にも「信頼」と「怒り」の表現をあげればきりがないが、「信頼」というものが如何に脆くはかないものであるかが、3つの群像劇をとおして細かく描かれる。

そのうえ、それぞれの場所で現れる「怒り」は異なる結末を連れてくる。

東京編では、取り返しの付かない「怒り」。
千葉では、やり直しのきく「怒り」。
そして沖縄では、社会へと向けられた「怒り」。

中でも沖縄篇の「怒り」は興味深かった。じっさい沖縄の人たちは「怒る」べき理由を沢山もっている。現に今も、高江のヘリパッド問題で沢山の方々が怒りをもって戦っておられる。
「怒り」とはマイナス・イメージとして捉えられがちだが、ここで提示されるのは「権利としての怒り」である。かつて鳩山元首相の口にした「最低でも県外」という言葉も、信じたかったのに裏切られた沖縄の「怒り」を呼んだ。
映画では米軍基地反対のデモに辰哉の父が参加しているシーンが描かれ、幼い辰哉の感想は「どうしようもない」「あんなことしても無駄」というものだった。しかし、大事に想っていた泉が暴行を受けた。なぜなら米軍基地があるから。それは基地問題に無関心でいた自分に対する怒り、しかし無力な自分への怒りとして、最終的に田中へむけられる。辰哉が田中を刺したのは、単に信頼を裏切られたことだけでないように思う。積み重なった理不尽な事共に対する重層的な「怒り」の発露だろう。


映画を観た直後には、しっくり来ない部分があった。
信頼と怒りについてのテーマはわかる。でも山神の殺人の動機がイマイチ理解できないのだ。山神の元・知人が殺人の動機について喋るが、どうも納得でがいかない。八王子の殺人現場と沖縄の廃墟に残された大きな「怒」の文字が映画の筋とどのように繋がるのかも謎である。
この映画をみてモヤモヤを抱えた人の多くは、恐らくココで引っかかっているのではなかろうか。

わたしもモヤモヤしていた。そして山神(森山未來演じる田中)は、「世間」のメタファーじゃないかと考えてみたところ、途端にするりと謎が解けた。

田中の怖さとは、親切で、無関心で、ときに共感してくれて信頼ができ、しかし突如として荒ぶり、てのひらを返して爆発的な攻撃をしてくるところだ。これって言い換えてみれば世間の「炎上」と似てないか?
冒頭にはじまる、八王子の空撮風景。
何万人という人が暮らし、日々無数の感情が生まれてはぶつかり、ドス黒く燃えあがっているはずなのに、空からみる限り、整然とコントロールされた無味乾燥な街並みが続いている。
この街のなかで、コントロール不能となった怒りの集合体の蠢きが行き止まって爆発するとき。それが、この映画の発端となった殺人事件現場の血塗られた「怒」の正体である。

そう考えれば、田中の不可解な行動のいろんなことに納得がいく。
警察が踏み込んだときにはモヌケの殻だったアパートの壁一面に山神が書きなぐった落書きは、まさに便所の落書きやら、2ちゃんから始まった匿名掲示板を彷彿とさせる。
そこで発生した怒りに理由はない。ただ「侮辱された」「むかついた」。他人には不可解な非常に個人レベルの受け取りかたが、他人を攻撃する動機となりえる。これが現在の社会における「怒り」の現れ方で、ときにそれは人をも殺すほどのパワーがある。

それは「正義」としてまかりとおることもある。
最近、ベッキーとか乙武さんとか色々世間をさわがせた不倫報道について、わたしは基本的に「よそさまのご家庭のことなんやから」とおもっている。大体、ひとんちのことに正義を振りかざしてゴチャゴチャ言うアンタは一体何様でどんだけジブンはお綺麗な生活しとんねん?と逆に聞いてみたくなる。
しかし、世間ではそれを責めたてることが「正義」らしいのだ、どうも。

犯人の名前が「山神」というのも興味深い。
ジブリの「もののけ姫」が描いたように、太古から人間にとって自然が一番の脅威だった。現代人の生活にとっても、自然が脅威であることは間違いがない。東北の震災での津波の被害はいうまでもなく、毎年のように、地震や台風の被害のニュースが絶えない。しかし現代人にとっては、自然以外にも「荒ぶる神」がいる。何かといえば、「世間」である。
行動を通して見て、田中(山神)は多重人格者とか統合失調症とかの精神障害にあたるとおもう。捕まったとしても無罪になったかもしれない。「死刑の是非」「精神障害者の減刑反対」という見地から見れば、世論は怒りを露わにして山神の死刑を望んだだろう。
辰哉は「世間」を代表して田中を殺したともいえる。辰哉が田中を刺したときにみた「怒」の文字はつまり、「世論」の怒りでもある。
また、穏やかな波の中にある無人島は、田中の心のメタファーであると同時に、世間のメタファーでもあるかもしれない。波も穏やかならば、ボートはまっすぐに無人島へとむかっていく。辿り着いた島には廃墟があり、中には様々な呪いの言葉が吐き散らされているのだが。いったん台風がきて荒れ狂えば、ボートの操縦はコントロール不可能となる。


吉田修一李相日は、前回の映画「悪人」で「悪人とは結局なにか?」ということを観る人に突きつけた。わたしのまわりでも「悪人」の妻夫木君に対して、逃亡の苦しみなどへの共感を多く耳にした。結局、事件のいきさつが見えれば見えるほど人は共感をよせる。要は語り口であり、その人が「悪人」かどうかは主観でしかないと映画は語った。
そういう意味で、「悪人」で描いたことを更に突き詰めたのが「怒り」であり、悪人を「序編」とすれば、この「怒り」は本編ともいえそうだ。
ネットで幾人かの感想を読んでいて、こんなことを言ってる人がいた。
泉がレイプされていたときに「ポリスー」と叫んだのは、やっぱり田中だろう。殺人事件の後に改心して自分の罪に怯えていた田中の、泉を助けたかった/助けられなかったことへの葛藤が結局、田中を苦しめ反動的な行動に走らせたのではないか。これは「性善説」にもとずく「怒り」の解釈であるが、こういう色んな意見が出ることも、作品の奥深さを物語っている。
わたしは、「悪人」の妻夫木君も、森山君演じる山神(田中)も、一種の精神障害ではないかと思っている。だから映画の中で、どちらも一貫した行動論理を持てないでいて、そこをどう判断するかは、観る人に委ねられている。
いわば社会のもつ病を体現した存在とも言えて、これに関しては以前「ズートピア」について書いた台湾の「小燈泡ちゃん事件」にも関連するので、興味を持たれた方はそちらも参照されたい。



ここまで書いて気づいたことがある。
これは、個人的な「信頼」と「怒り」の関係を描きならも、じつは社会的マイノリティと世間との壁を提示した映画である。
ゲイの優馬。
セックスワーカーという過去を抱えた愛子。
基地問題に揺れる沖縄。
無垢な少女だった泉が、事件を境に世間から隠すべき弱者の側に置かれる。
美しく青い空と海は一見、ひろい世界や開かれた将来への希望を象徴しているようにみえるが、そこに泉の叫びはむなしく、かき消えてゆく。



「怒り」
監督:李相日/日本/2016







2016年10月10日月曜日

【台湾映画】LE MOULIN  日曜日式散歩者~茄子の色に光る涙は。


台湾の茄子は長い。すんごく、長い。
「一富士、二鷹、三なすび」というように、日本人にとってたいそう馴染みの深い野菜「なすび」。だから台湾の茄子を見たときはびっくりしたものだ。
同じ「茄子」だし、と日本と同じように料理しようとしても、うまくいかない。
茄子の原産地はインド東部らしく、ビルマを経由して中国に渡り、日本に来てから1000年が経つという。京都あたりじゃ、お盆の頃に茄子に楊枝を刺して牛に見たてたりするが、台湾でやれば「龍」になる。しかし形はちがえども、台湾も日本も同じく深い紫色をしている。
茄子の紫色といえば、日本を代表する詩人のひとりである西脇順三郎は、茄子の色についてこんな詩を残している。

ー茄子の色に永遠の 悲しい人間の涙の 歴史が光つているのだ。
(失われたときⅢ)


2016年の台湾国際ドキュメンタリー映画祭で最優秀作品賞、台北電影節では最優秀脚本賞や音響賞を獲得し、2016年の台湾映画界で話題となった作品が、「Le Moulin 日曜日式散歩者」だ。
(2017/1/4追記:2016年の金馬奨では更にドキュメンタリー賞を受賞した)

題材は、1930年代の台南で活動した詩の同人団体「風車詩社」について、その中心人物となった水蔭萍(本名:楊熾昌 1908~1994)、慶応大に留学し「三田文学」にも作品を残したが早逝した林修二(林永修 1914~1944)、そして白色テロにおいて銃殺された李張瑞(1911~1952)ら、シュルレアリズム・モダニズム・ダダイズムの影響を受けた日本時代の詩人たちの作品や人生をもとに、その社会背景や文化的背景のイメージをコラージュして作り上げた、160分にもおよぶ映像叙事詩である。

映画はまず、かの「ムーラン・ルージュ」の風車の風景からはじまり、モボ・モガが闊歩する日本・東京の銀座へとうつる。欧米で花開いたモダニズム文化の花は、遠く東洋の都市にも大きな影響を与えた。


いっとき愛聴していた戦前のSKD(AKBじゃないよ、松竹歌劇団)の音楽集CDをおもいだす。松竹歌劇団は宝塚歌劇団のライバルで、戦前は水の江瀧子、江戸川蘭子、春日野八重子などのスターを輩出した。淡谷のり子の「ジャズ東京」も確か、はいっていた。一曲に、彌生ひばりの「ネスパ・セ・ル・プランタン」というのがあった。うろ覚えだが、こんな歌詞だ。

♪ ペイブメントにウインクが
♪ くるっくるっはね返るとき
♪ すれ違ったフラッパーの肩から
♪ 小指をあげてヤッホー

現代人がフラッパーとかペイブメントとか急に言われても何のことやらわからないが、この頃の都会の最先端の若者は「フォーチュンクッキー」ぐらいの手軽さで「ネスパ・セ」とかの言い回しをしていたんだとおもう。


映画「日曜日式散歩者」のなかで朗読される風車詩社による日本語作品も、同じような空気感をもっている。詩のなかに多用されるフランス語やペダンチックで気取った言い回しなど、今みると「ナンヤネンくどいわ」と思ったりもするのだが、冷静に考えてみれば、欧米から日本(の一部)に届いたモダニズムという風が、当時日本の植民地であった台湾の地方都市である台南まで届いていた、という一種の歴史的証明となっているのは面白い。
だって同時代的に、モダニズムは銀座や大阪には届いていたけれど、東北やら九州の地方の街になんて届いてなかったと思いますよ、あんまり。

台南は重層的な文化の雰囲気が日本の「京都」に似ているとよくいわれる。例えば直木賞作家で「株の神様」だった邱永漢も実家は台南の大きな商家だったし、日本で料理研究家として活躍した辛 永清も台南の名家の出身だった。同じように台南で近代の洗礼を受けた風車詩社のメンバーたちが発表したのも、シュルレアリズムやダダイズムの影響色濃い、世界で最先端の文学だった。
しかし最先端すぎて台南の地元ではあまり理解されないまま、風車詩社は解散。メンバーはそれぞれ「台湾日日新報」などの新聞記者として歩みつつ、台湾を主体とする文芸・美術運動に参加しながら、太平洋戦争・終戦を経て、国民党による白色恐怖政治のなかに投げ出されていく。

ところで、いちばん印象的だったのは、場面が切り替わるところに挿入される「食物」のイメージ映像である。西瓜などの果物や魯肉飯などの家庭料理が、繰り返し定期的にコラージュされるのだが、どれもが非常に「台湾的」な食べ物だ。
日本の植民地時代に生まれ、日本で教育を受け、日本人として日本語で自己表現をしていた風車詩社のメンバーたちが、英語のことわざにある
"You are what to eat."
(人如其食~あなたが食べたものが、あなたをつくる)
という言葉のごとく、台湾の文化と風土で育まれた食物をたべて血肉にしていくと共に、段々と「台湾人」という意識を芽生えさせていくことのメタファーかな、そんな風に考えた。
ホウ・シャウシェンも「悲情城市」の中で度々食事のシーンを登場させる。これは「哀しい運命をすべて呑み込み、とにかく生きていく」という台湾人の態度を暗示していると思うが、台湾映画のなかにこうした食事を比喩的表現として用いることが多いのは、食事を大事にする台湾らしくて面白いとおもう。
風車詩社の作品には、西脇順三郎の影響が大きいという指摘がある。
そこで、冒頭にあげた西脇の詩の一節を借りてみる。

「細長い茄子の色に 永遠の 悲しい台湾の 涙の歴史が光っているのだ。」



「LE MOULIN ~日曜日式散歩者」
監督:黃亞歷/2016/台湾