2015年2月4日水曜日

風味絶佳~台北一のケーキ







「わたしは着色料まみれ」
と全身で叫んでいるような缶詰のミカン。モモ。チェリー。
それでも小さい頃から母方の里・宮崎に行くと外祖父が連れて行ってくれる薬臭いチェリーが載った「白くま」にはとくべつ心が躍ったし、塩酸で皮だけ溶かすらしい缶詰ミカンと手製の白玉が 入った母のフルーツポンチも楽しみだった。熱がでて食欲のないときの冷やした桃の缶詰なんか、偉大な食べ物そのものだった。


そういう思い出があるから、何となくわかる気がする。


考え抜かれ手をかけられた美術品のようなスイーツが世の中には沢山ある。それなのに、台北人はここのケーキを心から愛してる。

     



ここ「紅葉蛋糕(ホンイエ・ダンガオ)」のケーキは本当にそっけない。どてっと塗られた生クリームの白いホールのうえに、缶詰めのチェリーや黄桃がてらてらと光るからだを流れ作業的に横たえている。ひじょうに質素なビジュアル。
でも食べてみるとわかる。
そのそっけないケーキが、ここまで台北人に愛される理由が。

夫も幼いときから、誕生日といえば毎年ここのケーキだったらしい。
台湾は昔から政情が不安定だったので、アメリカやカナダに移住している人はおおい。そんな台湾人が一時帰国すると、もう過ぎちゃったお誕生日を皆でもう一度祝おうとなる。その場合もうそれは必ず、ここのケーキでなければいけない。
それぐらい、ここのケーキは台北人の「いつものアノ味」なのね。


 台湾の首都・台北。地方との格差がものすごいので地方の人は皮肉をこめて台北を「天龍国」(龍がすむような天の国)とよぶ。その 「天龍国」の中でも、この総統府まで続く目抜き通り仁愛路は「天龍国・オブ・天龍国」。
 そこに「紅葉蛋糕」は40年前からある。
 お向かいには十年ほど前に建てられた、台湾富裕を象徴する億ション「帝寶(ディーバオ)」がそびえている。

    


 「紅葉蛋糕」のケーキの美味しさはクリームにある。新鮮なものをたっぷり使ったエアリーなクリーム。甘さも抑えてあって軽いからまったく胃にもたれないし、嫌味がない。タロイモを練りこんだ薄紫色のクリームのケーキを初めて作ったのもここだと思う。微かに芋の日向くささが薫りサッパリしたモンブランみたい。
店の中もケーキと同じくそっけなくて、いっそ清々しい。ただ「風味絶佳」と書かれた額が掛かっている。奥のキッチンで社長さんをはじめ従業員のおじさん、おばさんがキビキビと立ち働く。
「質実剛健」。
それはワタシが時に台湾の人に感じる一面と見事にかぶる。
質素で意志が強く粘り強い。
台湾で初めて生クリームのケーキを売り出してから40年間、贅沢さや無駄を省いてじぶんちのクオリティをひたむきに守ってきた「紅葉蛋糕」は、小さな工場で機械のパーツ作りから出発し今や携帯電話やコンピューターの液晶・ICチップ製造で財を成した台湾のラオバン(社長さん)たちと一緒に、ここまで歩んできたんだなあとヒシヒシおもう。
母の日には大きな冷蔵庫が注文のケーキの箱でいっぱいになる。


去年、職場の会長の84歳だかのお誕生日パーティーに招待されたお客さんの幾人かが手土産にケーキを持ってきたが、見事にすべて「紅葉蛋糕」のケーキだった(二段のもあったなあ、そういえば)。
8年前にわたしが嫁いで来たときには想像できなかったほど、最近はもっと美味しいケーキもパンも、食べられる。いまや選択肢はいろいろあるにも関わらず、それでも皆こういうときに買うのは「紅葉蛋糕」なのだ。
台湾がまだ日本だったころに生まれ日本としての教育を受けた会長
戦後は台湾華僑として日本に渡り、右肩上がりの経済享受して台湾と日本を結ぶいろんな事業を手がけた。事業が落ち着いてからは、八歳から蒐集を始めた美術品を生業として六本木に居をかまえ、故郷にもどっても美術商として仕事をつづけた。そのに触れ行き交った美術品は10万点以上。社員によく慕われた。インスタントのどん兵衛の「みどりのたぬき」が好きだった。
わたしも、達者な日本語でいろいろなことを教えてもらった。
陶器の持ち方。
掛け軸の扱い方。
値段のつけかた。
月を経るごとに、会長がだんだん生まれた頃に近づいていくのがわかった
たくさんの「紅葉蛋糕」のケーキを前にして嬉しそうに笑っていた会長を思い出す。
その二ヵ月後に会長は亡くなった。最後まで、台湾語と日本語でお話された。ふたつの母国語だった。


会長、あんなに沢山の「紅葉蛋糕」が並んだの初めてみましたヨ、ワタシ。
お疲れさまでした。






紅葉蛋糕(本店)
106台北市大安區仁愛路3段26號之5
http://www.hongyeh-cake.com.tw/tier/front/bin/home.phtml





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