2016年8月12日金曜日

【台湾映画】六弄咖啡館~ さようなら世界、それが僕の人生の6つ目の路地である。(※ネタバレ注意)




中華圏において「中国語で書かれた中でもっとも映画化してほしい映画」のナンバーワンに選ばれた小説「六弄咖啡館」。
それを著者である藤井樹(呉子雲)が初監督で映画化したのが、この映画「六弄咖啡館」だ。去年のはじめ頃か、わたしの家から20メートルぐらいのところで映画のロケをしていた(上の写真がロケに使われたカフェ)ので気になっていたのだけど、この夏に公開となった。

が、じつはこの作品、公開前から色々ケチがついた。例えばメインキャストの「蔡心怡」役で欧陽菲菲の姪っ子、歐陽妮妮の「替え玉受験」スキャンダルが発覚したり、特別出演のレオン・ダイ(戴立忍)の謝罪事件が取りざたされたりといった具合で、にも関わらず台湾ではヒットしており、ヤフーでも「アホみたいに泣けた」と高評価が並んでいる。


遠距離恋愛の恋人と喧嘩し道で泣き崩れていた張榕容が、レオン・ダイの経営するカフェ「六弄」カフェに招き入れられ、「遠距離恋愛」についての昔話を聞く内に少しずつ落ち着きを取り戻す。
昔話とは、レオン・ダイが高校から大親友だった閔綠(董子健)をめぐる、楽しく辛い青春の記憶だったー
というのが大まかなストーリーだ。

レオン・ダイ「蕭柏智」の高校時代を演じたのは、台湾の若手俳優の中でも注目株の林柏宏。(たぶん本人は180度ちがう性格なのでは?と思うが)銅像に落書きしたり喧嘩したりするクソガキっぷりを熱演して、あたらしい顔をみせた。
もうひとりのメインキャスト關閔綠を演じるのは、中国で人気の若手実力派・董子健。

高校では勉強そっちのけでバカなイタズラばかりしている閔綠(董子健)と柏智(林柏宏)、ふたりは大の親友でもある。
閔綠はいつの頃からか片思いだったクラスメイトの李心蕊(顏卓靈)に告白し二人は付き合い始めるが、卒業・進学と共に台湾南端の街と台北との遠距離恋愛となってしまう。バイトに精をだして週末ごとに台北に通うのが生活の中心となった閔綠。
一方の心蕊は台北のカフェで働きはじめ(このカフェが冒頭の写真のカフェ)、じぶんのカフェを開くためにシアトルに行く夢を抱いている。
今の生活にピリオドをうち一刻もはやく心蕊と故郷で暮らしたいと望む閔綠と、夢を追い駆けたい心蕊とのあいだには少しずつズレが生じ始め、ついに心蕊は閔綠に別れを告げる。程なくして母親まで亡くした閔綠は、絶望のどん底に突き落とされて、ついに海に身を沈めるのだった。



実際に見た感想として、この映画は小説を映画化する際に、やってはいけないことをいくつかやってしまっている。
まずひとつは、著者(しかも映画制作未経験)がメガホンを取ること。
原作に思い入れが強すぎるのか知り尽くしているストーリーだからか、丁寧に語られないままお話が進むので、細部の辻褄が合わなかったり意味がわからないままで、誤解がうまれる部分が多い。
例えば、最後のレオン・ダイ(成長した「蕭柏智」)の妻は心蕊の親友だった「蔡心怡(歐陽妮妮の役)」なのだが、郵便物の宛名を映す時間が短すぎる&もうひとりの女主人公「李心蕊」も名前に心がつくので、どちらだったのかわからなくなる。
最後のエンドロール後に一瞬出てくる猫の「小緑」を飼っている女性も(おそらく)成長した李心蕊なのだけど、レオン・ダイが居るところと似たような海の風景を観ているので、いや、それとも李心蕊も死んで、やっぱりあれも蔡心怡なんか?ってか3人でカフェやってるんか?
あの「一日一弄」のバケツは一体何だったのか?
とか、細かいとこを始めとして演出や編集の拙さがすごーく気になった。
(そういう意味で、九把刀ってやっぱりすごいのだ)
もうひとつは、色んな大事なことをすべてセリフとして言わせてしまっているところ。
例えば、最後の閔綠が花火を上げながら泣きじゃくるところなど、とにかく全体的に喋りすぎで、せっかく「映画」なんだから矢張りそこは「映像」で観せてほしかったと思う。

それでも、お話の良さと俳優たちの気合を感じるお芝居などパワーにあふれる映画で、なによりもレオン・ダイの存在感は素晴らしかった。

さて、「六弄咖啡館」の「六弄」って何だろう?
台湾の道路は裏通りの小さな路地にまできちんと名前があり、大きな順から「路→街→巷→弄」と後ろにつく。だから「弄」はいちばん小さな路地を指し、「六弄」というと「6番目の路地」ということになる。つまりレオン・ダイが経営するカフェの住所は「六弄」にあるのだろう(最近、こんな風に住所をカフェやレストランの店名に冠するのが台北では流行っている)。

そして、後でネットで見つけたのだけど、(おそらく)原作の中にこんな一節があるようだ。

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「六弄人生: 人生,像走在一條小巷中,每一弄都可能是另一個出口,也可能是一條死胡同。
生在一個與一般人不同的家庭中,是我人生的第一弄;
愛上了妳,是我人生的第二弄;
 註定般的三百六十公里,是我人生的第三弄;
 失去了妳,是我人生的第四弄;
母親的逝去,是我人生的第五弄;
 在這五弄裡,我看不見所謂的出口,出現在我面前的,盡是死胡同。
該是結束的時候了,該是說再見的時候了,
 再見,世界,是我人生的第六弄。」

六弄人生:人生はまるで小さな路地を歩いているみたいなものだ。それぞれの路地にはもう一つの出口が有るかもしれないし、或いはそこには死という行き止まりがあるかもしれない。
普通の人とは違う家庭に生まれた、これが僕の人生のひとつ目の路地。
君を好きになった、これがふたつ目。
みっつめは、君とのあいだの360キロの距離を通うことになったとき。
よっつめ、君を失ったとき。
母を亡くしたのが5つめ、このとき僕にはいわゆる出口が見えなくなった、そこに現れたのは死という行き止まりだった。
そろそろもう終わりにしよう、別れをいわなきゃいけない。
さようなら、世界。
これが僕の、6つめの路地である。



(※日本語訳は当ブログ筆者によるものです)
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つまりここでの「六弄」は、自殺した閔綠の人生への感慨をあらわしている。


そしてもうひとつ(ここからは深読みコーナー)。

中国語の「弄」は英語の「Do」(~をする)という動詞でもある。
数字の「六」を表す手は、こういうふうに表される


つまり「六」を「弄」するとは、恋人同士の約束=「打勾勾」(日本でいう『ゆびきりげんまん』)なのね。


と、いうことは。
あの男子ふたり(董子健と林柏宏)が劇中で繰り広げる変な腰を「くいっくいっ」とやって最後、おたがいの腰(っていうかチンコ)をくっつけるようにする動きしますねえ。あれはつまり、二人にとっての「打勾勾」を表してるんですね~!(って淀長さん風に)

後半、高校の同窓会でカラオケに集まったけれど、閔綠だけは会場に入らずに心蕊をバイクの後ろにのせる。そこに出てきた柏智が、お決まりの「くいっくいっ」をするのだけど、昔みたいに閔綠が一緒になって「くいっくいっ」をすることはない。後ろに心蕊をのせて、クイクイする柏智を微笑んで見てから、走り去る。それを見送る柏智の浮かべるせつない表情。
そしてラストの、レオン・ダイが習慣にしているらしい浜辺に出てひとりでやる「くいっくいっ」。
手紙のなかで、閔綠は柏智にお願いする。
「心蕊の夢を叶える手伝いをしてあげてほしい、場所はどこでもいい、甘いエスプレッソを出しさえしなければ。僕ら親友だろう?」
いちばん大事な人の一番つらい時期に自分はどうにもあげられなかったという無力感がじわじわ心に響く。そのことへの贖罪から、レオン・ダイは「六弄」カフェを開いたのだろうか?当時は「恋愛感情」とまではっきり自覚しては無かったにせよ、柏智は閔綠を好きだったんじゃないだろうか。
こう見てくると、この映画は見事に台湾青春映画の金字塔である「藍色夏恋」や「BF*GF」の系譜に連なる様で、共通して描かれる無力さと切なさこそが、台湾青春映画の魅力ともいえるだろう。


ところでこの映画、多くの中国企業スポンサーが付き、メインキャストにも中国人俳優と香港人の女優が入って中華圏で大々的に上映予定だったが、レオン・ダイ(戴立忍)が台湾独立派のデモを支持していた(実を言えば實際のデモの争点は台湾独立ではなかったにも関わらず)などが原因で中国ネットで炎上、もう撮影が終わった映画(ヴィッグ・チョウ監督)の主役を降ろされるわ公開謝罪に追い込まれるわとエライ騒ぎになった。
その関係で、この映画も公開時はレオン・ダイのシーンが削られるらしいような話を聞いた。台湾では一応削られてなかったけれど、實際いま中国ではどんな風に上映されているのだろうか?
レオン・ダイが削られると、映画として全く成立しなくなってしまうのだけど・・・ちょっと気になるところである。


六弄咖啡館/監督:藤井樹(吳子雲)
台湾/2016





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