2015年11月6日金曜日

映画「灣生回家」と、東山彰良「流」 ~永遠の異邦人





わすれがたきは、ふるさとだ。

2015年は日本と台湾にとって、直木賞を受賞した「流」とドキュメンタリー映画「湾生回家(ワンセイ・フェイジャ)」という、日本語でこれまであまり語られてこなかった台湾の側面が奇しくもそれぞれ注目を浴びたという意味で、重要な年となったのは間違いない。

興味ぶかいのは、両作品がまったくちがう立場から「強烈な郷愁」を語っているところだ。

というのも、「流」が太平洋戦争後に蒋介石の中華民国政府と共に台湾へと渡ってきた人々(台湾では俗に外省人とか外省系と呼ばれるけれど、差別的な響きがあるというので最近は公的な場で使用されない)の来しかたや生活を描いたことに対し、「湾生回家」は日本統治時代に台湾で生まれた日本人二世の台湾への想いを示している。
台湾社会における両者はとても対照的だけれど、それこそが台湾の複雑さと多様性をものがたっているようにおもう。





「道の先に圓山飯店が立ち上がり、わたしは高速道路を降りる。雨のせいで、道路だけでなく、どこもかしこも薄汚れて見えた。張り出し屋根の下は不法駐車が占拠しているので、人々は不便を強いられていた。建物にこびりついたスモッグが雨に溶けて流れ出し、壁に黒い筋をつけている。雨水に流されたゴミが側溝の格子蓋に山と留まり、そのそばでは少女が傘もささずにバスを待っていた。神様はきれい好きにちがいないけれど、汚れた街を水拭きした雑巾を、わたしたちの頭の上で絞っているのだった。/流』

そうそう、ほんとうにそうなのだ。台北の雨の日って。
こんなに正しくあの感じを日本語でうまいこと捉えたものを読んだのは初めてだ。

といっても、「流」の舞台となっているのは1976年前後の台北で、本筋は国民党軍として台湾に来た主人公の祖父が被害者となった殺人事件をめぐるミステリーだ。
が、ミステリーとしての読み応えもさることながら、わたしのまったく知り得ないかつての台北の姿が、手を伸ばせば触れるんじゃないかと思うぐらいの鮮やかさとスピード感を持って描きだされるのは見事だった。
主人公が幼なじみと二人で、広州街の喧騒を、陽明山のカーブがつづく闇を、今はなき西門の中華商場を駆け抜けるたびに、頬にその風をまざまざと感じられたのは、とっても幸福な読書体験だったと云うほかはない。
アニメ「NARUTO」の脚本などを務めてきたという異色なバックグラウンドも、その映像的な筆致に関わるところが大きいんだろう。

ところで主人公は、東山氏のお父上がモデルらしいのだが、時代設定的にはお父上と東山氏とのちょうど中間ぐらいになっているということだった。
それにしても、福岡に一家で移住された後も一年に一度は長期で台北に戻ってきていたとはいえ、生まれていない時代の台北をあんなにも詳しく書けるというのは凄いことだ。詳しく書いてあると分かるのは、ある程度わたしにも台北や台湾人についての知識があるからだが、そうでない人が読んだらどんな感じかということには、これまた違う意味で興味をもった。
とはいっても直木賞の選考委員の中で全員一致で決まったというのだから、まったく台北を知らなくても面白いのだろうけれど。

嬉しかったのは、東山氏が台湾の映画監督・陳玉勳
(「ラブ・ゴーゴー」「熱帯魚」「総舗師」「青田一号(脚本)」)
が好きと知った時だ。
これ、すんごくわかる。
「流」も冒頭からやたらめったら排泄物とかの話が出てきて、そこはかとなく漂う「小一男子」感に共通するものがあるんだよね。
「流」の映画化はぜひとも日台合作で、陳玉勳・監督にくわえ、東山氏と陳玉勳の共同脚本でお願いしたい。



これに対して、「湾生回家」は日本統治時代の台湾でうまれた日本人に取材したドキュメンタリー映画だ。

うさぎ追いし かのやま
こぶな釣りし かのかわ
夢はいまも めぐりて
わすれがたき ふるさと

子供時代から中高生時代までを台湾で無我夢中にすごした思い出が、この「ふるさと」という曲をBGMに次々とかたられる。



戦後、「湾生」という言葉はひとつの差別用語のように用いられたと聞いたことがある。

たしかに日本に無一文で戻った湾生の暮らしは大変だったと映画中でも軽く触れられてはいる。
欲を言えば、その時期についての記憶、また逆に「湾生」にコンプレックスを抱いてきた人の話などの陰影が加わればさらに良かったのに、と惜しく感じるところも実はある。
それでも、いままで多くの人が知らなかった若しくは忘れていた「湾生」という日本人にスポットがあたり、多くの台湾人や日本人に知られるようになったというだけで、ただただ意義深いという外ない。

見終わってからおもった。
「日本人から台湾人へ送られた初めてのラブレターだあ。」
1945年に日本人が去り、それまで自分を日本人とみなしてきて日本軍人として戦争だって行った台湾の人々は、突然日本人で無くなった。
そして1972年に日本は、台湾との国交を一方的に断絶する。
その後、日本で近代史について語られる機会は減り、台湾と日本のかつての結びつきさえ忘れ去られ、いまだに「台湾ってタイ?」と見当違いなコメントをする日本人も、実は少なからずいる。
かくいうわたしだって、台湾と日本がここまで深い関係だったのを知ったのは、台湾人の夫と結婚してこちらに来てからのことだった。
「湾生回家」の台湾ヤフーのコメント欄には、多くの台湾人から「じぶんも台湾に生まれて良かったと心から思わせてくれた作品」と絶賛する声がならんでいる。


朝イチの回だというのに、年配の観客で座席はほぼ一杯で、映画のなかで唄がながれる度に、どこからともなく合わせて歌声があちこちで起こった。
見ず知らずの台湾人のおじいちゃんおばあちゃん達だけれど、映画館を包み込んだ彼らのエモーションにわたしは少しだけ参加することが出来たのだ。
これは家でDVDを観るばかりでは決して味わえない感覚だ。

知人に、日本語世代の台湾人のおじいちゃんがいる。
彼の母国語は日本語だ。
台湾人社会でずっと生きては来たものの、家で観るのはNHK、読む雑誌は中央公論や文藝春秋。
そんな方々とも、この10年から20年のうちに、ほぼ会えなくなってしまうだろう。
夫の親戚の大伯父は「わたしは忘れられた日本人なんですよ」と語って初対面のわたしをびっくりさせたが、その大伯父も先日亡くなった。

登場人物の「湾生」の女性は、「じぶんは永遠の異邦人である」と語る。

それは「湾生」の日本人ににだけ当てはまる言葉ではなく、日本統治時代に多感な時期を過ごした多くの台湾人も「永遠の異邦人」といえるのかもしれない。

そして、故郷・山東に戻れないまま台湾で人生を終えた「流」の主人公の祖父やその友人たちもまた「永遠の異邦人」であり(そのことが実は、このミステリーの鍵となっている)、
その作者である東山氏も、「湾生回家」の作者である田中實加氏も、「永遠の異邦人」なのだろう。


わたしにも、自分を「永遠の異邦人」だと自覺する日がいつか来るだろうか。