2015年7月9日木曜日

和菓子の冒険





いそがしい合間をぬって母がよく作ってくれた寒天のフルーツ寄せに、フルーツポンチ、ミルク羹、中華風のデザートスープ。
父方の祖母がいつも用意してくれていた淡雪羹。
母の故郷でよくたべた白熊に、かるかん饅頭。

酒の味をおぼえてからというもの、甘いものにすっかり手が伸びなくなった。
それでも、幼いころ覚えたあのやさしい舌触りをおもいだすと、極上のカシミアの首巻きをそっとかけて貰ったような幸せな心持ちになる。
谷田陽香さんが作る和菓子は、そんなやさしい記憶を呼びさましてくれるものだ。


谷田さんに初めて会ったのは、日本人に人気の高い台北の茶芸館「小慢」の茶会においてだった。
その時に谷田さんが三人の男の子の母親ということも聞いた。
ワタシなんて、たった一人の二歳男児を追いかけまして振り回されて・・・という日々を送っていたまっさい中だったから、そんなバタバタ感を微塵もかんじさせぬ優雅な佇まいとのギャップに驚かされた。
そういえば、その後いちど微風デパートの地下のスーパーでバッタリ谷田さんに会った。
谷田さんの表情はいつもと同じ谷田さんだったけれど、ワサワサと動き回る中型のゴールデンレトリバーを三匹連れていた。
というのは目の錯覚で、小学校低学年を頭に三人の男子を連れていた(うち一人はベビーカーに乗ってたが)。
男子独特のあの、抑えてないと前後左右あらぬ方向へ思い思いに走っていってしまいそうな緊張感があって、三人も男子がいるってこういうコトかと思った。
こんな迫力を持った毎日を送っているのですね、このひとは。そんな風に全然みえないけれど。

さて、そんな谷田さんが元々趣味で作っていた和菓子が、折りにふれてお茶会などで出されるようになった。ワタシも初めて頂いたのは小慢で開かれた中国茶のお席で、繊細な茶の薫りを邪魔しないように用心してこしらえられた甘さ控えめの餡に、その場にいた全員の顔が思わずほころんだことを覚えている。

その後も、たびたび口にしてきた谷田さんのお菓子だけれども、小慢がもうひとつ経営しているお稽古サロン(新生南路の紫藤蘆ちかくにあるアパートの三階、もともと「小慢」はこの場所からスタートした)で谷田さんが和菓子作りを教えるようになってから、しばらく経つと思う。
そのうちそのうち、と思いつつ行けずにいたけれど、先日ようやく行くことが出来た。
人気があるから10人の定員は常連さんですぐに埋まってしまうらしい。


その日つくったのは「寒天の黒みつがけ」と「葛焼き」の二種。

吉野から取り寄せられた「本くず粉」に、水と餡(白と黒の二色)を合わせていっしょに火にかけ、練り上げる。
もったりとした葛にだんだん透明感がでてくる。


その後ステンレスの型にいれ蒸籠で40分ほど蒸す(この型は昔わたしの母がよく作ってくれた、ごま豆腐を作るときに使っていたのと同じものだった。そういえば、あのごま豆腐も本葛を使っていた)。
蒸しあがったら、型から取り出し切りわけて、上新粉をまぶして片面ずつホットプレートで色よく焼く。
「わたし本当にこのお菓子がだいすきで、皆さんに食べていただきたくて、ほんとにこれが・・・もうだいすきで」
うっとりした目でそうくりかえしながら作業する谷田さんの「だいすき」が伝わって、みんなの喉がゴクンと鳴る。上新粉がちりちりとして、おもちを焼いた時のこうばしい匂いがひろがる。

一方、冷蔵庫で冷やされていた寒天ゼリーが取りだされ、サラッと茹でて糖蜜に漬けられていた薄切り蓮根が細やかな箸使いでうえに載せられていく。
「わたし蓮根がほんとに好きで・・・ほらこれ、のせたらお花やレースみたいでしょう」




出来上がって各自で陶板の上にセットし、中国茶とともにいただく。
粉寒天がごく薄めに作ってあるこのゼリーはフレンチの「ジュレ」みたいで、口にいれるとすぐにとける。昔ながらのハッキリくっきりした寒天ゼリーとはひと味ちがう。そこにシャキシャキと蓮根の食感がかぶさってくる。
余分なものはなるべく引き算して、和菓子のエッセンスだけを組み合わせた黒みつがけ。

谷田さんがここ台湾で抱いてきた「和菓子は甘すぎると台湾の人に敬遠されがちだけれど、こんなにも中国茶に合う和菓子があるんだ、じぶんでも作れるんだということを知ってほしい」という想いは、台南のリージェントホテルのシェフ達に、求肥をつかった和菓子の作り方を伝授するにまでにいたった。
そんな「こころばえ」がテーブルのうえに結晶化する。

気温35度・湿度80パーセントの台北で、ここにだけ涼風が吹いた。




このお稽古の日は手のうえに絆創膏が貼ってあった。自宅で作業中にやけどをしたらしい。
そういえば、谷田さんからのLINEメッセージとかみると、朝4時ぐらいに書かれたものだったりする。
家族が寝静まっている早朝に早起きして、ときには怪我もしながら茶会や稽古のための試作を日々こしらえ、ゼリーに蓮根をのせては「レースにみたいに綺麗」とつぶやいているんだろうな、この人は。素敵だな。
そしてこの素敵なひとは、ご主人のお仕事の都合でもうすぐここ台北を離れ、上海に行ってしまう。

テーブルの上には、お土産と一緒にそれぞれの生徒さん宛の手紙が置かれていた。
手紙をひらくと、これまでの感謝や和菓子への想いが手書き文字でつづられていた。お土産には特製の白あん(家ですぐにでも白あん入りくずもちが作れるようにと)のほか、手作りのカルカン生地やラズベリー入りの求肥を使ったお菓子が二種。どちらも谷田さんらしさが滲みでた、シンプルさの中に滋味とオドロキのある、姿と味だった。
この人から出てくる何もかもが、まんべんなくこの人らしい。
大抵はなかなか、そんな風にはいかないものなのに。

特に印象的だったのは、蒸籠に蒸しあがった葛焼きの生地を取りだすときの、いかにも大事なものをとりあげる様な谷田さんの眼つき、手つき。
赤ん坊をあやすみたく、可愛くて仕方がないといったような。
子供の食欲がないとき、ときに谷田さんはひんやり柔らかく固めた寒天にシロップをかけて食べさせるのだという。そんなやさしい手に触れながら、三人の息子クンたちも和菓子も、これから更に成長していく。
これから上海に行く彼ら。そこでまた一杯のものを吸収しながら大きくなるのだろうな。
環境が変わって、食欲が出ない日もあるかもしれないよね。
でもいつかは大人になって、お母さんのひんやりした寒天の甘さを思い出したとき。

きっとワタシとおなじように、カシミアの首巻きをかけて貰った気持ちになるんじゃないかしら。




陽香さんありがとう。
これから、あなたの和菓子がたくさんの上海の人を魅了しますように。









2015年7月7日火曜日

now playing "the Village Green Preservation Society"by THE KINKS


God save 納豆 and all the different varieties.
神様、納豆と、あらゆる種類の納豆をお守りください。

日本に帰国中。
台湾に居るとたまにしか食べないけれど、日本に居ると来る日も来る日もたべている。
生卵を割り入れたり、そうめんにのせたり。
引き割り・小粒・大粒と色々あるなかでも、すきなのは大粒。
つやつやした豆がンゴロンゴロと混ざりあい、糸と一体になりながらドタドタっと垂れて白ごはんの上に乗っかる感じがいい。
噛みしめて、豆の香りを強く感じる。
台湾の日系スーパーで売られているものは、一度冷凍して日本から輸入される。大粒だと中身がぱさぱさに乾いていて美味しくないから、影響の少ない「ひきわり」を買う。外国に住んでいるのだから当たり前のことだけれど、日々妥協のなかで暮して居ると、日本に帰ってきたときに実感する。
友人から聞いて、薬味のマスタードの代わりにワサビを投入。
ワサビはマスタードよりも辛さに透明感があって、これから暑さが増す季節にピッタリくる。あとは適当に、母の庭から摘んできた青紫蘇と山椒の木の芽を刻んで。

おいしいなあ。

贅沢だなあ。









2015年7月5日日曜日

台北のY字路⑥(温州街・2)


きょうのY字路。
かつてこの温州街付近を基盤として成長した外省系やくざグループ(台湾の暴力団は外省掛/本省掛という二つの派にわかれる)で、台湾三大やくざのうちのひとつと呼ばれた「三環組」の組長・通称「光頭」が育った家もこのY字路のすぐそばにある。

左にある小さな川は、かつて新生南路が「瑠公圳 」という疎水の支流だった頃の名残。

因みに日本統治時代の疎水の呼び名は「堀川」といい、脇の道路(今の新生南路)は「堀川通り」と呼ばれた。



昔からこの一帯には「陳」という苗字の本省人が住んでいて、戦後にここらへんの和風古民家に住むようになった外省人グループからは「台湾人村」と呼ばれていたようだ。その後に村の中心に辛亥路が通されたことにより「台湾人村」の住人は散りぢりになってしまったが、陳氏の御先祖を祭った小さな廟が、現在はこの地域の氏神「白霊公」の廟としてY字路の向いにそのまま残る。


2015年7月3日金曜日

生まれ変わる和風木造建築



7月1日発売の雑誌「な~るほど・ザ・台湾」で、メインの特集「生まれ変わる和風木造建築」を担当させて貰ってます☆

企画からアポ取り・取材・撮影・インタビュー・執筆とほぼ全てお任せいただけて駆けずりまわってましたが、色んな出会いに刺激や気づきがあり、本当によい経験となりました。何よりも、好きな分野への取り組みが仕事に繋がったことが幸せ。

企画に興味を持って下さり、いつもながらの確かな編集力で素敵な紙面に仕上げてくださった二瓶編集長に感謝、どうもありがとうございました!!!

台湾にお住まい、ご旅行の皆様、ぜひホテルやレストランで貰って読んでみてください〜!

2015年7月1日水曜日

台北のY字路⑤(同安街)



このY字路をくだり線路があった場所(現在の汀州路)を越えると、川端町とよばれた淡水河新店渓にたどり着く。戦前は、週末になればそこで川遊びを楽しむ人でにぎわったらしい。
川端町の渓畔にあった「紀州庵」は、紀州(和歌山県)出身の平松一家が西門にて経営していた料亭「平松家」の支店だった。戦後は民国政府に接収されて、国民党軍人家庭が暮らした。台湾の文豪・王文興もここで育ったひとりで、代表作である「家變」は、ここ同安街付近を舞台に描かれている。
本館・別館・離れと三棟あったうち、本館・別館が火災で焼失し、残った離れは最近修復されて「文学の森~紀州庵」の本館としてオープンしている。

左側の道路が古い「同安街」、右側の現在の「同安街」は戦後しばらくしてから造られた。
ここのY字路でも、やっぱり現在と過去は交錯する。



             日本統治時代の紀州庵と川端であそぶ人々