2016年5月18日水曜日

【台湾ドキュメンタリー映画】靈山 The Mountain~一滴の水が地面にしみとおるように暮らす





今年で十回目となる「TIDF/台湾國際記録片影展」(台湾国際ドキュメンタリー映画祭)で観た作品。

とあるタロコ族のおじいさんは現代生活の中にありながら、部族に伝わる伝統的な狩りやお供えの儀式を黙々とこなして日々を送っているが、その生活を記録した映像の合間合間に、日本時代と戦後に制作された記録映像、そして1980年代に沸き起こった原住民によるデモ運動を記録した映像が挟まれる。

日本統治時代・国民党時代に制作された記録映像は、それぞれ「原始的生活の近代・現代化」というテーマで作られており、原住民の同化がすなわち当時の政府のプロパガンダとして作用していた事が示され興味深い。其れに対して1984年から始まった「臺灣原住民族正名運動」の、自らのアイデンティティを示す部族名・姓名・地名などを回復するよう政府に求める原住民の人々が、各々伝統的な衣装を身にまとってケタガラン大道を埋め尽くした記録映像も圧巻であった。


さてこの作品に出てくるおじいさん、じつは監督の祖父だそうだ。
フィルム(驚くべき事にこの作品は16ミリで撮られている)には、誰に何を言うことも言われてやることもなく、ひたすら自分の領分を守って淡々とやるべき事をやりながら日々を送る、そんなおじいさんの暮らしぶりが素直にフィルムに焼きつけられている。その非常にシンプルな描き方に好感を感じるとともに、大江健三郎の長編小説「燃え上がる緑の木」の最後に出てきた、こんなセリフを思い出した。

「本当に魂のことをしようとねがう者は、水の流れに加わるよりも、一滴の水が地面にしみとおるように、それぞれ自分ひとりの場所で、『救い主』と繋がるよう祈るべきなのだ。」


日本時代には「蕃族」「高砂族」と呼ばれ、戦後は「山地同胞」と呼ばれた原住民。日本人に漢人という、異なるふたつの支配者にまたがって同化政策を受けながらも、伝統的な暮らしぶりを「祈るように守ってきた」このおじいさんのような方々にたいして尊敬の念を禁じ得ないとともに、作品に示された数々の歴史を経て、蔡英文新総統により先日政策発表された中の

「原住民こそが台湾本来の主人であり、その生活と文化は尊重されるべきである」
http://iing.tw/posts/46

という言葉に終に辿り着いたのかと思うと、胸が熱くなった。


この若い監督によるこの作品は今回、審査員特別賞を受賞した。
先日の「只要我長大」の感想でも書いたように、地方の原住民を取り巻く環境は厳しいが、
http://taipeimonogatari.blogspot.tw/2016/03/blog-post_25.html
それを原住民自らの手できちんと問題視して作品として描く流れができつつ有る現状を見れば、先行きは明るいようにも思える。
20日には新総統が就任するが、これからの「原住民映画」にも大いに期待したいところだ。



「靈山~The Mountain」
蘇弘恩/2015 /台灣 /60min



2016年5月2日月曜日

【香港映画】暗色天堂~それぞれの羅生門





「ひとつの出来事について各々が違う角度から語るが、真相は全く別の姿をしていた」。
そのような作品を語る時に,よく使われる中国語が「羅生門」である。
言わずと知れた芥川龍之介の小説で黒澤明監督が映画化したものだが、この後者の映画版の表現手法を指して、中国語でそのまま「羅生門」と呼ぶようになった。
おそらく英語の「The RASHOMON effect」=現実の法廷において目撃証言が食い違うことから翻訳されたのだろうが、「羅生門」が生まれたご当地・日本において、殆どその意味が浸透していないのは興味深くもある。

さてこの「暗色天堂」も、「法吻」という舞台劇を映画化した「羅生門」な状況を描いた作品だ。

林嘉欣(カリーナ・ラム)が秘書として付いた社会起業家の張學友(ジャッキー・チュン)は、教会「真言堂」の牧師としても有名である。教会へ通うようになった林嘉欣と張學友は段々と親密さを増していくが、ある夜、泥酔した二人が交わした「フレンチ・キス」が原因で、林嘉欣は張學友をセクハラの罪で訴える。裁判でもふたりの意見は食い違うが、敗訴した張學友は、社会的地位・仕事・栄誉のすべてを失う。
五年後、とある教会のパーティーで二人は再会した。酔っていて事件当時の記憶がないため、どうして自分が訴えられたのかわからない、自分たちは両思いではなかったのかと林嘉欣をせめる張學友。
そこから、法廷では明らかにされなかった衝撃的な真相が明らかになり、「最後の審判」が張學友に訪れる。
(観客もそれまでの「たかがキスぐらいでよお」とカリーナにイライラしていた気持ちが吹き飛ぶ)


事件がもとで神の存在を信じられなくなった張學友が、事の真相を聞いて庭のプールに飛び込むラストシーンは新たな「洗礼」を思わせる。
キリスト教世界において、「洗礼」のあとには「大きな罪の告白」をし懺悔して「ゆるし」を得ることが必須とされているからだが、張學友に救いは訪れるだろうか?

全編を通して聖書の言葉や「神」の存在が繰り返し語られるが、牧師である張學友が「イエス・キリストの血」=赤ワインをがぶ飲みした故に身の破滅を招いたり、「洗礼」を意味する白い服をワインで汚したりする皮肉も効いているこの作品は、「宗教で人は救われない」という身も蓋もない痛烈なキリスト教批判と取ることも出来る。
今年のアカデミー賞で作品賞&脚本賞を受賞した「スポットライト」で、聖職者による児童への猥褻行為が日常化している事件が描かれたように、「懺悔」をすればゆるしが得られるという教えを持つキリスト教会は、「自己と向き合わない」ための欺瞞的なシステムと成り下がっている場合もまま有るようだ(全ての教会がそうだとは言わない)。

李安の「ライフ・オブ・パイ~/トラと漂流した227日」に描かれた「物語こそが人を救う」というテーマが「宗教」というものの土台になっていると思うのだが、人それぞれ、物語の語り方が違うからこそ「羅生門」は起きる。
逆にいえば、語り方が違うからこそ、聖書や仏典という共通のものが必要とされるのだろう。

人は時として自分を救うために、自分に都合のいい物語を作り上げる。
それが本当の救いとなるのか、更なる地獄を呼ぶのか、それは誰にもわからない。

それにしても、「百日告別」ではじぶんの足でじぶんだけの「救い」を探し求めたカリーナ・ラムが、「暗色天堂」では狂信的なキリスト教徒となって信仰に「救い」を求める。
この全く正反対の役柄をこなしたところにカリーナの女優としての幅の広さを感じるし、そういう目で見比べてみるのも面白い。


■暗色天堂
監督・脚本/袁劍偉
2016/香港映画







 

【お知らせ】マダムフィガロジャポン6月号


器好き必見!
「Madame Figaro Japon(マダムフィガロジャポン)」の6月号はアジア三箇所の器探し特集で、台湾のコーディネートを担当させて貰いました。
見どころは、料理家・細川亜依さんと「小慢」オーナー・謝小曼さんのスタイリングのコラボレート。昔から大好きな世界観を持つお二人とお仕事させて頂けて、幸せな時間でした。
カメラマンさんは、木寺紀雄さん。
すごく素敵なページになっていますので、見かけたらぜひお手に取ってみてくださいね。

http://m.madamefigaro.jp/magazine/figaro/201606