2016年7月24日日曜日

【イラン映画】Jafar Panahi's Taxi/計程人生/タクシー ~薔薇と罪は地続きにある



先日、ご主人の海外駐在に付き添って中東にしばらく暮らしておられた方と話した。
そして、「サウジアラビアなどに比べたら、イランはずっと女性の自由度が高い」というお話をふむふむ、と伺った。
ちょうどこの「タクシー」という映画を観たあとだった。
日本や台湾にいて、しかも現地に一度も行ったことのない人間にとっては、世界を騒がせている「IS」や自爆テロのニュースでもちきりなイスラム世界全体がひとしく漠然と「なんかめっちゃ怖いとこ」っていう認識にどうしてもなってしまうのだが、
もっとピンスポットな問題を見せてくれる映画や詳しい人の話を聞くことで、彼・彼女らが抱える問題が自分とは遠い異世界のことではなく、地続きのところにあると理解する糧となる。

この「タクシー」もそんな映画のひとつだ。

監督のジャファール・パナヒ(jafar panahi )は、つい先日亡くなったイラン映画の巨匠、アッバス・キアロスタミの助監督をつとめていた人。
女性差別をはじめ、一貫してイスラム社会やイラン国内の問題を描き続けているが、ユーモアも織り混ぜた穏やかなスタイルがより当局の神経を逆なでするのだろうか?イランで暮らすサッカー・フリークの女の子達を描いた(イランでは女性がスタジアムでスポーツを観戦することが禁止されている)
「オフサイド・ガールズ」(2006年)は、国内で公開禁止の憂き目にあった。
その後の大統領選でも、改革派を支持して自宅で逮捕・拘束されるなど、「反体制」な映画監督としてはイラン国内でも有名人らしく、映画の中でも
「あら!監督じゃない!どうしてたの?」
みたいなやり取りがなされる。

それ以来、実質的に映画が撮れない状況にあるらしいパナヒ監督の最新作がこの、ドキュメンタリーなのかフィクションなのかイマイチわからない傑作「タクシー」だ。

映画は、タクシーの運転手を始めたパナヒ監督の目線で展開する。
最初、タクシーに乗り合った女性客と男性客は、女性の権利について言い争いになる。
イランのタクシーシステムがよくわからないが、どうやら相乗り制で、先に乗っている乗客の行き先を理解したうえで乗り込む、そんな感じみたいだ(運賃をどうやって計算するのかは不明)
最初の客が降りた後も、違法に海外から輸入したDVDを扱う胡散臭い男や、交通事故で血だらけの夫が死にかけている夫婦や、目的地まで水槽で魚を運ぼうとしている年配の女性や、様々な人が乗り込むが、総じて男性はせせこましく、女性たちはやたらめっぽう元気がいいのが印象的である。

映画の後半、監督はじぶんの姪っ子を学校にピックアップしにいく。
(この姪っ子がすごい。とにかくすんごい口の立つ女の子で、しかも可愛い)
姪っ子はカメラを構えている。学校の課題で短編ビデオをとることになったのだ。だが、作品には先生が規定した様々なガイドラインがあり、それを守らなければ課題として提出することが出来ない。

かつては特権的だった「映画制作」という仕事が、いまやポータルな機器を通して子供の宿題レベルにまで降りてきている。
しかも「映画のプロフェッショナル」であるパナヒ監督が国家的な制約によって撮れないかわりに、子どもたちがカメラを手にし、これまで「撮る」側であった監督にレンズを向ける。
しかし子どもたちの世界でも、様々なガイドラインに沿わなければ作品は学校で認められない。結局、国家の検閲体制から逃れることは出来ないのである。

途中、監督が車を離れ姪っ子が街を撮影している間、見知らぬ少年が窃盗を働いている現場が映り込む。姪っ子は少年を呼びつけ
「あなたのせいで盗みの現場がカメラに写り込んでしまった。これは学校の課題のガイドラインに反する。もう一度カメラを回すから、盗んだものを戻してくれ」と頼む。
少年はそれに從う。

少年が盗んだから、それがカメラに写り込んだ。
しかし、学校のガイドラインに沿えば、それをあらかじめ無かったことにしなければならない。
ここに、パナヒ監督の、イランにおける「映画」や「自由な言論」に対する強烈な不安と風刺が込められているように思える。

一番最後にタクシーに乗り込むのは、真紅のバラの花束を抱えた女性人権弁護士だった。
監督とおなじく改革派として仕事を失っているが(劇中だけでなく、実際の本人もそうらしい)、ペルシャの象徴であり「自由を希求する」シンボルとしての真紅の薔薇を一本、監督にわたす。

最後の目的地において、車のフロントに置かれた一本の薔薇ごしに、銃撃戦がおこる。
車に置きっぱなしにされていた姪っ子のビデオも、盗まれたのか、警察に没収されたのかはわからないが、なくなってしまう。姪っ子が持っていた「カメラ=最後の砦」が、「自由を希求する」象徴である薔薇ごしに無くなってしまうといのは、本当にモノスゴイ皮肉であるという他ない。


「バラ、イスラム教」でぐぐってみた。
ウィキペディアには、「真紅の薔薇=唯一神・アラーをあらわす象徴」とある。シーア派のシンボルも、真紅の薔薇をかたどったものらしい。
あれ、女性人権弁護士さんは、「自由への希求」のシンボルと言ってなかったっけ?

いま世界各地で、一集団の「正義」の名のもとに多くの命が失われていっているニュースを毎日のように聞く。
タクシーの内と外。正義と罪。自由と不自由。実はどれもが地続きにあり、はっきりと何処かで線を引くことは出来ないのだ。


「危ないのは、あっちがわ」
これまで、なんとなくそういう感覚を当たり前のように享受してきた私たちに、パナヒ監督は微笑んでこう聞いている。
「どこからがそちらで、どこからがこちらなのだろうね?」

「タクシー/計程人生/Jafar Panahi's Taxi」
監督 ジャファール・パナヒ jafar panahi  賈法爾·帕納希 جعفر پناهی
イラン Iran/2015(2016年台湾公開)













2016年7月23日土曜日

【台湾映画】五星級魚干女~歴史のもつ煮込み(※ネタバレあり)


わたしにとって「もつ煮込み」といえば大阪、そして「東海林さだお」だ。
東海林さだおの本は何故かトイレによく似合い、「笑いのもつ煮込み」もなんど繰り返し読んだかわからない。台湾ブームの昨今だし、東海林さだおにぜひ「台湾の丸かじり」を出して欲しい(ぜったい買う)。

というのはさておいて・・・

台湾は地理的に、日本・中国・アメリカという三つの大国に囲まれている。
住んでいると、確かにその位置関係と同じく文化や経済・政治的にもちょうどのその真中にいて、それぞれの影響を色濃く受けていると感じる。

台湾とアメリカの関係と言われても日本人にはピンと来ないかもしれないが、実はアメリカへ移民した台湾人は台湾の人口比率でいえばとっても多い。
李安の映画「推手」でもアメリカに移民した台湾人一家の生活が描かれるが、これには政治的な動きが大きく関係している。
例えば、李登輝をきらった蒋介石夫人の宋美齢に代表されるように、国共内戦後に台湾へ政府がうつった後に台湾に馴染めない、もしくは民主化にともなってアメリカへ移住した外省系台湾人は少なくない。陳水扁が総統に当選した時は、中国が攻めてくるのを恐れて多くの人がアメリカへ脱出したという話もきくが、また逆に、国民党による戒厳令中の白色テロを恐れてアメリカに渡った本省系台湾人もいたりする。
現在アメリカにおける台湾系アメリカ人は10~50万人と言われている。
しかし、総じて高度な教育を受け社会的地位や収入の高い人が多い、という特徴がある。

また学歴重視の社会ということもあってか留学組も多く、今の小英大統領もアメリカで法学修士をとっている。前の馬英九総統もハーバード帰りだが、スタンフォードとかハーバードを出まして、なんて人はそのへんにゴロゴロしているし、子供がアメリカにいるとかパスポート持ってるとかいうのも珍しくない。英語能力は平均的に日本人より高い印象だし、年配の人でも英語が達者な人が多い。東区のクラブで遊んでる若い子の中には結構な確率で裕福な親をもつ「ABC」(American born Chinese の略)がいて、忠孝敦路にあるZARAのメンズ・コーナーでは見た目台湾人だけど会話は英語みたいな子達がウロウロしている。

そんな訳で、台湾の若い子は「日本派」と「アメリカ派」に分かれるのだけど、すごく大雑把にいえば、ゲームやアニメ・漫画に興味がある子たちは「日本派」で、そういったコダワリや趣向がない子は自然と「アメリカ派」になっている印象を受ける。アメリカ派の子たちは、東区で目立っているようなABCの子供たちやアメリカでの生活に、漠然とした憧れを持っているようだ。


この「五星級魚干女」の主人公・芳如(柯佳嬿)もそんな、アメリカ留学を夢見る女の子だ。
実家は台北の奥座敷、新北投にある古い温泉旅館「今日温泉旅館」。
父母を事故でなくし、旅館の経営者である淑芳おばあちゃんに育てられた。
「魚干女」は、ひうらさとるの漫画「きらきらひかる」で生まれてドラマ化され、日本で流行語にもなった「干物女」(恋愛をはじめ色んなことを面倒くさがる女性のこと)のことだが、タイトルの通り主人公の芳如も恋愛を放棄した如きだらしない生活を送っている。

ある日のこと、たったひとりの身内である淑芳おばあちゃんが足を怪我して入院したことが元で、実は旅館がたくさんの借金を抱えており、このままではアメリカ留学どころか、歴史ある旅館も畳まなければならない事態が発覚した。
それを知った芳如は、淑芳おばあちゃん秘蔵の年代物の「バイオリン」を目当てに旅館に「居残って」いたアメリカ人のバックパッカー・アレン(Allen)を巻き込み、すったもんだしながら「五つ星」の旅館を目指して奮闘をはじめる。

この映画の肝になるのが、淑芳ばあちゃんの「バイオリン」である。
実はこのバイオリン、国際的に有名な日本人バイオリニスト「山田智生」がまだ無名だった戦前、この旅館へ逗留中に恋仲になった淑芳ばあちゃんへと残した思い出の品だった。

バイオリンの価値を知り、一時は売り払ってしまうことも考えた芳如だったが、ある日バイオリンの持ち主である日本人・山田智生が訪ねてくる。
それにより、これまで知らなかった真実、つまりこの山田智生が芳如の実の祖父であること、そして色んな行き違いがあったものの、山田智生がいまだ淑芳お祖母ちゃんを想っていることが明らかになるのだった(じいちゃんばあちゃんの回想に全く色っぽいシーンがない割りに、子供ができてたと聞いた観客がショックを受ける仕掛けになっている)

山田智生は淑芳ばあちゃんに「これから日本に来て一緒に暮らさないか」と持ちかけるが、淑芳ばあちゃんは拒否する。
「わたしは、この旅館を続けていかなければならない」。
かくして、アメリカ人アレンとの恋愛を育み力を借りながら、芳如は淑芳ばあちゃんの右腕として、「山田智生のバイオリン」を目玉に、世界中から客を呼びこんで旅館を盛り上げていくのだった。

そもそも、西洋で生まれた「バイオリン」が日本人によって旅館に持ち込まれるのは、西洋列強によって一足先に近代化した日本が台湾に「近代」の文化を持ち込んだ歴史そのままだ。
さらに、何日かの滞在を共にし恋愛を経た日台カップルが、その後連絡が取れなくなりつつも、子を宿し孫へと代を重ねるくだりは、戦後に日本が台湾を放棄し、また1972年にも国交断絶で、台湾日本語世代云う所の「二度捨てられ」ながらも、ずっと日本に「友好」以上の好意を保ってきてくれたことを彷彿とさせる。

ここで大事なのは、淑芳おばあちゃんが、日本で一緒に暮らそうと山田に誘われながらも、「いいや、わたしはわたしでやっていく」と断るところだ。
日本に対して思慕はもちつつも、自立した個人として目覚めた「台湾」は、アメリカとも上手くやりながら国際社会で大発展を遂げ、先進国の仲間入りをした。
山田智生の残したバイオリンを目玉に新たな魅力のある旅館として売り出していくあたりは、最近台湾で主流になりつつある、日本時代の建築遺産を活かした観光スポットの開発という流れとも重なる。


そんな意味でこの「五星級魚干女」は、日本時代の遺産を受け入れ、アメリカ文化も取り込み、それら全てを活かしながらしなやかに生きてゆく台湾の自画像である。

プロデューサーの葉天倫がどこかで、「この映画は台湾へのラブレターだ」
と語っていたが、「海角七號」が日本へのラブレター、「湾生回家」が日本から台湾へのラブレターであるなら、まさにこの「五星級魚干女」は、台湾人が台湾みずからへ送ったラブレターである。
さらに言えば、この旅館の和風家屋の一部を見ていてどうにも「北投文物館」に思える(公表されていないので特定出来ず)のだが、もしそうならば、このロケ地は戦時中、神風特攻隊の軍人が最後の夜を過ごしたかも知れない場所なのだ。そして、彼らの死にゆく先はアメリカ軍の母艦であった。

歴史のそんなこんなを全てを飲み込んで消化して、台湾人が台湾に対して愛を語る。
そんな時代の映画ができていることが、とっても頼もしいし、嬉しい。
最近の戴立忍事件をはじめ、中国の意向によって映画の方向性が左右される昨今において、益々窮屈になっていく台湾映画の現状において、それは紛れもなく貴重なことなんである。


ちなみにヒロインの柯佳嬿はその後、歴史ドラマ「紫色大稻埕」のヒロインで大ブレイク。これから益々将来が楽しみな女優さんだ。


「五星級魚干女 Welcome To The Happy Days」
林孝謙 監督/2016/台湾
























2016年7月1日金曜日

【台湾映画】傻瓜向錢衝 ~台湾の一番美しい風景は人である。


台湾に来たことのある日本人の感想としてよく耳にするのが「人情がある」「人がとっても親切で優しい」という言葉だ。
こういう外国人観光客からの賛美が台湾の若い人に逆輸入されたのか、昨年あたりに「台湾的最美麗的風景是”人”(台湾で最も美しい風景は人である)」という言い回しが流行った。

これまで10年ちかく暮らしてきて、台湾の人の優しさや親切にはほんとうに助けられた。現に今だって、バス利用の子供の送り迎えで毎朝毎夕たくさんの方が子供に席を譲ってくれる。子供の踏ん張る足の力はまだまだ不安定で、台湾のバスの急ブレーキには時にヒヤヒヤさせられるから、席を譲ってくれる親切心は掛け値なくありがたい。
また、「良い行いをする」という事に日本人はテレがちだけれど、台湾の人にはテレがない。そして、自分がどう周りに映っているのかも、まるで気にしない。
その無意識さが「最も美しい風景」となり得ている所以かもしれない。

それとは逆にその無意識さが、マナー違反や秩序のなさに繋がる場合もある。
「もっとも美しい風景」は、同時に「もっとも醜い風景」へと様変わりする危険性を孕んでいる。
それを代表するのが昨今の「頂新」を初めとする食の安全問題で、自分(とその家族)さえ良ければ、金を儲けられれば消費者の健康なんてどうでもいい、という銭ゲバみたいな根性は台湾の「醜い風景」代表とも言えるものだろう。




台湾生まれの日本人が「ふるさと台湾」へもどる様子を描いて話題となったドキュメンタリー映画「湾生回家」を撮った黃正銘監督が、台湾の有名なお笑いタレントコンビ「浩角翔起」を主役に撮った劇映画「傻瓜向錢衝」。
たぶん興行収入的には全くふるわなかった作品だと思うが、最近観た作品のなかで、「これぞわたしが観たかった台湾映画」と思える、いい作品だった。


舞台は台北。
ネジを作る町工場が倒産すると共に、社長と娘は工場を管理していた昌仔(浩角翔起の浩子)に借金を押し付けて夜逃げする。
昌仔は借金のかたにヤクザが経営する高利貸しで働くことになり、同じく負け犬的にこの事務所に流れて来た阿寶(浩角翔起の阿翔)とコンビを組んで、未返済の借金を取り立てるために台湾中を回るミッションを課せられる。
とにかく少し抜けていて気のいい二人はことごとく取り立てに失敗するのだが、これを見ていて思い出したのが、陳玉勳監督の名作「熱帯魚」(1995)だ。
子供の誘拐・都会と地方の格差・水害・受験戦争という深刻な当時の社会問題を背景に、誘拐犯と子供の旅をユーモラスに描いた、笑えるけれどとてつもなく悲しいこの作品が描いたのも、「台湾の最もうつくしい風景は人であり、悲しい風景も人である」という事実だった。
そういう意味で「傻瓜向錢衝」は、「熱帯魚」が明確にした台湾映画の魅力を、正統的に受け継いでいる。



昌仔と阿寶が取り立てに行った先の一つが孤児院で、沢山の孤児たちを世話しているのは足の悪い園長ひとりだった。二人の脅しにも少しも怯むこと無く悪びれずに園長は言う。
「ごめんなさい、返すお金は無いの。そうだ、私の足を切って持って行ったらいいわ、そしたらあなた達の顔も立つでしょう」
こういうセリフ、たぶん日本映画だと成立しないと思う。リアリティがあまりにも無さ過ぎる。
でも台湾映画だと、大げさとも思える言葉が妙な現実味を負って聞こえてくる。台湾のどこかに、こんな園長先生が本当にいるのではないかと思いさえする。

そして「うつくしい人」代表が、田舎に一人で質素に畑をしながら暮らす昌仔の祖母だ。実際、昌仔は祖母を「世界一美しい女性」だと阿寶に紹介する。幼いころから親代わりに昌仔を育ててきた祖母は、昌仔がなにを言うでもないのに、別れ際に大金を渡す。
「なにか困っているんだろう?」

また自分の命もかえりみずに、祖母は昌仔らを細い腕で追手から守ろうとする。
そこに居るのは、「楢山節考」の「おりん」である。
どうして、こんなにも日本人が台湾の優しさに惹かれ、台湾に懐かしさを感じるのか。
それは今や日本には居なくなってしまった「おりんばあさん」が、まだ台湾には存在し得る、そんなことを肌で感じ取れるからではないか。深沢七郎が今も生きていたら、きっと台湾を大好きになったに違いない。


映画のなだけでなく、こんな人もいる。
名前を「陳樹菊」さんといい、13歳の頃から台東の中央野菜市場で野菜を売って暮らしているおばあさんだ。
陳さんは、野菜を売って得た所得を寄付するのを長年続けてきて、その合計金額は1,000萬元(日本円およそ3000万円)にのぼり、そのお金でこれまで学校や図書館が立てられたり、孤児たちが養育されてきたという。
2010年に米国フォーブス誌アジア版で、「アジア太平洋地区における傑出した慈善家のひとり」として選ばれた陳さんは同年、米国タイム誌において「その年の最も影響力のある100人」にも選ばれた。
タイム誌の表彰パーティーへの招待に対し、陳さんは当初「日常のことをしただけで、大したことをしていないのに」と出席を辞退する意向を示していたという。
こんな人が台湾からは出てくるという話を聞けば、妙に納得し深く頷かずには居られない。

台湾ってホントに、そんなとこなのだ●


「傻瓜向錢衝 Two Idiots」
監督:黃銘正/2016/台湾映画