2016年12月30日金曜日

【台湾映画】再見瓦城(ネタバレ有)~男と自己実現は二者択一なのか?



「感謝台湾電影!感謝台湾!

生きのびる以外の夢を見ることは許されないようなミャンマーの片田舎で生まれた子供が、今ここで、今年もっとも優れた監督に選ばれました。
これがひとつの、人に勇気を与えるサクセスストーリーと呼べるとすれば・・・
まさにここ台湾こそが、そんな物語を生み出せる場所なのです。」

今年の金馬奨6部門でノミネートされたにも関わらず、無冠におわった台湾映画「再見瓦城」だが、その代わり、監督自身はその年に台湾で最も優れた映画人に与えられる賞「年度台灣傑出電影工作者」に選ばれた。冒頭は、金馬授賞式後に設けられたアフターパーティーで語られたMidiZこと、趙德胤監督の言葉の最後の部分だ。


趙德胤監督は1982年のミャンマー生まれで、16歳のときに台湾に来て学校に通い始めた。
趙監督を台湾へ留学させるための経費は、当時ミャンマーでは一軒家が建つのに相当したらしく、その八割方は、監督のお姉さんがタイで働きながら食うものも食わずに貯金したものだという。映画「再見瓦城」も、実際に密入国してタイで働いていた監督の兄姉の経験がモデルとなっている。監督自身の生い立ちが、先進国の日本や台湾では今時珍しくなった種類の立身出世物語ということもあってか、そのスピーチは多くの台湾人の感動を誘い、FB上で何度もシェアされ、拡散された。
わたしもその言葉に心を動かされたひとりで、メディアでの前評判も高かったし「再見瓦城」を楽しみに観に行った。そして結局、なんだか残念なきぶんで映画館をでた。


阿國(柯震東)は、ミャンマーからタイへ密入国するときに知り合った蓮青(吳可熙‬)に恋をする。
労働ビザをもっていない蓮青が、まともな職にありつけず皿洗いの仕事で苦労しているのを見かねた阿國は、自分の従兄弟が管理する紡績工場で一緒に働こうと蓮青を誘う。
紡績工場の給料は悪くないが、辺鄙な場所にあり、仕事も単調でつまらない。都会で別のもっといい職を得るための労働ビザ取得に必死になる蓮青と、お金が貯まれば蓮青を連れていつか故郷へ帰り、服飾店をひらきたいと願う阿國の心は、いつしかすれ違っていく。
労働ビザを取るさいの賄賂資金を貯めるため、蓮青は性産業に従事するようになり、その状況に耐えられない阿國は、憂さをはらすために麻薬へとはまっていく。
ついにとある朝、阿國は蓮青が暮らす部屋へ忍び込み、寝ている蓮青の胸を刺して、そのまま自分も首を掻き切り蓮青のそばで息絶えるのだった。


あらすじを書いていて、去年話題になった映画「生酔夢死」を思い出した。なんともかんとも、やるせない。そのやるせなさ加減がちょっと似ている。しかも恋人と故郷にかえってまったり暮らしたい若い男と、自己実現したい若い女。最近こんな映画どっかでありませんでしたか・・・あ、そうだ、「六弄珈琲館」だ。

「生酔夢死」の場合、とにかく最初から最後まで登場人物が飲んだ暮れていたのに対し、こっちの「再見瓦城」では、ひたすらインスタントラーメンやら麺を茹でただけの、肉どころかモヤシ1本ネギのひと欠けらさえ入ってない素の麺を女主人公はじめ登場人物たちが食いつづけるのは印象的だった。

劇中で女主人公の蓮青は、バンコク郊外の紡績工場でひたすらプラスチック繊維をつくるのを仕事としているが、その石油から出来た化繊をたぐる姿は、まるで芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のごとく、這い上がることのできる頼りない糸をみずから必死につむいでいるかのようだ。
身分もなく身寄りもなく、同じように社会の底辺でもがいている越境者の仲間たち。誰もが一匹のちいさな蜘蛛のように、外国で小さな居場所を紡ごうと必死で糸を吐きつづける。そして、小さな巣を張っては、その糸を栄養も何もなく炭水化物を伸ばした、ただその日を生きながらえるだけの「麺」として消費する。生活にはなんら保障はなく、仕事が元で例え足を失ったとしても、得られる見舞金はわずかばかりである。彼らの存在自体が、その日その日で消費される「インスタントラーメン」そのものなのだ。


じつは半分ぐらいで「あ、さいご殺るな。」とわかってしまった。なので、そこからどういう風に最後まで組み立てていくのか、それからどう終わらせるのかを注目していたのだけれど、蓮青がはじめて身体を売るときの表現(なぜか突然、相手客がでかいトカゲの姿であらわされる。これって性的表現が苦手な台湾観客への気遣いか?)やら、阿國が地獄の炎を燃やしていて修羅の道に堕ちていく表現など観客と距離を取った描写で、どうしても二人に感情移入したり共感したり出来なかった。阿國がプレゼントしたネックレスだって、ポスターにまで登場したせっかくの小道具だっつーのに後ほど何の伏線としても響いてきやしないじゃないか。

奇しくも同じ時期にエドワード・ヤン監督の大傑作、「牯嶺街少年殺人事件(クーリンチェ少年殺人事件)」のディレクターズカット版を念願のスクリーンで観た。これと「再見瓦城」、じつは、社会が大きくうねる歪みの中で育ったプラトニックな純愛が悲劇をたどるという、似たような構造を持っている。
そして導かれる結末もほぼ一緒なのだけれど、受ける印象は全く異なる。
「牯嶺街」のほうが、何千何万というパズルピースをひとつずつ細かく積み重ねていって一つの悲劇的な図柄を納得させたのに対し、「瓦城」のほうは今一つそのパズルピースが揃わず多くが抜け落ちている印象だ。一滴ずつぽたぽたとバケツに溜まった小さな苦しみや歪みが、表面張力のぎりぎりまで漲ってついには溢れだした、「牯嶺街」にあったそんな「漲り」を「瓦城」は描けていない。「牯嶺街」とちがって、結末になんの救いも感じられず虚しく終わった気がしたのは、そんなところにある。
「再見瓦城」をみた知人の何人かが、「結末がつらすぎる」といった。わたしもそう思う。どこかしら救いのある映画がすきだ。歳をとるごとに、ますますそう思うようになった。
だってシリアのニュースをちょっとググってみればいい。
7歳の女の子が殉教するといって自爆テロをしたニュース。
アレッポの戦火のなか絶望のふちに落とされ泣くことも忘れてしまった5歳の男の子。
ただでさえ、胸が張り裂けそうになるぐらい哀しいニュースで世の中溢れかえっている。誰かの哀しみが、映像が、すぐそこまで届くこの時代、ドキュメンタリーならともかく、せめてフィクションの映画ぐらいは救いのあるものであってほしい(これは、単なるわたしの好みの問題ではあるけれど)。
でも、逆にいえば「牯嶺街」のように結末まで説得力が持続する映画であれば、そこにあからさまな救いは必要ないのである。

一番よかったのは、阿國のスクーターの後ろで雨に濡れながら泣きじゃくる蓮青の、水の中の魚の涙的苦しみだが、これと水をかけながらの楽しいパーティーの対比など、「映画記号」的には優等生に描けているものの、どうも胸に迫るものが無かった。本国で辛い立場にあるミャンマー華人の越境物語というひじょうに面白い題材を扱っているにもかかわらず、結果的に、監督のスピーチの「成功譚」が映画のいちばんの救いとなってしまったことは、何とも皮肉なかんじがする。
が、まだ35歳で、これだけのものが撮れるのだ。これからが益々楽しみなことには違いない。でも金馬奨の審査員は何を思って6部門にノミネートしたのかは、イマイチよく理解できなかった。

東南アジアから台湾に出稼ぎに来ている外国人労働者(台湾では略して「外勞‐ワイラオ」とよぶ)の女の子を、何人か知っている。
どの人も、夫の実家や友達の家や職場で会った。その中のひとりは、結構な美人だった。インドネシアの田舎に夫と小さな子どもを置いてひとりで台湾に働きに来ていた。そして若い彼氏がいた。毎日、仕事のおわる9時を過ぎると高校生みたいにベランダで彼氏と電話で一時間ぐらいおしゃべりして、週末には仲間が集まる郊外のダンスクラブに遊びに行っていた。
じつはわたし、台湾に来る前は彼女たちに対して家族と離れて働いて可哀想、みたいな気持ちを持っていた。でも、彼女たちをみるうちに、そういうわたしの印象はひとつの(しかも上から目線の)偏見でしかないことを知った。
ものすごい片田舎で育ち自分の意志とは関係なく結婚して子供を産んだ彼女たちが、台北のような都会に来て、ファッションや友達とのお喋り、自由な恋愛を楽しむ機会を得る。「外勞‐ワイラオ」であることは、彼女たちのひとつの自己実現の場でもあるのだ。
でも、皆が皆、最初からそんな環境を得ているのではない。厳しい雇い主の元で耐え、知恵をつけ、仲間と情報交換してたくましくなりながら、そういう環境を勝ち取っていくのだ。
「再見瓦城」の女主人公・蓮青のセリフに、一度だけ台湾が出てきた。
「お金を貯めて台湾にいきたい」。
それを聞いて、わたしの知っているたくましく自己実現する彼女たちを思い出した。あのセリフには何か、阿國が1ミリ足りとも入り込む隙間がないかんじがした。とても「オレも一緒にいく」とか言えない雰囲気。いや、「オレも一緒にいく」って言ってくれたら、先はどうあれとりあえず嬉しいと思うんだよね、女は。いや、そのうち足手まといってやっぱり思ったりして。それを男が先に思うのか、女が先に思うのか、まあどうなんでしょう。

そういえば香港映画「十年」でも、中国に飲み込まれてゆく香港人にとって「台湾」がまるで最後のとりでのように語られるシーンがあった。日本から観た姿とは、ひと味ちがうアジアの中での「台湾」という存在が感じられる瞬間、これまたアジア映画をみる面白みといえるだろう。
台北地下鉄MRTの南勢角という駅の近くにミャンマー人街があって、一度行ったことがある。絵文字みたいな可愛いミャンマー語であふれていて、何だかのんびりした雰囲気だったが、あそこの人たちの多くもかつては難民のように戦下のミャンマーを命からがら脱出してきたと聞いた。同じミャンマーでもルーツが異なるのかもしれないが、趙德胤監督には今度は、台湾を舞台に映画を撮ってほしいとおもう。


「再見瓦城」
監督:趙德胤/台湾/2016







2016年12月17日土曜日

【出書預告/著書出版予定のおしらせ】

書名:在台灣尋找Y字路/台湾、Y字路さがし。
作者:栖來光(筆名,本名謝光子)
譯者:邱函妮(台灣美術史研究者)
出版社:玉山社出版公司(台湾)
出版日期:2017年1月5日
言語:中日文對照
「在台灣找房子居住時,通常會避開所謂的路衝,也就是丁字路或三岔路(Y字路)的交界處。然而,作為店面而言,位於三叉路上的三角窗可說是人潮湧來的金店面。觀點的不同,決定了一個場所是吉是凶。栖來光來自日本,在台灣居住十年,她以獨特的眼光挖掘隱藏在Y字路底下的故事,冷澈幽默的文學筆調,古往今來的時空敘述,令人不忍釋卷。
作者對台灣的認識頗深,每每令我感嘆不已。她以貼近住民的眼光,卻又跳脫住民習以為常的慣性,寫出了台灣人所不知曉的過往。Y字路彷彿變成召喚我們進入不可思議旅途的起點,往左或往右,命運將會大大地不同。在她的筆下,平凡無常的Y字路彷彿有了生命。有的是風度翩翩的老紳士,有的是魅惑的夢中女郎,有的背負著滄桑的歷史命運,有的只是平凡如你我的普羅大眾。在面臨Y字路時,有人不經思索地向前邁步,有人卻躊躇著要往左或是往右。然而,在決定方向前,不妨先停下腳步,聆聽Y字路想要告訴我們的故事吧!」(譯者・邱函妮推薦)
長らくFB上で、しつこくお目にかけていた「台湾Y字路シリーズ」。45か所の台湾Y字路をめぐる45篇のエッセイが、あらたな年が明けるとともに、台湾で一冊の本になります。
本のタイトルは「台湾、Y字路さがし。」
2017年1月5日発売で、それ以降に台湾の本屋さんに並ぶ予定です。プレスリリースより、内容紹介は以下↓
「美術家・横尾忠則氏の命名した『Y字路』(三叉路)は、台北はじめ台湾のあちこちで見つけることが出来るが、その成り立ちは古い水路・鉄道・道路の開通など時代により移ろう都市計画と深くかかわっている。45のY字路に埋もれた物語を掘りおこす、ガイド本には絶対のらない台湾案内。」
わたしにとって、初の著書となります。
出版社は玉山社出版公司、中国語と日本語の併記なので、日本のお友達にも読んでもらえます!
日本でも、扱ってくださる本屋さんなど、おいおい探したいと思っています。お心当たりあれば、お知恵を貸していただけると嬉しいです。
そして、これを機に「筆名はじめ〼。」
というのも、「謝」のままだと、とくに台湾でご挨拶する人全員に「なんで台湾人の苗字なのか」という事情をいちいち説明しなければならず、大変なためです。
新しい名前を、栖来ひかり(すみき・ひかり)といいます。
栖は、「奥の細道」の冒頭
「月日は百代の過客にして、行き交う人も亦旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。」
から、一文字いただきました。
ふだんの暮らしの中でも、旅のなかにいるような新鮮なきもちと観察の眼をこらして、執筆をつづけて行きたいとの気持ちでつけました。
2017年以降の執筆活動はすべて「栖来ひかり」名義で行っていきたいと思っています。どうぞ引きつづき、よろしくお願い申し上げます。
以本書的出版為契機,開始使用筆名「栖來光」。「栖」是從日本詩聖松尾芭蕉的「奥之細道」的一節――「月日者百代之過客,來往之年亦旅人也。有浮其生涯於舟上,或執其馬鞭以迎老者,日日如行旅,旅行即棲所」的日文原文中,摘取「栖」(棲)一字來作為筆名。在此筆名中有著這樣的自我期待――在平凡的日常生活中,希望也能帶著旅行中的新鮮眼光來觀察身邊事物,並持續地從事筆耕活動。敬請大家多多指教。
   2016年12月14日 栖來光/栖来ひかり
         
                    

2016年12月11日日曜日

【台湾映画】一路順風 God Speed ~黄色いタクシーは小籠包の夢をみるか。


台湾生活に欠かせないもの。黄色いタクシー。
初乗り70元(250円ぐらい)なので、便利でつい乗ってしまう(最近値上がりしたが)。
危ないめ・怖いめに遭ったことは、今のところ一度もない。しかし年に一度ぐらいは日本人が何らかのタクシー関連の事件に巻き込まれるニュースを耳にする。
こちらに来て、夫に教えられたタクシーを選ぶポイントは二つ。なるべく新しい車に乗ること。大きな会社のタクシーにのること(事故ったときに保険が効くから)。

しかしいざ、街できれいなタクシーを捕まえようとすると、これがなかなか難しい。二台の車が信号待ちで並んでいる。手前のキレイ目の車に手を挙げる。それなのに向こう側にいたはずのオンボロ・タクシーが幽霊みたいにヒュ~ドロドロっとキレイ目タクシーの手前に車体を滑らせて、わたしの前にピタッとつけてくるのだ。そして、キレイ目タクシーはスッーっと走っていってしまう。
そんな時、オンボロに対して心にわきあがる「おまえじゃない」感は物凄いものがあるが、手を挙げた手前もあり仕方なくそのオンボロに乗る。
そういうタクシーは大抵、車内はスエた、何ともいえない古い髪油みたいな匂いがする。運転手さんは変に愛想がよく人良さげに笑いかけてくる。長いこと乗ってるから道にも詳しいが、運転は総じてあぶなっかしい。だからいつも、「次はぜったいオンボロには乗らないぞ」と固く心に誓うのだが、そのうちまた乗る羽目になってしまう。
これって割りと多くの人が経験したことある「台北タクシーあるある」と思うのだが、思い当たる人はきっと、この映画「一路順風」の許冠文(マイケル・ホイ)演じる香港から流れてきたオンボロ・タクシーの運転手のあまりのリアルさに笑ってしまうだろう。

「次はぜったいオンボロには乗らないぞ」と固く心に誓いながらも、何となくうっかり、絶対に再び乗ってしまうオンボロ・タクシーとは、まるで「もうその手にはのるもんか」とおもいながらまた同じような穴に落っこちてしまう人生そのものだ。

「一路順風」は、まともな職に着こうとしたのに何故か麻薬の運び屋になってしまったチンピラ・納豆(最近味わい深さを増している納豆、大好き!)と、納豆を乗せて台湾南部へと向かうタクシー運転手、マイケル・ホイが次々とヤクザのハプニングに巻き込まれる台湾版「アウトレイジ」といった感じのロード・ムービーだ。
「一路順風」とは「物事が予定通りスムーズに運ぶ」という意味で「お気をつけて」という挨拶として使われるが、意味に逆行するようにトラブルが次々起こるストーリーのタイトルとして非常に秀逸で、石橋を徹底的に叩きまくって渡るタイプの慎重な、覚せい剤をシノギにしているヤクザの親分(レオン・ダイ)も、最後は思いもよらない無意識の「裏切り」に合うのである。

そういう鍾孟宏(チョン・モンホン)監督の乾いたブラックなセンスは、セリフや細かい作りこみ、そして物哀しい台湾の田舎を舞台にしたスタイリッシュな映像美の隅々に生きている。
ちなみに、撮影監督の中島長雄という日本人大物野球選手みたいな名前は、鍾孟宏(チョン・モンホン)監督自身の別名。「中島」の中国語読みが「チョンダオ」=「鐘導(鐘監督の意)」を意味し、日本の撮影監督の名前のほうが賞が取りやすいから(笑・でも実際にスペインの映画祭で撮影賞を受賞している)とどこかで読んだが、ほんとだろうか?

この映画を観た直後に、永康街の「鼎泰豊」の前を通った。
日本人が日夜、行列をつくる一番の有名店は信義路という大きな道路沿いに立っていて、その前を一日何千台というタクシーが通る。鼎泰豊は台湾で一番有名なレストランだが、その料理は上海料理である。
香港人のマイケル・ホイ演じるタクシー運転手が、自分の誕生日にここで小籠包を食べたいと夢見る。タクシーの稼ぎは少ないが、少しずつ貯めたお金で誕生日にようやく小籠包をたべにきた。
家族を店の前でおろして、自分は遠くのただで駐車出来る場所を探して止める。2,30分ほど歩いてようやく店の前にきたところ、まだ家族は店の前で並んでいる。でも聞いてみると嫁(林美秀)は憎々しげに、「食べ終わってでてきたとこ」という。誕生日の夫のためにテイクアウトしたものさえない。それでも怒りをこらえて、マイケル・ホイは「じゃあ、車取りにいってくる」という。すると嫁が答える「もういいわ、タクシー拾ってかえるから」。
このシーンは、なんとも、やりきれなかった。
陽気なタクシーの運転手に出あうことが多いオンボロ、でもこの作品をみると、ガタガタと音を立てる彼らの後ろのトランクに眠る寂しげな物語に、目を凝らしてみたくなる。


英語のタイトル「God Speed」は「幸運を願う!」という意味で、幸運を授けてくれるのは神様だ。
人生で、本来なら一番近くにいるはずの家族が幸せをもたらしてくれなくなったとき、それでも、小さな天使が寄り添ってくれることも、あるかもしれない。
最後に小籠包を運んできてくれる納豆はだから、マイケル・ホイの天使なのである。

にしてもマイケル・ホイ、金馬とってほしかったにゃー、ニャロメ!


一路順風 GOD SPEED
監督:鍾孟宏/2016/台湾









2016年12月5日月曜日

【宜蘭】台湾の古いうつわがみたい。~宜蘭碗盤博物館





宜蘭碗盤博物館に行ってきました。
出版されたばかりの、柳沢小実さん「わたしのすきな台湾案内」でも紹介されているちょっとした穴場スポットで、台湾の昔の日用雑器や磁器の人形などが、ぎゅぎゅっと展示されています。


台湾ではこれまで古いものに興味を持つ人が少なく、日用雑器も古い家を取り壊した際に一緒に潰したりで余り残っていないか、あっても汚れやヒビなど状態がよくないものが大半。
だから、これだけの量をまとめて見られる機会は珍しいのです。











絵付けはかなりラフですが、独特のピンク色や「椰子の木+舟」みたいな南国情緒デザイン、そしてそこはかとない和風感。
大正琴で弾くマーティン・デニーというか、「帰国子女の古伊万里」とでも形容したくなるような、ふしぎな魅力があります。
伊勢海老の絵皿ばかりを集めた海老づくしコーナーも圧巻。昔はお祝いごとやお節句の際に取り出して使ったものよと、嬉し懐かしという感じで、一緒に見て回っていた義母(台湾人)が話してくれました。






こういう、古い甕(カメ)も、民藝好きにはたまりません。醤油や味噌などを入れていたもの。二・三段目の柿色のカメはラードを入れるためで、縁に溝を作り水を貯められるようになっています。蟻などの虫がカメの中に侵入するを防いでくれるそう。またカメの肩の部分に「耳」が四方に付いているのは、それぞれを縄でつなぎ、犬や猫がひっくり返してしまうのを防ぐため。ひとつひとつの細工に、知恵と経験がめぐらされており、かつての暮らしぶりが忍ばれます。



一階は器、二階は人形やプレミア品が中心になっています。
まるでリヤドロのお雛様のような軍人人形、国の領土がモンゴルまで含まれていた妄想国家時代の記念皿などレア・アイテム色々で見応えあり。







お祖母ちゃんの家とか、古い食堂のウィンドウにかざってありそうなアメリカン・レトロな動物の人形。でも目がシュッとしてて、どこかエキゾチック。



TIKIなのかと思いきや、インディアン???左のちいちゃい仙人も怪しい。



犬好きにはたまらないだろう、犬コーナー。洋犬なのに唐三彩みたいなのも居ます。


両手のしわとしわをあわせて・・・。


子供連れのために、これらの人形を並べた輪投げコーナーもありましたが、結構シュール。


2階廊下より見下ろす甕(カメ)の中庭も味わい深し。


一階出口手前の部屋は、掘り出し物市に。レコードや布袋戯人形などあらゆる雑多なものがありました。恐らく、取り壊し予定の家からうつわを買い取ったときに、一緒に引き取った物どもと思われます。

とはいえ、ひとり150元という入場料が適当かどうかは、個人の興味の持ち用によって意見が分かれるところかも。。。



などと言ってたら、FBページでこんなおしらせが。

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感謝各位朋友:
本館自即日起暫停開放,開始整理搬遷工作。
期待在五結鄉二結新館與各位相見。
連絡電話:03-9223699
電子信箱:tbdm@hotmail.com.tw
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なんと、ここでの運営はこの12月5日を持って終了だそう。
すでに新館は完成しているそうで、そちらへのお引越しに向けてこれから物の整理に入るみたいです。というわけで、まだいつ頃の開館になるかはわからず。

とにかく、中国・日本・ポリネシア・アメリカと色んな要素がミックスした上で出来てる台湾文化なんだなあというのを、うつわを通してヒシヒシと感じられる場所です。
次の引越し先もそう遠くなく建築家も有名な人らしいので、新館オープンで ”また逢える日まで~逢える~ときまで~♪” 楽しみに待ちたいと思いますが、旧館にあったちょっぴりカオスな雰囲気も残しておいてほしいものです。

2016年12月3日土曜日

【シェア歓迎】日本映画における、字幕上映について



【日本映画の製作・配給・興行に関係される皆さま、そして映画館で日本映画を楽しんでいる皆さまへ。】

質問です。
日本で上映される海外の映画には、当然ながら日本語字幕がついています。でも日本映画には字幕が付きません。
日本映画に日本語字幕がつく。
それって、そんなに嫌なコトなんでしょうか?

嫌か、と問われてピンと来ないかも知れません。
でも、立川のシネコンを運営されている方に言わせれば、
「なぜ上映館や上映日数・回数が増えないのか? 答えは、お客さんががっつり減ってしまうから」だそうです。それぐらい、意識的に「字幕」を避けている方は多いようです。なので普段、日本映画の映画館上映で「字幕上映」は殆ど広まっていません。

わたしは台湾に住み、毎週のように台湾映画を観ています。
台湾では、テレビや映画など全ての映像に公用語(北京官話)の字幕がつけられ放映されます。台湾には、中国語(北京官話)・台湾語・客家語など多言語スピーカーが暮らしており、台湾映画にも多様な言語が使用されているためです。
でも思えば、聴覚に障碍(しょうがい)のある方をはじめ高齢者や外国人にもとても優しいシステムだと思います。中国語しか解せない上にリスニングが苦手な私でも、字幕を通せば十分意味を理解できるからです。

だから、大学時代の友人がSNSで以前からボヤいていた「観たい日本映画をいつもあきらめてる」という投稿がずっと、心に引っかかってきました。
彼女は生まれつきの聴覚障碍者です。そして面白いこと、新しいことが大好きです。働いて結婚し、仕事に家庭にと忙しい毎日を送っています。
最近、FBで彼女の「”この世界の片隅に”という作品が素晴らしいと聞いた、だけど字幕上映が期間限定で、予定をすり合わせるのも難しい」という書き込みをみて、ハッとしました。
字幕付きの映画上映は少しずつ広まりはしています。しかし現状は、良くても地域に一館だけ、しかも公開から一週間以上おそく、数日間の期間限定。
これまで観たいとおもう日本映画があっても、仕事や家庭の都合で逃してしまい、そんな経験を重ねるうちに「どうせ皆と同じように楽しめないのだから」「日本映画への興味をなるべく持たないようにしてきた」と友人はいいます。

今年2016年は、アニメーションも含めて、話題にのぼる日本映画がたくさん登場した年でした。
「恋人たち」「怒り」「ロクヨン」「シンゴジラ」「君の名は。」「永い言い訳」「湯を沸かすほどの熱い愛」「この世界の片隅に」「FAKE」・・・などなど。しかし、字幕付で上映されたのはほんの一部の映画および映画館・上映期間だけです。正直、もったいないなーって思います。

日本で、邦画に字幕をつけようという運動は2000年代にはいって始まったようです。キャストの一人が聴覚障碍の設定だった2006年の映画「バベル」を、聴覚障碍の方も「字幕付きで映画をみたい」という運動も盛り上がりました。
また、映像のバリアフリーに関して研究を重ねながら着実に実績を積み上げている団体もあり、それを後押しする法律も近年施行されています。
たしかに、状況は少しずつ、しかし確実に前進しています。字幕にかぎらず、「UDCAST」というメガネ型ディスプレイ、こちらは聴覚障碍に限らず視覚障碍にも対応するものとして少しずつ広まっているようです。こちらも、これからの展開を多いに期待させる技術ではありますが、機器が必要なため、全国津々浦々に広まるには時間がかかりそうです。

これまで何の障碍も感じずに映画を享受してきた私たちは、そういう「多様な映画館のありかた」について思いを巡らしたことはあったでしょうか?
昔なら、ひとつずつフィルムに字幕を焼きつけなければならなかった字幕。
しかし今はデジタルなので、いちど字幕さえつければ、全国の何百という映画館で字幕付の上映が可能になります。
また、聴覚障碍の有る方のほかに、高齢化社会のなか加齢により耳が聴こえづらくなった方や、ある程度日本語の読み書きできる外国人(映画のセリフって超早口や方言もあり、日本人でさえ理解しづらい場面もありえます)など、日本映画コンテンツを広めるという角度からみても潜在的需要は大きいように思います。
一方で、字幕自体の内容やタイミングなど、クオリティーをあげていく工夫も必要になるでしょう。

家でDVDを観るのとはちがう、見ず知らずの誰かと同じ空間で映画を味わえる映画館。
大好きな映画館が、より多様性をもち、様々な立場のひとがいっしょに楽しめる場所になっていけるよう、日本映画の「字幕付き上映」が増えることを希望します。


※追記1:日本語に字幕がつくこと、それ自体がまだ周知に遠いと思われ、この文章にまとめました。ご賛同頂ける場合は、シェアして頂けると嬉しいです。


※追記2: 同じ文章をFBに挙げたところ、俳優の永瀬正敏さんの所属事務所である「ロケット・パンチ」社長・岡野さんより、長年映画業界に関わっている方からの視点として、丁寧なメッセージを頂戴しました。
また更に、来年公開予定の河瀨直美監督の新作で、永瀬正敏さん主演の映画「光」では、まさにこの映像バリアフリー自体に焦点が当てられた作品になるという情報もいただきました。
この作品に関して、また岡野さんよりいただいた「字幕上映」の考察については、また後日ご紹介したいと思います。



 【参考リンク】

映像コンテンツを分け隔てなく提供するのを目指すNPO
http://npo-masc.org/

経産省の映画上映に関するバリアフリー事業の調査報告
http://www.meti.go.jp/meti_lib/report/2016fy/000144.pdf

日本・立川にある、積極的に字幕つきを進めているシネコン・スタッフによる記事
http://realsound.jp/movie/2016/09/post-2789.html

2016年11月27日日曜日

【第53回金馬奨雑感】金馬奨って、なんなんじゃ?



昨晩、第53回目の授賞式を迎えた金馬奨
台湾の「一路順風」「再見瓦城」が多くの部門でノミネートされていたにも関わらず、主演男優・女優賞、監督賞、作品賞とメインの賞をすべて大陸勢に持って行かれた。
受賞者のスピーチも北京訛り・広東語が飛び交う授賞式となり、毎週のように台湾映画を観に劇場へかよって「國片」(台湾映画のこと、日本人がいうところの”邦画”)を応援しているものとしては、一昨年を彷彿とさせる、気分が滅入る結果となった。
今年の台湾作品は、イマイチ不作だったのは確かだ。「これだ!」という作品が本当に少なかった。また大陸の受賞作も観れていないものの、ダイジェストを観る限りはどれも魅力的な作品で、受賞にはそれなりの説得力もあるんだろうし、「妥当だった」という声もチラホラ聞く。
それでも、やっぱり残念だ。特に「一路順風」の許冠文マイケル・ホイ)が主演男優を逃した瞬間は机を叩いて「ごらー!ざけんな!」と叫びながら立ち上がってしまったわ、や~ね。

終了後も気持ちが収まらず、FBにも「台湾で行われる映画賞を台湾映画にあげなくて、台湾映画はどうやって発展していくねん?」という意味のことを中国語で投稿したら、同時間にやっぱり怒っていた愛台湾な作家のハリー・チェン氏(『人情珈琲館』)も賛同のコメントをくれて、少し慰められた。

翌日の各紙の温度差はいつものごとく、ではあるが、とくに自由時報の「金馬變金鶏」の見出しには「うまいこというな~」と感心させられた。「金鶏」は「百花」と合わせて豪華絢爛な中国文化を象徴する言葉だ。
台湾と中国のあいだの最前線だった「金門」と「馬祖」の頭文字を取って、「中華民国の映画の発展を促すために」「蒋介石の誕生日のお祝いとして」始まった金馬の歴史は、今年の春に公開されたドキュメンタリー那時此刻~The moment」に詳しいが、昨晩の状況をおもえば、時代の移り変わりにしみじみしてしまう。

今や台湾映画には大陸の力が欠かせない、と思っている映画人は多いだろう。マーケットの規模や資金能力、製作環境、どれをとってもケタが違う。
以前、台湾映画業界で働く友人から聞いた話だが、台湾の映画を大陸で上映したり資金を集めるには、最低2名の中国人俳優をメイン・キャストに入れなければならない、という法律があるらしい。だから、現在製作されている台湾映画の多くがこの条件を満たすために頑張っている。
「自分が観たい」映画の完成を実現させるのが、映画人の仕事だ。だから、どんな手段を使ってでも映画を完成させるのは当然だし、そういうものだと思う。
でもそれによって、台湾らしさが映画から失われたり、自由な映画づくりが出来なくなるとすればやっぱり心配だ。
それで思いだすのが、「六弄珈琲館」の上映前に大陸のネットで「ひまわり学生運動を支持したらしい=台湾独立派」というレッテル炎上した、戴立忍(ダイ・リーレン)の事件だ。大陸ですでに完成していた主演映画の公開はおじゃんになり、戴立忍自身も「わたしは独立派ではなく中国人だ」みたいなことを長々とした手紙で釈明した挙句に、何とか収束した。一時は「六弄珈琲館」の出演シーンも削られるという噂もあったが、そこには影響はなかったようだ(たぶん)。
何だかもう随分前のコトたいな気もするが、たかが半年前のこと。台湾の映画人にとって、中国政府は怖いだろうが、同じように大陸ネット民の反応も怖いだろう。大陸の映画のスポンサーはテンセントをはじめ、インターネット会社が多い。
「金馬は大陸の映画に不公平」という意見で台湾映画がボイコットされる事態になりでもしたら、大ゴトだ。
審査は揉めに揉めて100分にもおよんだらしく、「殺し合いみたいな現場だった」と漏らした審査員がいた。全力で検討しただろうし、審査員はみなぜったいに「金馬は公平」と豪語するだろう。
今年の台湾映画がイマイチだった。結局、結論としては、そういうことになるのかもしれない。

でもそれでも、一個ぐらいはな~。。。
そもそも、台湾人自身が台湾映画を観ない。多くのスターが出て華やかにテレビ放映され注目される金馬映画だからこそ、台湾映画が賞をとれば「じゃあちょっと観に行こうか」という気持ちにもなるだろう。
でも六部門でノミネートされて無冠って、、、(まだ上映始まってないのに、これでは大打撃である)となれば「やっぱ台湾映画はだめなんだ」って台湾の観客は思うだろうし、とくに台湾本土意識の強い人なんかは、「しょせん映画業界なんて外省人の世界だから」と、更にひねくれてしまうというものだ。
大陸の影響下に縛られない自由な中華文化の発展というコンセプトで始まった金馬だからこそ、台湾映画に対する影響力は大きい。でも、一昨年に「KANO」がまったく賞をとれなかったことや、昨年「太陽の子」みたいな良い作品が音楽以外まったくノミネートされなかったことなど、現在の台湾人の多くが持っている「台湾意識」と審査員の意識の剥離が感じられるところも無きにもしもあらず。
金馬奨自身が毎年のように、それに関わる様々な立場の人に、金馬奨って一体なんなのだろう?って問いかけているようなところが、金馬奨にはある。
それは同時に「台湾って一体なんなのだろう?」って考えることに似ている気がする。


そういう意味で、今回一番のクライマックスは、ドキュメンタリー部門で最優秀賞に選ばれた「日曜日式散歩者」のプロデューサー・鴻鴻氏の

今回の金馬賞のなかでドキュメンタリーは最も激しい争いだったと聞いている、まずは同業者の皆さんに尊敬の念を送ります。
《戀戀風塵》はじめ、すべての作品が国語のみで作らねばならない時代もあった。
しかし今回のように、殆どが日本語で作られたドキュメンタリーが最優秀賞を取れるというのは、台湾が本当に自由で独立したクリエイティブな場所だということを意味しています。その自由と平等の精神のもと、皆さんに同性の婚姻の法制を支持してほしい

という受賞の言葉、そしてプレゼンターとして出たジョセフ・チャン鳳小岳の「BF*GF」コンビが、「ぼくは男朋友」「ぼくも男朋友」と自己紹介しながら抱き合い、法制化のために立法院周辺でスッタモンダしている同性婚への支持を、それぞれ表明したことだった。
こういうところ、台湾らしくていいなあと本当におもうし、金馬授賞式を観る楽しさの一つだと思う。


来春には魏徳聖監督「52Khz,I love you!」陳玉勲監督の「健忘村」も控えている。 
今年の悔しい思いをバネにして、来年の金馬での台湾映画の反撃に多いに期待したいところだ。













2016年11月18日金曜日

【李安作品】 Billy Lynn's Long Halftime Walk~ アン・リー最新作「ビリー・リンの永遠の一日」を劇場で観るべき、たったひとつの理由。




じつのところ、台湾では評判のあんまり芳しくないアン・リーの「比利‧林恩的中場戰事 (邦題:ビリー・リンの永遠の一日)」である。
いくつかネットで観た論評を要約すると、「ストーリーは悪くないが、前宣伝で期待してたほどの映画体験が得られなかった」ってことだ。
映画史初の3D✕毎秒120フレーム(昔のテレビが毎秒24フレーム、その後出たデジタルビデオが毎秒30フレームといえば、その映像の細かさがわかるだろう)という未だかつて無かった挑戦で、メディアの前宣伝では「まるで現場にいるかのような臨場感」と絶賛され、アン・リー自身の口からも「未来型3D」という言葉がでて、だれもが期待と興奮で映画館にのぞんだはずだ。

台湾ではいまのところ、この映画が最高の状態120フレームを損なうことなく観られるのは、台北駅ビル内の「京站威秀」だけである。そしてそのチケットは800元する(普通の映画館は250~300元ぐらい)。
台湾のネットで論評している人は殆どが800元払ってみている(もしくは試写で800元と同じ状態で観たかもしれないが)。そんな彼らにとって、今回のアン・リーの新作は「800元払う価値があるとは思えない」ということらしい。


わたしは結局、普通の映画館の3D上映(280元)で観たので、さしてがっかりしなかった。まるで自分がドローンに変身して主人公にひっついて飛び回っているかのような浮遊感を感じる映像にはそれなりに興奮したし、「戒/色 ラスト・コーション」や「ライフ・オブ・パイ」ほど好きな作品じゃないが、ストーリーも十分に面白いものだと思った。美味くて評判の料理屋にきて、ワンランク上のコース(800元)にすればお造りの品数が二品増えるのとシェフ推薦の熟成肉のステーキが付いてくるんだけど、まあそれだと量が多すぎるからと思い、実際ワンランク下のコースを食べてすでに美味しくて割と満足したって感じだろうか。
でもシェフの推薦を外すわけだから、今度来た時はそれ頼むからね~みたいなちょっとした申し訳なさと、次回への期待の余地も残されている。
そんな訳で、この映画を800元払って観た人と同じ場所から批評することは難しいということを最初に断っておく。
断ったうえで、この作品をやっぱり劇場で3Dで観ることをお薦めしたい(800元でなくてもいいから)。

(※以下はネタバレが含まれます)


イラク戦争に派兵された若きアメリカ兵ビリー・リンは、所属するB班の隊長が戦闘中に撃たれた際に敵兵に対して取った勇敢な行動がニュースに取り上げられ、一躍「祖国の英雄」となる。仲間と共に一時休暇で戻ったアメリカ・テキサスでも熱狂的に迎えられるが、戦地で極度の緊張状態にある後遺症としてPTSD(心的外傷後ストレス障害)によるフラッシュバックに悩まされる。
家族はみなビリーを暖かく迎えるが、唯一イラク戦争に反対している姉だけは、成果を出したのだから、もう戦地には帰らず戻ってきて、PTSDを治療して欲しいとビリーを説得するのだった。
ビリーと仲間のB班は、アメリカン・フットボールの試合に招かれ「英雄」としてハーフタイム・ショーに出演することになる(と言っても立ってるだけ)。一同を迎えに来たのはハマー・リムジン(黒人ラッパーのMVとかでしか観たことない、バーカウンターとレザーソファーが内蔵された物凄くラグジュアリーなリムジン)という超VIP待遇で、B班の物語を映画化したいというプロデューサーまで現れた。映画化の資金が取れて皆の出演が決まれば、ひとり10万ドルのギャラぐらいは出るかもしれないと言われ、大喜びするB班たち。
また、ビリーはチアガールの中のひとりの女の子に一目惚れし、彼女のために姉の説得を受け入れて戦地に戻らない選択肢について考え始める。
「英雄」として迎えられる気持ちよさを存分に味わいながら会場に入り、ハーフタイムショーでは”ディスティニーズ・チャイルド”(ビヨンセが在籍していたグループ)らと共に舞台にあがって高揚感を得るB班のメンバー。だが、一方で失礼な態度や待遇も受け次第に高揚は冷めていく。アメフトのスポンサー(スティーブ・マーティン!)も映画の資金として、B班の物語にかけられる金は全部でせいぜい5500ドルぐらいと買い叩く。
そうしてビリーを始め、B班のメンバーは祖国にもどって与えられた「英雄」という称号の安っぽさに失望し、自分の居場所は「戦場」しかないと考えるのだった。




カメラは、ビリーの目線/ビリーを観る人の目線/スクリーンを観る私たちの目線というレイヤーを単純な入れ子構造ではなく、複雑にからませることによって、現場のリアリティを浮き出させることに成功している。
宣伝でも目玉となっていた、ビリーからの目線で繰り広げられる”120フレーム✕4K✕3D”のハーフタイムショーは特に圧巻で、ビリーの現実をわたしたちも追体験できるしくみになっており、盛大でゴージャスなハーフタイム・ショーで爆発する花火と戦場の爆発とが交互にフラッシュ・バックし、わたし達はビリーと一体化して戦場と舞台を行き来しているような感覚に陥る。

とくに面白かったのは、ショーに登場するディスティニーズ・チャイルド(もちろん吹き替えだけれど)のメンバーの顔が全く見えないことだった。
手を伸ばせば届く距離にありながら、ビリーは一度もビヨンセの顔を観ることがない。ビリーからの目線だと、彼女たちの後ろ姿しかみえないのだ。
正面からの姿はスーパーボウルを見に来ている会場の観客だけのものだ。現場のまっただ中にいる人は、それを全体から眺めて楽しむことはできない。
湾岸戦争がはじまったとき、デジタル技術の発達により現地からほぼリアルタイムで映像がテレビへと届くようになり、空爆のミサイルをまるで打ち上げ花火でも観るような感覚で観ていたことをおもいだす。瓦礫の下にはたくさんの一般市民が下敷きになって血を流していたはずだが、「お茶の間」でくつろいでいる観客にそんな映像は届かなかった。本物の戦争が映っているのにも関わらず、そこにあるのは徹底的に「非リアル」な感覚だった。


そうなのだ。
どんなにその時に最高の技術を駆使したところで、結局はビリー達と同じリアリティを味わうなんて不可能だ。ビリーからの目線での戦場の映像を観ていたとき、わたしは自分がドローンとなってビリーの顔のすぐ横を飛んでいるような感覚をもったと先ほど書いた。
しかしドローンは勿論生身のわたしではない。ドローンが撃ち落とされたところで、現実のわたしが傷を負うわけではない。いかにそれを臨場感ある映像で体験しても、それはアメフトのハーフタイムショーと同じなのだ。試合で応援しているチームが負けたとしても、終われば皆それぞれじぶんたちの家に帰ることができる。
でも、戦争のまっただ中にいる人は違うのである。
死の恐怖と戦い、家族との別れに震え、恐ろしい戦闘のフラッシュバックに悩まされる。そんな彼らが生きる場所は戦地しかない。
戦争とは人々の「帰る場所」を奪うことである。


ビリーの中で幾度もフラッシュバックする場面に、戦場で隊長を撃った敵兵の中東人の男を刺殺するところがある。ビリーが英雄に持ち上げられた所以のシーンだ。
首を刺したときの鈍い音。じんわりと後頭部に広がっていく血。
時代劇みたいに「ザクっ」と音がしたり血が飛び散ったりはしない。細心の注意を払って刺された人間が死んでいく過程を「リアル」に描いているようにみえる。
しかし、その死んでいく男の目には、何も映っていない。ビリーの目線なのだから、普通ならビリーの顔が写り込んでいるはずだ。普通の映画なら、普通の演出家なら、「リアリティを出すために」そういうふうに撮るとおもう。瞳に写り込んだ「カメラ」をCGで消し、そこにビリーの顔を移植する。

でもアン・リーはそんなことはしない。

そこに何も映さない。ただただ、深くて暗い闇をのせる。これは映画自身による「わたしはリアルではない」という告白なのだ。どんなに映像的リアリティを追求したところで、そこに本当のリアルはないという事を映画自身が語ってしまう。
そんな風に、この映画のいたるところに密やかに、アン・リーのメタフィクションの「罠」が仕掛けられている。
ちなみに『背中』というのもこの映画の中の大事な要素である。なぜなら人は自分で自分の背中を観ることは出来ないからだ。観客はビリーの視線で映画を観ながら、同時にビリーの背中を観ることができる。つまりわたしたちは、ビリーではない。


このストーリーを120フレームで撮る価値があったのか?原作選びをまちがえたのではないか?
わたしはそうは思わない。
もっとアバターのように、それに見合った題材があったのではないか?そんな論評もみた。
しかしそれなら、李安はもう「ライフ・オブ・パイ」で已にやってしまっているじゃないか。
このストーリーだからこそ、この技術で作らなければならなかった。
戦争体験を「リアルに感じる」ことがどれだけ「非リアル」な事なのか、それを証明するために使われたことのない技術に敢えて臨む、それがアン・リーが「ビリー・リンの永遠の一日」で挑戦したことではないだろうか。

以上はすべてわたしの深読みでしかない。莫大なお金をつかって、血を吐くような困難を抱えながら、そんな事に挑戦するのは一見馬鹿げたことにおもえる。
でも、アン・リーは普通の映画監督じゃない。天才なんである。リアルに対する「映画」の不完全さを誰よりも深く感じながら「でもやるんだよ!」の人なんである。
だから、わたしたちはいつも、アン・リーの背中ばかり追いかけているのである。


そういう意味では、本当にこの映画を「体験」するには、やっぱり800元払って「何だかなあ」と思うのが正解なのかもしれない。
あまりにも逆説的にすぎるかなあ・・・








2016年11月16日水曜日

【台湾ドキュメンタリー映画】單車天使~自転車にのった天使たち。


先日おとずれた台東の街で、道路脇がかなり贅沢に自転車用道路として線が引かれてあり、「環島」(台湾自転車一周)しているサイクリストたちが気持ちよさげに走っているのを観た。
近年、台湾は自転車ブームだ。
それもそのはず、台湾は世界最大の自転車メーカー「GIANT」を擁している。
台北も「GIANT」の管理する公共シェアバイクシステム「YouBike」がうまれて以来、ずいぶんと利便性を増した。台湾一周のコースとなる要所要所にも「GIANT」が設置した自転車用の休憩所が設置されており、台湾における自転車旅行の環境は年を追うごとに良くなっているといえそうで、日本から走りに来ているひともふえているみたいだ。
とはいえ、台湾の田舎の道は車も平気で車線越えてきて危ないし山も多いので、大人といえど結構ヘビーな経験に違いない。

そんな自転車での「環島1200キロ」を、孤児院の子供たちが達成してのけたドキュメンタリー映画が公開になった。タイトルは「單車天使 ~Cycling Angels」。



「ややこしい環境のなかでいろんな歪みを抱えた子供がここに来る。
私たちはその子どもたちの歪みを時間をかけて少しずつ整え、子供を覆っている色んなものを取り除いてあげる。そこで現れるのは、とても純粋で無垢なひとりの子供の姿なんです。」
(雲林私立信義育幼院・呉院長)



ベトナム戦争以降に急速に発展した台湾の経済は、とくに近年はアジアにおけるハイテク産業の拠点として発展がめざましい。シャープをはじめ台湾企業による日本企業の買収も最近大きな話題となったし、台北の街をあるけば目につくのは高級車だらけ。ポロシャツをスラックスにインする見かけはかなり地味だが、実はすごい金持ちの中小企業の経営者、なんて人がゴロゴロしている。
しかし台北から離れて南のほうへ行けば、事情は少し違ってくる。
たびかさなる台風被害や洪水などの自然環境も影響し、台北と地方との格差は大きい。
それを皮肉って、地方のひとは台北のことを「天龍國」、台北に暮らす人のことを「天龍人」と言ったりする。もともと日本の漫画の「ONE PEACE」の中に出てきた特権階級を持った人々をあらわす言葉が流行したものらしい。

台湾の中でも、とくに経済的に苦しいと言われている県が苗栗県、そしてこのドキュメンタリーの舞台となる児童施設「雲林私立信義育幼院」のある雲林県だ。
経済的・社会的な歪みは、最終的にいちばんの弱者である子どもたちに、しわ寄せとしてやってくる。
「育幼院」で暮らしているのは、身寄りのない子どもと限らない。本来は子供を保護する役目をもつ親が、貧困・アルコール中毒・麻薬中毒・虐待・ネグレクトなどで子育てを担うことができないケースも多い。
しかし子供は、親を選ぶことはできない。そして、どんな親を持っても、子供がいちばんに願うことは「回家」(家にかえる)ことなのだと、呉院長は言う。
「子供がここに来た日から、すべては”いつか家に帰る”ことを目標に子供の成長を促すのが、わたしたちの役目なんです。」


少年よ大志を抱け、という言葉がある。
子供が描く絵がどれも素晴らしいように、理想や夢が小さなからだの中いっぱいにぎゅぎゅうと詰まっているような、そんな単純なイメージをわたし達は子供に対して抱きがちだ。
でも、施設で育っている子供は時にそうではない。
学校のあるカリキュラムで、施設で育った子供と一般的な家庭の子供をいり交え、自分の将来の計画を作文に書かせ発表させるシーンがあった。

同じ地域の一般的な家庭で育っている子供が書いた作文はこうだ。
「台大にはいって卒業して大きな会社にはいり結婚して子供がうまれ、40歳で大統領になり・・・100歳で町内会長をつとめる!」
要約するとこんな感じ。いますよね、こういう男子。子供らしく単純で、自信に満ちあふれている。

これに対して、施設で暮らすとある少女が発表した作文はつららの如く冷たく心に刺さる。
「施設を出たらクラブに勤めて、クラブで彼氏をみつけて結婚して、子供は作らない。離婚してまたクラブで彼氏をみつけて、30歳でお母さんとお父さんを探しに行く。40歳で弟や妹たちを探しに行く。最後は彼氏と一緒にビルから飛び降りて死んでおしまい、あははバカでしょ(笑いまじりに)。」

心の奥底でじぶんは必要とされていないと認識している子供たちは、自己肯定感を育めない。自己肯定ができないと、未来についても建設的な将来像が描けないのだと院長やスタッフはいう。
そこでせめて施設にいる間に、出来る限りの「達成感」を感じさせることで自信を持ってほしい。自信とは「自分を信じる」気持ちである。院長のそんな願いから始まったのが、施設の子供たちと共に自転車で「環島」(台湾一周)することだった。

十分なトレーニングをかさね、多くのボランティア・スタッフの協力を得て、2週間で「環島」する子供10名プラス大人達の冒険がはじまる。いちばん小さなメンバーは8歳の少年だ。
走るのは一般車道。川べりの自転車専用道路ならまだしも、あまりにも危険だというので、当初は誰もが反対したという。
東側のルートは、宜蘭から山側に入って台湾中央山脈の中でもかなり高度の高い梨山を通って行く。アウトドアに疎いわたしが聞いても、かなりチャレンジ性の高いコースなかんじ。

転んだり、パンクしたり、投げ出しそうになりながら、それでも再びペダルを漕ぐ子供たちを目で追いながら、わたしのハンカチはも~ビショビショだった。
がんばれ!がんばれ!子供たち!がんばれ!がんばれ!支える大人たち!
大人たちは毎晩ミーティングをかさね、危険なポイントや気付きを話し合う。転んで怪我した子供たちを優しく、ときに威勢よく励ます。

「子供はじぶんが生まれてくる環境を選ぶことは出来ない。でも、自分の足でどう歩いて行くかは自分で決められると、この台湾一周の旅を通じて知ってほしい。」

呉院長の言葉のひとつづつが力強く、まっすぐに私たちに響いてくるのは、呉院長が心から子供たちを信じているからだ。そしてまた、子供たちを信じている自分自身をも信じている。更にその信じるということの裏付けとして、出来る限りの細心と努力を惜しまない。

現代社会のなか、子供を取り巻く環境はますます息苦しくなっている。
あれ危険、これ危険。心配を理由に少しでもリスクのあるものはどんどん子供の周りから遠ざけられ、それにつれて子供が自分を信じて試す=親が子供を信じてチャレンジさせる、そんな機会は減っていく。
逆に、過保護な風潮が進んだことがリスクに対する想像力の劣化につながり、先日東京のミッドタウン・デザインウィークで起きた不幸な事故(学生がつくった木屑を散らしたジャングルジムが燃え、一名の男子が亡くなった)を引き起こす一因となったのではないか、呉院長の言葉を聞きながらふと、そんなふうに思った。


もうひとつ、子供の貧困と格差は、日本でもどんどん明らかになってきている大きな社会問題だ。
保守的な政権の下では「家庭の教育」ということが叫ばれがちだが、そこからはみ出してしまった子供たちに、最低限のセーフティーネット以上に大人や社会はどういう教育を与えることが出来るのか。そんなことを、この映画は改めて考えさせてくれるのだ。





「單車天使 ~Cycling Angels」
監督:周抱樸/2016/台湾




2016年11月13日日曜日

【台東】取材旅行備忘録その③~台東市内


都蘭のあとは台東市内の「鐵花村」「晃晃書店」へ。鐵花村は残念ながら平日のためライブもなく閑散。友人オススメの林家臭豆腐は外カリ中フワ感がB級グルメ的に完成度高かった。お隣の絶品という噂の米苔目は開店前でありつけず。

古書を置く一軒目と、新刊本及びカフェの二軒目、どちらも上階にゲストハウスが備わっている「晃晃」は、元·出版社勤務のオーナー素素さんに目利きされた確かな品揃えと細やかな気配りが行き届いた本屋さんで、台東の重要な文青(文系)かつ猫奴隷系(笑)スポット。お客さんも猫に混じってくつろいで過ごしていました。

ちなみに、店名のは最初にお店に居た耳の聞こえない猫の「晃晃」から取ったもの。お店で手作りしたカボチャのパイがおいしい!とくに地元のおばさんが作っているという粟を使い月桃の葉で包む原住民チマキ「アバイ」は常食にしたいぐらい美味です。

残念ながらオーナーの素素さんは日本旅行中だったけど、店長の易許さんには出版物から見た原住民文化など色々教えてもらいました。この日の収穫は、台東発「独立雑誌(インディー/リトルプレスマガジン)」である「慕山」「台東。是家」。どちらも一号が発売されたばかりの新しい雑誌です。


今年の3月に「なーるほどザ台湾」誌にて、こういった台湾のローカル系リトルプレス雑誌について特集させて貰ったのですが、若い人が故郷にUターンして、故郷の良さを伝えたい!面白くしたい!という流れは、更に盛り上がってる感じ。台南の正興街をはじめ、台湾の若い子ならではの視点やイラスト、デザインの可愛さも堪能できます。台湾のローカルプレス雑誌、要注目。


帰りの自強号で鉄板の、台鉄弁当(ナイスジャケ!)。やっぱりこれは食べないと帰れない。
「移動しながら食う」飯の旨さに似るものぞなし。でも、高鉄(新幹線)弁当は方向性が中途半端でイマイチ。普通の台鉄弁当のほうが何倍も美味しいとおもう。ししゃものフライとか、なんかよくわからんカスカスのセロリ炒めとかやけど旨いのが台鉄弁当。このまま変わらず居てほしい。
高鐵弁当は変な色気を出さず、台鉄のストイックな台湾駅弁感について再考し、精進してほしいものです(エラそう・笑)。
今回の台東旅行のために色々情報提供くださった、寺尾ブッダさんと水瓶子に最大級の感謝を!

【台東】取材旅行備忘録その②~都蘭



都蘭,這個好地方,雖然我不太會衝浪也想住在這裡一個禮拜。感謝Homi·ma接受了我的採訪!

都蘭で民宿や原住民のハンドメイドグッズを扱うお店を経営し、地元のアネゴ的存在のHomi·Maさんに取材させて頂き、原住民の伝統を重んじながらも新しく現代的なアプローチを持って創作している音楽家や芸術家について話を伺いました。

先週末に舒米恩(sumin/スミン)主催の「阿米斯音樂節」も行われアミ族が多く暮らす都蘭は、サーフィン好きやこの土地に惹かれるたくさんの外国人で賑わっていました。
夜にはHomi·maさんに誘って頂き、「1950~60年代原住民音楽のレコードを聴く会」へ。台湾版ピーター·バラカンとも言えそうな、長年台北に暮らすエリックさんという台湾マニア・アメリカ人DJの方がコレクションを披露。
集まった地元のアミ族の老人達が懐かしそうに一緒に歌っているのが印象的でした。それにしても、火を囲むってすごくいいね。パチパチ燃えてる火を囲んで長閑な昔のレコードの音に耳を傾ける幸せな時間でした。

都蘭の海の色が、先日nippon.comさんで記事を書かせて頂いた陳澄波「東台湾臨海道路」とまったく同じ色をしていて感動したり。
http://www.nippon.com/ja/column/g00386/

一週間ぐらいここに泊まってゆっくりしたいなあと思いました。

【台東】取材旅行備忘録その①~鹿野龍田


鹿野鄕龍田にお茶の取材に来ました。
ここには国営の茶葉改良試験場があり、その技術提供を受けた茶農家が無農薬のお茶づくりを頑張っています。

最近台北の茶藝館でも人気のある、濃厚馥郁とした甘みのある紅茶のような烏龍茶「紅烏龍」の故郷です。改良試験場のあとは、数々の受賞歴のあるベテラン茶農家「新峰茶園」の梁さんと、地元にUターンして頑張っている若い茶農家の阿山(アサン)に取材させてもらいました。

「新峰茶園」はもともと、梁さんの義父(奥さんのお父様)が始められた茶園。お義父さんは、新竹から移住してきた客家人で当時より残る樹齢50年ほどの木は「阿公茶」と呼ばれ、台湾国内でも数々のメディア取材を受けた名高いお茶です。もうひとりの茶農家の阿山は、梁さんの奥さんの親戚筋にあたるそうです。


熱気球で有名な鹿野ですが、とにかく風景がうつくしい。
日本統治時代に新潟県からの移民300名ほどが中心となって開墾した地区だそうで、開墾100年を記念して随分前に失われたという神道式の「鹿野神社」が、日本の左官の技術協力を得て道教の廟の脇に再建されていました。

 

四ツ辻の連なるお茶やパイナップルの田畑がどこか懐かしく、母の故郷の九州霧島あたりの景色を思い出させます。
紅烏龍はもちろん美味しかったのですうが、もうひとつ淹れてくださった、まったく改良を加えられていない原始的な茶葉「野生茶」は驚きでした。飯の炊けるような、ほんのり穀物香がする香りと甘みは、蒸しパンを思わせます。しかも、100年前に日本からこの地へと移り住んできた人々はこういうお茶を飲んでいたのかと、しばしその時代へとタイムスリップさせてくれます。
こういう四次元な味覚体験は、その地を訪れなければ味わうことの出来ない醍醐味。お茶に対しての、新しい味覚を、また開いてもらえたかんじです。