2015年10月29日木曜日

【台湾映画】百日告別(百日草)~ 君が去ったあとの、それぞれの過程。





結婚して台湾にきたときをおもいだした。

9月に式を挙げてから一か月後に義父は入院し、看病の甲斐もなく11月にこの世を去った。
あれから、間もなく10年目を迎えようとしている。
義父はとっても素敵な人だったから、家族をはじめ、周囲のいろんな人がショックを受けてしばらく立ち直れずにいた。夫を熱烈に愛していた義母には、更に時間がかかったのも無理はない。
夜眠れなくなり、眠るのに薬が必要になり、物忘れが一時期ひどくなった。私たち家族が行動する時にはいつも、義母と義父・夫とワタシ・義妹とその夫の三組で行動したから、義父が居なくなったとたんに義母だけが余ってしまった。姑の隣にぽっかりと空いた空間は痛ましかった。
その空間が誰にとっても当たり前のように馴染んできたのは、幾人か増えたあたらしい家族たちが、にぎやかに言葉を発するようになった最近のことだ。


台湾のお葬式は複雑だ。現在の日本ならば、お葬式と共に初七日まで済ませてしまったりするけれど、台湾ではまだまだその「過程」が大事にされる。
ひたすらお経を唱える。折り紙を折っては、毎日それを焼く。
それを繰り返す日々は、看病の疲れも取れていない体に実は非常にこたえる。
でも、それらを繰り返して居るうちにわかったこともある。
メロディの付いた台湾の御経を声に出して読んでいるうちに、かなしみがゆるゆるとほどけてくる。
御経を唱えている一日数時間の間だけは、キリキリとした気持ちから解放される。
そのとき思いついたのは、二千年以上も続いてきた儀式にはやっぱり意味があるんだなあということだ。
節回しのついた御経を声に出して繰り返しているうち、ひとつのトランス状態に入る。あるいは一つの手作業(昔のお金や蓮の花を模した折り紙をひたすら折っては焼く)に集中しながら亡くなったひとの思い出を誰かとポツポツとシェアしているうちに、こころに少しやわらかさが加わる。
それは時として襲ってくるかなしみから心を守る防波堤となり、ささやかなクッションともなり得る。
まあ、それも実際に数か月しか義父と付き合いの無かったワタシの頭で考えたことだ。
実際に義母には、更に多くの年月が必要となったのだから。



さて、この映画はだいじな人を予期せず亡くしてしまった二人の男女が、当日から100日目の「告別」までの間に、少しずつ悲しみを手放していく「過程」を描いた映画だ。
男(石頭/五月天)は妊娠した妻を亡くし、女(カリーナ・ラム)は結婚を間近に控えた婚約者を失った。周囲の慰めも、気づかいもふたりにとっては何の役にも立たない。

ふたりは失くしたのがお互いの加害者/被害者であることを知らないまま、節目ごとに山中の寺で行われる読経会でたびたび顔を合わせる。
そのあいだ、ふたりはそれぞれの方法で自分の悲しみとむきあう。
カリーナは、婚約者と約束していたハネムーンの行程をひとりで達成するべく沖縄に飛んだ。
石頭は、ピアノの教師であった妻が穴を開けたレッスンの授業料を払い戻すべく、生徒の家を探して回る。
そこで描かれるのは、みなそれぞれ、その人だけの悲しみを手放す「儀式」を持っていて、なにが一番その人を癒やすのか、結局は本人にさえわからないということだ。

そういう意味で心を打たれたのは、カリーナが沖縄で長い階段の道を登るときに一人のおばあさんと出会うシーンだ。
階段を登るおばあさんが大変そうなので、最初は何か手助けできることは無いかと考えるカリーナだが、沖縄の方言でゆっくりと話しかけてくるおばあさんの様子を見ているうちに、「ただ耳を傾けること」も、時には人にとって大きな助けとなる事を知る(監督は特に意識していなかったと思うが、「沖縄」という場所と「耳を傾ける」重要性に、日本人としては注目せずに居られない)
意味を体得できなくとも、誰かの想いに耳を傾けながら登る長い階段。
そして、山中の寺からの帰り道、肩を並べて座った石頭とカリーナを載せたバスが、ひたすら延々と坂道を下ってゆくラストシーン。

こうして人は、坂道の上り降りを繰り返しながら悲しみを手放していく。
この映画を撮るきっかけとなった、林書宇監督が奥さんを亡くされた経験が見事に投影されながらも、普遍的な「離別の痛み」に寄り添った作品となっている。

ところで、この作品に関してもうひとつ大きく、考えさせられたことがある。
初めて上映された台北映画祭で、あまりにも評判が悪かった為に、台湾での公開ではカットされてしまったシーンがあるという。
理由は、台湾人の性的なモラルに合わないという理由からだ。
気になって観た人に聞いたところ、かなり重要なシーンだった。
というのも、そこを観たときに「何か足りないなあ」と思ったからだ。
ワタシがもし脚本家なら、ぜったいにそこからそう行くのに、なんでだ?
という物足りさなさ。
元々は存在したシーンだったから、カットされたことで余計に不自然に感じてしまったのかも知れないし、実際に観た台湾の観客にコンセンサスが取れなかったということなら、描き方自体に問題があったのか。
観てないワタシにはわかりようがない。

もしあったら、どんな感じだったんだろう。
考えても考えても、カリーナの悲しみと切なさが、より心に迫ったに違いないと思えてならない。
台湾人の観客に受け入れられないという理由も、わかるようでわからない。
なにしろ作った監督もスタッフも俳優も殆ど台湾人なわけだし、脚本を観てお金や場所を提供したスポンサーや文化局だって台湾人なわけで。

現在、開催中の東京国際映画祭では、ノーカットで上映されているという。

頼むから、
頼むからいまいちど台湾でノーカットバージョンの上映をお願いしたい。


       



















2015年10月16日金曜日

【台湾映画】太陽的孩子~ 台東の田舎で起こっていた、もうひとつの「ひまわり革命」




花蓮・アミ族のとある部落で進められるリゾート開発問題をめぐる実際にあった話を元に映画化した、人々と土地への想いの物語。

冒頭、マスメディアで働いている母親が「ひまわり革命」の取材をしてきたという場面で、この物語の時期がちょうど去年のあの運動が盛り上がっていた時期であることが示される。

ひまわり革命で台湾人の警察官が運動と国家の間で揺れたように、アミ族出身の警察官の青年も公権力と自分のルーツとの狭間でゆれ、またインターネットの情報が既存のメディアを軽々と大きく超えていったことなど、昨年の「ひまわり革命」を彷彿とさせる描写が散りばめられており、「ひまわり革命」で若者たちが何のために戦っていたのかを改めて考えるきっかけを与えてくれる。

加えて「伝えていく」ことの難しさ、現実的な経済問題、そして特に原発事故の問題を抱えている日本人として、先祖代々大切にしてきた土地や文化が奪われることについて深く考えさせられる映画でもある。


アミ族のアーティスト、スミンによる楽曲もほんとうに素晴らしい。機会があればぜひ劇場で観ていただきたい映画だ。



          

2015年10月11日日曜日

【邦画】日本映画「あん」~「戀戀銅鑼燒」



河瀨直美監督と永瀬正敏さんが映画「あん」のプロモーションの為に来台され、メディア取材に紛れ込んだ。

さて。
河瀨監督の現場には「スタート/カット」が無いらしい。
俳優さんがその役になりきって人生を送っている、その一部を切り取って映画にするのがスタイルだという。

だから一年ほどのあいだ日本の四季を追いながら「あん」が撮られていた頃、永瀬さんは「千太郎」として生きていたし樹木希林さんも「徳江」として生きていて、実際そのどら焼き屋さんも存在して街の人が買いにくることもあったというのは、映画を観ていると自然に頷ける。

涙があふれたのは、樹木希林さん演じる徳江さんが、ちょっと素っ頓狂で変な行動を取るおばさんだなあって最初は思うのだけど、見ているうちにそれが移ろう四季への慈しみなんだとわかったときだった。
その部分の演出について質問したとき、監督から返ってきた回答が面白い。

監督のママ友で、学校の先生をしているお友達が「あん」を観た後に泣きながら語ったらしい。
一見変わったオバサンが「食べてください」とアンコを持って来た時に、「危ないから食べずに捨てろ」というのが自分が与えるべき教育なのが現状だけれど、それで棄ててしまえば、この映画のように誰かが救われる物語は存在しなくなってしまう、という話だ。

だけれど今の世のなか、危なっかしいことが多いことも事実だし。
毒盛られるとか。
実際ワタシだって絶対、子供にそういうふうに教えているし。でも同時に、「人の気持ちになって考えろ」とも教えている。
すごい矛盾だよね。
河瀨監督の映画に、もし共感できないとしても目をそむけることが出来ないのはそこにあるんだろう。
「棄てる」ということは実は、今の日本がいちばん直面している問題だ。
その問題とは
膨れ上がる高齢層
貧困層の若者
放射能に汚染された地域の方々
の話である。
かつて「棄てられた」ハンセン氏病は克服された病気にも関わらず、元患者の方たちは今もこれだけの偏見と差別のなかにある。
これからの「棄てられる」ものにわたし達はどういう風に関わっていくのか、それは「あん」に込められたもうひとつの物語でもあると思う。
監督が分厚い靴下にサボという出で立ちだったんで、「あっ!冷え取りの人だ」と思って取材後に聞いたら「四枚重ねです」とのことだった(笑)
奈良出身の監督と関西弁で「冷えとり」について喋ってたら、何だかすごく昔から知ってる人な気がした。
そうだ、18歳のときに「につつまれて」「かたつもり」を奈良かどこかの映画館へ観に行って感銘を受けて、思えばそれが河瀨監督との出会いで。
アレから20餘年。
監督とツーショット撮って貰ったのだけれど、緊張で顔が異様に引きつっていました。