2015年1月29日木曜日

(東京番外編)はち巻岡田


酒呑みは酒呑みを愛している。
そして「酒吞みのエレガンス」は作家の吉田健一に教わった。
これはかつて一時期東京に住んでいた、吉田健一好きの酒吞みの話。






  

ある雨が降る晩、銀座松屋の裏にある『岡田』という料理屋で飲んでいた。
料理屋といっても、これもおよそ何でもない、酒が飲みたい人間に酒を飲ませ、料理が食べたいものに料理を出すだけの店である。だから、酒はたるで灘から取って、自分で庖丁を振う主人は、流儀は江戸前料理でありながら、関西にも行って修行してきた。 

これは吉田健一の「酒肴酒」(1974年)におさめられている短編「海坊主」の書きだしである。
の文章に幾度となく登場するこの店に昔から憧れを抱いていたところ「松屋の裏でまだやってる」と聞いて居ても立っても居られなくなり、夫を誘って出かけた。 
年輩知人の教え(老舗の料理屋はとくに予約するべし)にしたがい電話をしても誰もでない。
 どうして電話が通じないのだおかしい閉めたのではないかと、口うるさい夫がブツブツ文句を言う。ともかく夕方ごろ直に銀座松屋の裏まで出かけていくと、店は果たして「銀座松屋の裏に」たしかにあった。 
戸を開けたら奥から出てきたヒョロリと色白で柳腰にエプロン姿の女性に、予約時間を伝える。女性の受け答えは早口だけれどソツなく親切さに溢れていて、気取ったところの微塵もない。
そういえば「名店・老舗」と言われるなかで、お店の人がそれを鼻にかけてツンとしているところは実はそんなにないな、と思い当たった。たとえば鰻の野田岩で。たとえば高台寺和久傳で。どこでも楽しげで気さくな仕事ぶりが印象に残る。 

七時に店内に入ると、私たちを含めてテーブルに二組だけだ。
蛍光灯で照らされた店内はひっそりしている。
 聞き取れるような取れないような、後ろテーブル席のいかにも社長さん然としたおじさんたちから出る「ボボボボ」と真空管アンプを通したように軽快にくぐもったイズ。 
このまま白黒にすれば小津映画でも見ているようで、今にも笠智衆がガラリと戸を開けて入ってきそう。 
昔「銀座で飲む。」とはまさしく「はち巻岡田」にいる感触がそのまま銀座全体に広がっていた感じだったかも知れないなあ、と考えて近頃正体のよくわからなくなっている銀座という街の、ここは「夜のエアポケット」(by・クレイジーケンバンド)だとおもった。

ピカピカすぎず小粋すぎない灰皿・お箸置き・うつわ」、コーディネートがどれをとっても絶妙で、吉兆・湯木貞一氏の監修した「日本料理」の写真集の古臭くて感じのいいフィルム・むかしの「暮らしの手帳」の質感が、白木テーブルのサラっとした手触りの上にそのまま表現されている。でもちょっとした向付けのうつわがなにげなく川喜多半泥子のものだったりする。蛍光灯嫌いの夫も珍しく、我を忘れたかのように黙り込んでいる。この感触は西九条の「白雪温酒場」以来のことで、この二つに共通するのは欲張らずシンプルに歴史を重ねてきた場所だけが持つ「滋味」だった。だがその二つは同軸に置けば両極に位置するLとRかもしれなくて、それは何かといえば銀座と西九条という場所の違いということになるかもしれない。 
お酒は樽で灘から取り寄せた菊正宗のみ。これも吉田健一が通った時代の流儀とおなじである 。
名物の岡田椀・しんじょあげ・生麩田楽がくる。吉田健一風にいえば「なんてことのない、まっとうな料理」で、これに杉の香りがする樽の菊正宗をぬる燗でやっていたら、もうこれ以上は何もいらないという気持ちになった。 

私たち一組だけになったので、お給仕の女性にの歴史をうかがった。つい最近二代目がご夫婦で体調を崩されたので、寡黙だけどはにかむ笑顔のすてきな若旦那(三代目)がその後ひとりで守っているそうだ。
一階のお座敷と二階を見せてもらう。
二階には「はち巻岡田のあんこう鍋を食べなければ冬が始まらない」といった山口瞳による直筆原稿が飾ってある。奥のお座敷は、若旦那がさいきん茶室に改造されたそうでこっそり見せてくださった。女性の気さくさは大したもので「若旦那といったら恋人も居なくて心配なんですよ、どうぞお友達になってあげてくださいね」という言葉のあけすけさに思わず苦笑い。


さて冒頭の「海坊主」は、「はち巻岡田」で飲んでいた吉田健一が見知らぬ男と意気投合して銀座のいろんな店をハシゴする。さいご男の案内で隅田川ほとりの料理屋に腰を落ち着けたところ、酔った大男が隅田川に入っていき中ほどで振り向いたその姿はなんと大亀であった、という杉浦日向子の漫画を思わせる江戸マジカルな短編フィクションである。

我々夫婦も現代の「はち巻岡田」にてお煎茶をいただき店を出た。


アップルにユニクロ、寄せては返す中国語の波。
しらじらしく現実世界の顔をした銀座をあるく。
あまりにも急にそちらに引き戻された反動で、出たばかりの店へ想いが還る。
「そう、いまごろ。」
若旦那はかわうその顔、女性の方はきつねの顔をして元の姿に戻って「やれやれ」とくつろいでいるかもしれない。
そんな妄想にとり憑かれ、前をあるく夫の肩を叩いた。



「ねえねえ、もういちどあの店にもう戻ってみようか?」



振り向いた夫の顔をみてぎょっとした。夫の耳辺りにオレンジ色の線が走っている。
ミシシッピ・ アカミミガメの顔だった。














2015年1月22日木曜日

映画「Big Eyes」(※観る予定の方はネタバレ注意)

            
                         (雑誌女性セブンより)

え~
さくねん世間をさわがせた忘れられないキャラクターといえば「現代のエセ・ベートーヴェン」佐村なんちゃら氏でして、当時かなり下世話な想像もワタシ、しちゃったんでありますな。タダナラヌ仲だったのかな~とか思わずおもってしまったんですな・・・。

しかもお相手のN垣氏って相当なポテンシャルがありそうなキャラ。
と思っていたら年末にファッションモデルデビューしたりレコード大賞にもでて何かやってるし。
そんな「ゴーストライター」って存在に注目が集まっていた去年、フェイスブック上で「キーンをあのティム・バートンが撮るんだって」と聞き・・・

キーン( Keane)って、かつてアメリカで大流行したぺインター夫妻の名前。
異様に大きな目=Big Eyes をもつ浮浪児やサーカスの子供を描いて多くのフォロワーを生んだけれど、メイン・ストリームのアート界からは「キッチュで悪趣味」と批判され無視された流行画家。日本でいえば古くは東郷青児や竹久夢二、最近でいえばラッセンとかヒロ・ヤマガタみたいな感じ。
そしてもうひとつ、夫婦で描いたとされたモノすべてが実は妻ひとりの作品だったと判明した、スキャンダラスな作家でもある。つまり妻が夫のゴーストペインターだったってこと。

     



サンフランシスコやオレンジ・カウンティのフリーマーケット、ロウズボウル、サルベーション・アーミー。
ワタシも「60’sアメリカン」な文化に夢中だったミレニアム前ごろ、名高いコレクターである友人夫妻のお部屋にあこがれて西海岸に通い「キーン」の作品を捜してあるいた時期があるが、なにしろ「キーン」のレプリカじたい希少でプレミアもついていたから、もっぱら「Like Keane」とよばれる「キーン」 の二番煎じみたいなやつを買っていた(それでも結構な値段した)。

当時発売されていた画集もe-bayで買った。夫のウォルター・キーンと妻マーガレット・キーンの作品集が二冊一組になっているもの。
買ったあとに「真相」が書かれた新聞記事をアメリカの友人が送ってくれてビックリし、まじまじと二冊の画集を交互にながめた。一人のひとが描いたということに、おおきな違和感。しっくりいかない。
なにしろ二冊の作品はたしかに「Big Eyes」には違いないが、それぞれの絵の言わんとする世界観が剥離している。そこまで違うのに、同一人物が描いたというほうが無理があるというのが素直な感想だった。
よくわかんないなあ。まあいっか。。。
仕事も忙しくなりだんだんと「キーン」を忘れた。

     


そうこうしているうちに件の画集も実家に置いてきたまま10年以上の歳月がながれて今回の映画「Big Eyes」。
むかし疑問におもっていた事が解明される期待(映画なんだから事実関係を相当調べてのことだろう)と不安(あの時抱いた疑問ってなんだったのだろう)。


これは観に行かねばなるまい。


時代は1950年代のアメリカ・カリフォルニア。自由の国アメリカでも女性の自由にはまだ保守的で、女は家にいて子供をみるのが当然という封建的な社会。
それを象徴するように、冒頭ではドリーミーなアメリカンハウスに青い芝生、それが等間隔にならぶ人工的な住宅地の風景が描かれる。ありったけのキャンバスや絵の具を車(またこれが可愛い水色のクラシック・カー)に詰めこんで、後部座席の娘の手をぎゅっと握りしめコンサバな結婚写真を尻目に、主人公マーガレットが砂漠の山を越えていくところで映画は始まる。

サンフランシスコにやってきた彼女は、ウォルター・キーンと運命的に出会う(というより、黄金のカモとして見出されるといったほうが正しいかもしれない)
このクリストフ・ヴァルツ演じる夫キーンが、最初からとにかく胡散臭いので、おいおい大丈夫かあ~???と観ている方はメタクタ心配になる。もう気分はマーガレットの幼なじみだ(前編を通してマーガレットの才能を信じている友人、この女優さんがすごく可愛い)。

女ひとりの力ではどうにも世間に抗えなかった時代だったのだ。
それをよくわかっていたから、マーガレットは夫の影で描いて描いて描きまくる。それを夫が自分の作品として売り出す。
ウォルターの商才によって頂点まで登りつめた夫妻だが、アート界のメインストリームから拒絶されて怒り狂ったウォルターはだんだん正気を失っていく。ついに夫に愛想を尽かしたマーガレットはハワイへ逃げ、自分自身の絵を描きはじめる。

なるほど、そういうことか。
小さな画室に一日十何時間も軟禁されて絵を描かされノイローゼ状態のマーガレットが描いた、悲しい眼をした「ウォルター版ビッグ・アイズ」。
たいしてハワイに移住し「レリゴ~♪」的に生まれ変わった清潔感のある「マーガレット版ビッグ・アイズ」。
二冊の作品集に対して、あの頃感じていた違和感ってこういうことだったのね。それは違うわけだ、作品から受けとるメッセージが。

マーガレットはついに決意し、ハワイのラジオ番組で事実を白日の元にさらして夫を提訴する。


しかしだ。
マーガレットの絵も夫ウォルターの口八丁・手八丁が無ければきっと世にでることはなかったろう(これは本人も後日そう認めているようだ)。N垣さんの現在の活躍も、佐村なんちゃら氏無くしてはあり得なかった。キーン夫や佐村なんちゃら氏を擁護するわけではないし、これら二例はかなり極端な例ではある。でも夫婦の離婚ふくめ、何かを共に創っていたチーム/パートナーの関係が壊れるときって大抵こういう感じなのだろうとこの映画を観たあと痛切に思う。
事業・財産・子供。
漫画家・藤子不二雄の例を出すまでもなく、どちらがどこまで産んだ育てた大きくした、と明確に線引きするのは難しい。自分にないものを持っているから相手に惹かれたり補い合うわけで、始まりは連理の枝・比翼の鳥にならん、ぐらいの想いで始まった関係が終わるころには周りも巻き込んで満身創痍。

つまりこれは「夫婦の離婚」と「アートの所有権をめぐる元パートナーたち」が二重構造で描かれた作品なのだ。
お腹を痛めて子供を産むのが母親であるように「Big Eyesをもつ子どもたち」を産んだのも勿論マーガレットなのだが、それを育てて世に出したのは夫のウォルターだ。
本人たちは大真面目だが、他人の冷めた目からみると(どっちもどっちだな)と思わせるのが実はこの手の話だが、この映画の封建的空気のアメリカという背景がマーガレットにより共感できる仕組みになっている。ティム・バートンはそのあたりの匙加減をよく心得ていてクライマックスは胸のすく勧善懲悪的展開。クリストフ・ヴァルツが上手すぎて滑稽さが極まる裁判のシーンは圧巻。





そんな映画「Big Eyes」、台湾ではすでに公開中。
日本公開はあした、2015年1月23日から。


         







2015年1月19日月曜日

なんでも無い日の最高の昼食



絶品でゴージャスな美食もありがたい。でも、

かまえない
つかれない
ほっとする
かならずおいしい

素性のわかるお料理。
そういう外食に出会うのは案外むつかしい。
しかも育ってきた食環境ではないアウェイで探すとなると、いっそうハードルは高い。

「北平」って「北京」のこと。華北庶民料理の店「北平半畝園」は、そんな何てことないのだけれど間違いのない一食を約束してくれる貴重な店。開店してから40年ちかく、いまや上海やアメリカにも支店を出している。

いつも頼むのは以下の二品
「特製酢麺」
(コシのある麺を胡瓜・もやし・酢・調味料で和えたもの。気分で細い麺にしたり刀削麺にしたり)
「木須湯」
(山東料理を代表する木須肉=塩漬けした豚肉+キクラゲ+卵+シイタケの炒め物をスープにしたもの)

ひとりの場合、これ以上食べるのは量的にむつかしい。だから2~3人で行ったときには「牛肉餡餅」と「緑豆粥」もさらに注文できる楽しみがある。
「牛肉餡餅」は牛肉入りの「おやき」。箸で切りわけたときに溢れだす肉汁をみたときは時を選ばず体温がすこしあがる。
「緑豆粥」は名のとおり緑豆のお粥。ざらめをサラサラ入れて食すのが本場流。
ここの緑豆粥は「台湾B級グルメの父」と呼ばれる舒國治氏(通称:スーさん)の著書「台北小吃札記」のなかでも「台北一」と讃えられている。

        台北小吃札記



水で練った小麦粉を、延ばしたり包んだり焼いたり蒸したり。
山東・山西地方の小麦粉文化をこころゆくまで味わえるこの店には、長い白ヒゲをたくわえた「台北最後の文人」みたいな鉄斎的風貌の老人が故郷の味を懐かしむのか今日もやってくる。

メソポタミア地方で紀元前八千年ほどまえから栽培されるようになった小麦が、シルクロードを渡ってウイグル・モンゴルを経て唐の都までつたわった。
当時「饂飩」とは小麦粉を利用した食べ物すべてを指したらしい。
そのうち丸く伸ばした小麦粉に肉やら野菜やらを挟むようになったのが餃子で、

イタリアでラビオリに
ロシアでぺリメニに
トルコでマントゥに
モンゴルではバンシになった。

小麦粉数千年の来し方を、むぎゅむぎゅと噛みしめる。
そういえば京都にいたころ新京極のきしめん処「更科」によく行った。そんな感じで、いま台北では「北平半畝園」にいく。



「北平半畝園」(本店)
  • 電話:02-2700-5326
  • 地址: 台北市大安區東豐街33號








2015年1月15日木曜日

女の贅沢







有吉佐和子に「青い壺」という小説があって登場人物のひとりで厚子という主婦が夫に「ホロホロ鳥をたべにいこう」と誘われ芝増上寺前のフランス料理屋にいく(この店のモデルはたぶんフレンチの老舗『クレッセント』だとおもわれる)。
姑をはじめ家族にひたすら尽くしてきて子供もようやく巣立った。
夫は医者だが生活は慎ましく、結婚後はじめての魅力的な申し出に、厚子はウキウキしながらホロホロ鳥を図鑑で調べたり「ホロホロ鳥を食べにいくんですって」と郷里の母親に電話をかけ、ついでに「お母さんがちゃんと教えてくれないから婚家で恥の掻きどおしだった」など恨みもこぼしつつ過ごす。当日はわざわざ美容院に髪を整えにいく。
髪を洗ってもらいながら「これからとびっきりのお洒落をして夫とホロホロ鳥というものを食べに行くのだ」と考えて厚子は女王のような贅沢な気分にひたる。勧められるままに美顔術なんかもやってしまう。





わたしも週に1,2度は「洗頭」(シートウ)に行くのが習慣になって、3年ぐらい経つ。
昔とちがって日本だと美容院に髪結いに通うのはクラブのママとか水商売の女性がおおいと思うが、台湾のある程度の年齢以上の女性は未だにじぶんで髪の毛を洗わず美容院で洗う。
いわば生活の必需品なので値段も安くて200元(7~800円)ぐらい(それでも八年前からすると80元ぐらい値上がりしているのだから、物価高も相当なものだ)。


          



わたしの場合、友人との約束の前とか仕事でお客さんに会う前・ディナーの前なぞに行く。
いわゆる「台湾式シャンプー」で座席に腰かけたまま、洗ってくれる。
まずは肩から首にかけてしっかりマッサージ。
それから髪の毛を泡立てつつ子育てのイライラ・パソコン仕事・呑み過ぎなどでコリにコった頭の皮が、これでもかと揉みほぐされる。
眉毛からこめかみのあたりがジンジンしてきて血が毛細血管にゆきわたる。
洗ってくれる子が「あたり」だった場合にはなおさら嬉しい(洗う技術にも個人差がある。指名もできるが目当ての子がちょうど空いているとは限らない)。
そうしているうちに嫌なおもいをしたことや「陰」で後ろ向きな考えも姿をどこかに潜め、「陽」の気持ちでその日の予定に思いをめぐらせる。
洗いながしてブロー。わたしの多くて厄介なクセ毛もふんわり艶がでて光る。







ああ、贅沢だなあ。
台湾にすんでいてよかった。







そんなとき決まって「青い壺」の厚子の心情がうかぶ。
髪を洗ってもらいながら、厚子はおもう。
髪を他人に洗ってもらうほど、女にとって贅沢に浸れることはない。






うん、たしかに。
それは台湾生活の中で、わたしにとって日々のささやかな贅沢のひとつ。
ああ嫌だなあ
日本に帰りたいなあ
って思うことも少なくないなか貴重な、お楽しみだ。






さて小説「青い壺」。
ここには流転する青磁の壺とそれをめぐる人間、それぞれの人生模様がある。
ことに女に対する有吉佐和子の眼は冷たくきびしい。
(わたし自身も身に覚えのあることだが)女同士の嫉妬とか、いま流行りの格付け=マウンティングとか女の世界はラクじゃない。
そんな「笑顔で殴りあう」女の世界が40年前すでに有吉佐和子によってイキイキと残酷に描かれているものだから、苦笑しながら読んでしまう。たぶん有吉佐和子もおんなじ思いをしたんだろうなあ、と思わせるリアリティがある。
でもそこに有吉佐和子はギョッとする事実を突きつける。
どんなに高価な食事・高級なブランド物・専門家が太鼓判を捺した美術品などなど、世間が褒めそやす「セレブ」であろうとも、そこに普遍的で絶対的なうつくしさ・価値なんて存在しないこと。

それを手に入れたいがために日々あくせくしている我々の目の前に真理を突きつけてくる有吉佐和子は残酷で恐ろしい。
恐ろしいが、この小説はこうも語る。

その人生を紡いでいる本人の物語のなかにだけ、美しさや価値はちゃんと存在すること。

わかっちゃいる。
不惑もちかづき色々わかっちゃいるけれど、ゆきつもどりつする。
そんな人の背中を「ごちゃごちゃいわずいっといで!」と叩いて押しだしてくれる、頼りになる姉御みたいな安心感。そんなものも「青い壺」には確かにある。
いいなあ、有吉佐和子。ねえさんって呼んでもいいですか?






まあとりあえず、明日もひとときの「贅沢」をかんじに頭を洗いにゆこう。
その後のことは、それから考えよう。
ねえ、ねえさん。





店名:曼都信義店
台北市信義路四段56號
tel: (02)2707-1040
http://www.mentorhair.idv.tw/shop-in.php?A_Id=1&A_Id2=3

2015年1月12日月曜日

上野雄次さんの花4

(2014年5月)








美しい花がある。花の美しさというものは無い。






今月の上野教室、わたしの花。



百合
ワトソニア
スカビオサ
山帰来

マムシグサ





師曰く、先ず野に在りしすがたを倣うべし。
上野さんがよく使われる「花の素性」って言葉が好きだ。ほとんどの植物は陽のひかりをもとめて成長する(陰に育つものもあるが)。そうして自然環境のもとにあった姿を想像すれば植物の「正面」はおのずとみえてくる。千利休のことば「野にあるように生ける」をおもいだす。言葉として知ってはいたけれど、今になってナルホドとおもう。


もうひとつ今回グッときたのは、「咲いている花」こそ植物のエネルギーの満ちる・満ちた結果だってこと。
成長して花を咲かせエネルギーがきわまった植物は、あるものは受粉してつぎの世代にDNAをのこす。


ロバート・メイプルソープの作品を挙げるまでもなく花はエロスの象徴となりえるが、世間一般的にいえば自分の生命のみなもとをつきつけられた人は恥ずかしくて下をむいてしまう。でも花を観た人が皆そうはならない。
そうか、そういうことか。
それが花の「徳」というもので、だから人は花とかかわらずに居られないということか。

お手洗いに立って、ドキッとした。
「小慢」オーナー・謝小曼さんの美意識がいきわたったうつくしい浴室で極楽鳥花が、死体のように沈んでいた。




絶世の美女がよこたわっている。
野から離れ衰えた血管をいっぱいにひろげて、足もとから身体のすみずみまで水をおくる。
冒頭にあげたのは、小林秀雄のことば。

「うつくしいはながある」


みるひとの「眼」によって、触るひとの「手」によって、うつくしくも醜くもなる「花」。

なんにせよ太陽にたいして植物がいちばんうつくしい姿をみせる、というのはおもしろい。
わたしの太陽ってなんだろうかと、考えてみるのもおもしろい。


2015年1月11日日曜日

上野雄次さんの花3


(2014年3月)


上野雄次老師的挿花教室。
像雪白的花叫 「小手毬(麻葉繡球)」
老師説在日本也有一樣種的花但樣子不太一樣
他說比較喜歡台灣的小手毬不得了。
花就是花
不過每支花都各有各的特色
認識每個特色就會讓只有小小的花變成一個能表現得生命力充滿的
這個讓我很感動。




今月の上野雄次はないけ教室。


          


日本の小手毬とまったくちがう表情をもつ台湾の小手毬がだいすきと、上野さんはいう。
たしかに優等生的で造花のように端正な日本の小手毬に比して台湾のはワイルドなのに可憐でちょっぴりあぶなっかしく不良っぽい(女優で言えば真木よう子のような)魅力がある。

驚嘆すべきは亜熱帯天来の慈雨をからだいっぱいに浴びた、おおきなクワズイモの葉。蔓。
その躍動するみずみずしさが想いおこさすものは、まずは話題の台湾映画「KANO」で自在に泥を蹴りあげて子犬のように飛び跳ねる男の子たち、つぎに「セデック・バレ」で標高2000メートルを駆けぬけるしなやかな原住民男子の太もも。
もしくは「アラビアンナイト」の濃密な夜の営みのまえに池の傍で饗されるバナナの葉で包まれたごはん。その葉をひろげたときの松明に照らされた米粒のてらてらとした輝き、あたりにひろがるバターの薫りが夕闇と交わっていく黄昏、、、
台湾ならばそのあたりの庭に公園に山に、ふつうに生えている南国の植物たち。
それが上野さんの手にかかった途端にひどく生命力あふれる物語に変化する不思議さ。



上野教室に漲っているのはいつも、居合のように緊張した片足立ちの花だ。
わたしもそれに習い
こぼれるような春の息吹を少しでもその場に留めたいと願いながらいける。



小手毬

チューリップ









生徒さんの中にひとり、妊婦さんがいた。
お腹に充満するエネルギーが発光して輝きが顔から漏れていた。
しばらく見惚れてしまったよ。


















2015年1月10日土曜日

上野雄次さんの花2


(2013年11月)






上野さんの木はあやうい。
倒れてしまう
というギリギリのところでグッと立ちあがった木と器との境目から植物のエネルギーのながれに導かれて視線はすんなりと動きさいご目が立ち止まったところで、掌を広げるように花がさいている。
目の前の空間のなかに「生命力」そのものと化した植物がいて、目をそらせなくなる。


先月にひきつづき、小慢サロンで上野雄次さんのはないけ教室。
前回とおなじく予めいけてある作品を分解し、ふたたび組み立てながら話をきく。
上野さん曰く、作品で生命力をかんじさせるにはいくつかの方法がある。

たとえば緊張感をもたせる。
力なく横たわるのは、ひとにとっていちばん重力に逆らわない安定した状態。元気だから重力にさからえる。もっといえば、片足で立ったりひどく不安定な状態で立ったり。エネルギーがみなぎっているからこそ重力に抵抗できる。
たとえばリズムをもたせる。
ひとにとって最も身近なリズム、心臓の鼓動をかんじさせる。
植物のいのちを個人的な表現につかうというエゴイスティックなおこない、それが花をいける行為である。それに報いるために、その植物が最大限の生命力を感じさせるようにいけてあげたい。
上野さんの目指す「はないけ」(いけばな、ではなく)とはそういうところにある、とのお話にいたくジーンときてしまう。


で、こんかいのわたしの花。
明式風の小卓に青磁の花器、芭蕉などあわせてこれまでわりと避けてきた中華テイストに挑戦。
西施のように美しくたおやかな妖女のイメージ。
ほんとうは扇のような枯材を垂直に立てて孔雀の羽に見立てたようにしたかったのが、きちんと立たなかったので無難な方向にいろいろ組み合わせて。。。









その後、ファースト・アイデアを聞いてくださった上野さんが、ならぜひそれを実現させましょう。といけなおしてくれたのがこちら。



みごとな孔雀に化けた。
一手ごとにかたちが決まっていく上野さんの「はないけ」は鮎川誠いうところの「ロックなアティチュード」そのもの。
ステージに立った瞬間にジャーンと鳴る。シビレル。






上野教室から何日か後。
用事があり台北の東北海沿いにある基隆・金山にいったときこんな風景にであった。



台湾の山の風景を、ずっとすきになれないでいた。
日本にくらべて季節感や色合いのなんて乏しくつまらないんだろうと思っていた。
でも、気付くとずいぶんおもしろいね。
おそらく先日の台風で倒れたのだろう樹の根元から、切り株から、生命がみなぎり吹き出している。もうすぐ冬がくるというのに。



素晴らしい人や文学/音楽/映画/美術作品に出会ったあと、こうしてすこしずつ、でも確実に人生は変わる。
いつも暗く波のたかい岸辺には、ちいさな惑星やレースが打ち上げられている。


                





























                                  

2015年1月9日金曜日

上野雄次さんの花1


(2013年10月) 

20代前半に早坂暁の「華日記~昭和生け花戦国史」で中川幸夫という巨人に出会っていらい、花に対しずっと恋に似たあこがれを持ちつづけてはきたけれど、だから花を習ってみようと思ったことはなかった。

中川幸夫とその妻・半田唄子が共に、食うや食わずの四畳半で一晩じゅうたったひとつの白菜をいけることに挑む。そんな凄まじいエピソードに怯んでしまい雑な性分のわたしなんかは踏み込めない神聖な世界とおもっていた。興味はあるから川瀬敏郎さんとか栗崎昇さんの本とか買うのだけれど手元においてたのしむのみ、というかんじ。

だから一時期お手伝いしていた茶芸サロン「小慢」で、上野雄次さんという方のお稽古があるときいて、なんで行ってみようという気になったのかよく覚えていない。
ただ台湾ではうつくしい「花」に出会うチャンスがほぼ皆無だったから、そういうものに飢えていたのかもしれない。

上野教室では、特別な決まり事はほとんどない。
三点ほど生け込まれた大きな作品が一度ばらされ、先生がもういちど組み立てながらポイントや考えかたを説明してくれるのが前半。


後半はそのポイントを念頭に、用意された花材と器のなかからすきなものを選び、すきな場所でいける。
型はいっさいない。
花材には、花の問屋で仕入れたもののほか、上野さんが山にはいって取ってきた花材もいろいろある。
クワズイモ・芭蕉の葉、桜の木の枯れて落ちたものとか。




それで、これがわたしの、上野教室での記念すべき一作目。
                
牛頭のほねみたいな流木が気にいって、そこから活きた花が臓器のように顔をのぞかせるイメージ。
大安森林公園で秋になると不気味に黒光りしてブラブラとぶらさがっている70センチぐらいある豆も、何とか使いたいとおもった。
カタチがきまらず組み立ててはバラすを繰りかえして、二時間ちかくゴニョゴニョやっていた。




それから、先生の講評がまわってきた。
作品を構成する花材・場所・うつわの、「選んだ順番」をたずねられる。わりと無意識に「なんとなく」きめた素材がおおいことにハッとする。
おなじ花材をつかって、先生がつぎつぎと生けなおしてくれる。


なんだか魔法をみてるみたい。



おなじ花材をつかっているのに、ずっとグロテスクで魅力的にみえて息を呑む。
花はひとさしごとに違う表情をみせてくれる!
「花をいけることは花の呼吸をつかむこと」って誰が言ってたんだっけ。




そこで頭に浮かんだのは、たとえば半田唄子がさいごの着物を質にいれて得た金で買った600本のカーネーションから中川の代表作「花坊主」が生まれたエピソード。
なんで花をいけるのか
なんのために生きるのか
そんな答えようのない質問をじぶんに投げかけながら「まっしぐら」に生きた人だけがもつ、気迫のようなものを垣間みた気がした。

だから思わず上野さんに中川幸夫が好きだという話をしたところ、上野さんが中川幸夫を追悼するため今年の春の一周忌にお仲間と丸亀までわざわざ花をいけに出掛けられたことをうかがい、バシッと膝を打ちたくなるほど得心した。
昨年中川幸夫が亡くなったニュースを聞いてもう新しい作品は見れないことが悲しくて泣いたこと、そのときのいいようもなく寂しい気持ちに火を点してくれる上野教室との出会いだった。

中川幸夫は死んでしまった。

けれどその想いは若い花人達の手に宿り生き続けているらしい。
教室を後にして、答え合わせをして見事正解のまるをもらった子供のような足どりで家に帰った。