2016年1月30日土曜日

百年の孤独、香月泰男の太陽~映画「 インターステラ―」「オデッセイ」



戦後日本を代表する洋画家のひとり香月泰男の生誕から、今年で105年目だそうだ。


恥ずかしながら、山口で育ったわりに最近までこの画家の事をあまり知らずに来たのだけれど、知れば知るほどその作品の深さに参っているのだった。
画家の死後、その作品の殆んどは山口県に寄贈された。そしてわたしが一時帰国しているいま、ちょうど山口県立美術館のコレクション展で特集するというので観に行った。

香月泰男は山口県長門市出身の画家である。
代々医師の家柄だったが幼いころから父母兄弟はなく、厳格な祖父に育てられた。常に居場所の無さと孤独感に苛まれながら育ったと、のちに本人の著書のなかで述べられている。
その虚しさを埋めてくれたのが「絵」だった。
東京美術学校で藤島武ニ(台湾を代表する洋画家・陳澄波の師でもある)に学び、卒業後は山口にもどって美術教師の職を得、結婚もしてようやく居場所を見つけた、とおもったのもつかのま招集され満州に送られた。
そして終戦後、一年半のシベリアでの抑留生活。
この経験が香月泰男の創作に重すぎる影響をあたえることになる。

今回特集されたのは、香月泰男代表作「シベリア・シリーズ」のなかの「太陽」をテーマにした作品だ。
白い太陽、赤い太陽、黒い太陽、青い太陽。
おなじ太陽というモチーフを扱いながらも込められた想いは異なるが、共通して感じられるのは強烈な孤独感だった。

この「赤い太陽」を観てまず思い出したのは、実験映画で有名な松本俊夫監督の「修羅」という時代劇映画だ。タイトルどおり、悲惨な境遇に陥れられた主人公が復讐を誓って修羅道に堕ちる、という話なのだが、それを象徴しているのが太陽である。
冒頭、真っ赤な夕日が沈むまでは普通のフルカラー映像である映画が、その晩に起る出来事を境に豹変する。それは、昇って来る朝日=「黒い太陽」で表され、ここからラストまで映画はモノクロームでつづく。
「黒い太陽」=「修羅の道」なのだ。
香月泰男の「シベリア・シリーズ」を生む原体験となった、過酷な労働、強烈な寒さ、次々と死んでゆく仲間たち、その中で見えたモノクロームの太陽。
語り継がれる言葉以上の重力をもってのしかかって来る苦しさがある。

松本俊夫はこの絵を見て、あの冒頭のシーンを思いついたのではないか、そんな気さえした。





そこからの連想で蘇ったのが、台湾で見逃したので今回DVDを借りて観た映画「インターステラ―」(Interstellar/2014)の、とある場面だ。
見知らぬ惑星で来るか来ないかもわからぬ仲間を待ちながら、その孤独に耐えかねて静かに「修羅」の道へと堕ちて行ったマット・デイモン演じるマン博士の頭上にも、やっぱり太陽は輝いて足もとにはモノクロの凍った大地が広がっていた。
面白いとおもったのは、翌年の映画「オデッセイ」(2015/The Martian/台湾では2015年9月に公開された)で、マット・デイモンがふたたび宇宙で孤独と戦うことになったところだ(一応、役どころは違うのだが)。
両者の戦いの違いは、ひとり孤独に置かれた長さの違いということもあるかもしれないが、時間で孤独の深さを計ることは難しい。インターステラ―で描かれたように、宇宙では重力によって時間の経ち方がちがう。有る星での1時間が、地球での7年に相当するのである。



香月泰男のシベリアでの生活は1年半だったが、その影響は生涯にわたった。
画家は61歳、亡くなる前年にこう語っている。

「戦地で死んだ戦友たちも、案外、私のようなことを考えていたのかも知れぬ。何に変身して家族のもとへ帰ろうか、と-------。ひとり、ひとりがそれぞれに変身を考えたであろう。私の思考は、いつも結局はシベリアになってしまう。」


これってまるで、インターステラ―の主人公(マシュー・マコノヒー)と一緒ではないか。
主人公はブラックホールの異次元に身をゆだねて家族のもとへ帰った。が、結局それが更なる孤独の旅へと彼を駆り立てる。
寂しい境遇に育って戦争を激烈に経験した香月泰男。21世紀のエンターテインメント映画の中に生きる人々。
じつは昔から、芸術のなかに描かれてきた人間の孤独は、そんなに変わりはしないのかも知れない。
そういう意味で「オデッセイ」という作品の弱さを敢えて指摘するとすれば、「なんのために帰るのか」という説得性に欠けた、そんな所にありそうな気がする。


さて、香月泰男の「太陽」シリーズのなかで、もっとも心を惹かれたのが「青い太陽」だ。

黒っぽいまんなかに青色した部分があって、そこに光るものがいくつもある。
傍には、作家の言葉に基づいた、こんな内容のキャプションがついていた。

「真っ暗な穴から空を見上げると、昼間の青い空のなかに星がみえる」

真っ暗な穴の中なら、目が見慣れていくうちに青い空の中に星だってみえるかもしれない。
香月泰男は復員後も故郷に暮したが、自分の仕事場を「私の地球」と呼んだそうだ。
わたしたちは皆、孤独の程度はちがえども、ひとりひとつの惑星(もしくは一つ一つの穴)に、暮している。星の王子さまみたいに。

だとすれば、「インターステラ―」の最後でアン・ハサウェイが見上げているものは、「青い太陽」だったろうか?














2016年1月20日水曜日

【台湾映画】我們全家不太熟~赤ちゃんと民主主義





台湾映画「我們全家不太熟」(監督:王傳宗/2015)を観た数日後の2016年の1月16日、台湾で初の女性の大統領が誕生した。
野党・民進党が政権を取るのは2000~2008年の陳水扁・元大統領以来2度目となるが、当時と大きく異なるのは、実質的には「ねじれ国会」状態だった前回に対し、民進党が半分以上の議席を獲得したところにある。
16日の晩に選挙結果を見て、正直なところ日本人として羨ましい気分になった。
少なくとも、台湾には日本よりもずっと生き生きとした民主主義が息づいているように思えたからだ。翌日も、国際選挙監視団ほか海外の新聞が「台湾の成熟した民主主義を評価する」旨をつたえた。
また着目しておきたいのは、おととしの「ひまわり運動」で頭角をあらわした若者たちによる「時代力量」党が5席も獲得したことだ。
蒋経国総統の頃からじわじわと咲き始めた台湾の「民主の花」が、ここに来ておおきく実を結んだ、そんな感慨を抱いた人は少なくないに違いない。
実際、台湾における民主運動は「野百合」「ひまわり(太陽花)」と花の名前を冠している。


さて、「我們全家不太熟」を観てまず思い出したのは、フランスとアメリカで作られた同じ題材をあつかった映画だ。
フランス映画「赤ちゃんに乾杯(3 HOMMES ET UN COUFFIN)」、そしてそれを元にリメイクしたハリウッド映画「スリーメン&ベビーThree Men and a Baby」。
仏・米・台の3本とも、ルームメイトとして暮らす3人の男性の元に突然赤ちゃんがやってきて、すったもんだありながらも赤ちゃんが家族として受け入れられていくという内容だが、今回の台湾版と以前のフランス・アメリカ版との相違は男性たちの立場だ。

大学で法律を学びもうすぐ卒業を控えている威力(張書豪)は、父親の後を継ぐための司法試験を受ける決心が定まらずにいるうえ、ビリヤード賭博から抜けられない。
ルームメイトの大胖(郝劭文)はアダルトビデオ大好き。同級生の小茜(豆花妹)に片思いしているが告白する勇気がない。もうひとりのルームメイト啞牙(陳大天)は自信の持てない変人。
優雅な大人の独身貴族という設定の仏・米版に対して、台湾版は全員が大学生、しかも成熟とは程遠いガキンチョとして始まる。

フランスとアメリカといえば、早い時期から独立と民主に目覚めた国家だ。
それに対し、長いあいだ戒厳令が敷かれ一党独裁のもとにあった台湾に民主化がもたらされたのは1987年。奇しくも1985年に製作された仏の「赤ちゃんに乾杯!」がハリウッド・リメイクされたのと同じ年なんである!!!!!(非常にこじつけ的ではあるが・・・)。

「たんなる偶然」というとそれまでだが、民主的に成熟した国で作られた前2本の主人公は矢張り成熟した大人のオトコであるのに対して、台湾版では未熟な男の子たちが赤ちゃんとの触れ合いを通して成長していく姿が描かれているのは面白い。
そして、成熟していないことが未来にどんな可能性を孕んでいるかということも、今回の選挙とこの映画は奇妙なリンクを見せている。

一見成熟した大人の男性として描かれ、いい車に乗り立派な家に住んで家庭も持っている英語教師が最後には法廷で若者たちに負けてしまうのは、民主政治の先輩格であるアメリカやフランスが、女性大統領誕生という事柄に関して台湾に遅れをとってしまったことを気づかせるし、昨年の「満月酒」につづき家族関係において多様性のある社会を描いた部分は、今回の選挙で選ばれた「小英」新総統が、セクシャリティに関わらず平等な社会を目指してアジアで最初の同性婚が認められる国家になる可能性をも指し示しているようだ。

(ちなみに、日本でも『赤ちゃんに乾杯!』をリメイクしたドラマが富田靖子・荻野目洋子・伊藤かずえ主演で作られたらしい。メインの3人が女性という設定に変わっているが、これ自体、子育ては女がするものという思い込みを具体化したリメイクとも言えて、さすが、未だに女性の社会進出率100番代の国と情けなくなってしまう)

わたしにとって今年の第一本目となった「我們全家不太熟」。
脚本や編集に物足りなさは多少残るものの、台湾映画若手のなかでトップの実力と目される張書豪の演技もひかっていたのに加え、わたしにとって「台湾映画を観る=今の台湾の空気をつかみとる」ことが象徴的に感じられたことで、印象ぶかい2016年の映画はじめとなったのは間違いない。