2017年8月17日木曜日

【山口県の旅】萩の猫寺・雲林寺




山口縣萩市的山裡有一家貓寺「雲林寺」,就是貓奴天堂,交通非~常不方便 ,但為貓奴一定會有值得去。特別驚訝的是他們的手冊漫畫有英文版,還有中文繁體版啊!好像不少的台灣跟香港貓奴朋友已訪問過了,欸,你們的熱情真的太厲害了吧!
山口県で話題沸騰の猫寺、「雲林寺」さんに伺いました。
岡山のご出身である角田和尚さんが、色んなものに導かれるようにたどり着いたここ萩郊外の山村では、予想をうわまわる「猫愛」な世界がくりひろげられています。
昭和の曹洞宗の偉人で無為自然を説いた澤木興道師の本を読んで、仏道を志したものの、このままでは人生修行が足りないのではと思い直し、印刷会社でサラリーマンをして名古屋・東京と都市生活を過ごした角田和尚。
あらためて臨済宗へと弟子入りし、小僧としていろんな地に訪れているうち、山口に縁を得て現在の雲林寺へと赴任しました。途中、岡山で招き猫収集家だった伯母様の遺品を引き継いだあとから、いろんな方の猫グッズが奉納品として続々と集まるようになり、今に至ります。

檀家も多くが地を離れている萩の山奥で、赴任当時は雨のたびにバケツをもって寺中を走り回っていたそうですが、10年後に結婚、現在は奥様とお二人の子供さん、4匹のニャンコ(本物)、600体近くの猫像とともに、各国からお客さんを迎える毎日を送っています。本尊前には、なでるとご利益がある「びんずるさま」に倣った「びんずる猫」さま、お寺の中でみられる多くの猫像は、国際的大会でも多く入賞経験のある地元のチェーンソー・アーティスト、林隆雄さんのお手になるもの。
庭では、肉球が魅力的な猫手塔が屋根にたつ庭のほこらまわりを、ネコハギ・ネコノチチ・ネコノメグサ・マタタビなど、「猫草」たちが自然な姿でノビノビと身を伸ばしています。
また、和尚みずから企画・デザインしたグッズたちが本当にかわいい。本来なら欲から離れるための「禅寺」なのにも関わらず、物欲にまみれてしまうこと間違いなしです。


もうひとつ感動したことがありました。
萩の猫伝説を解説する漫画のオリジナル冊子が、中国語の繁体字版もあるのです(あとは英語版)。ここ一か月、山口県を取材でまわっているなかで、特に「看板やメニューに簡体字だけではなく、繁体字中文を足してほしい」という要望を伝え続けてきた身としては、格別にうれしく思いました。
雲林寺の山号は「栖月山」。わたしの「栖来」の字とおなじです!ご縁を感じるなあ。
なんだか懐かしい親戚を訪ねたような気分でした。

【戦後72年】引き揚げ・移民についてかんがえる『勿忘却事~忘却スルコト勿レ』ノート

(1)元・毎日新聞論説委員の下川正晴さんの新著『忘却の引揚げ史』をよむ。
文化人類学者・泉靖一が、旧満州からの引き揚げ途中に性的暴行を受け妊娠した日本女性に、「二日市保養所」にて当時は違法であった堕胎をほどこし戦後のあたらしい人生を与えた知られざる過去について、当時の証言や状況を掘り起こした本。
同じ女性として時に読み進めるのがつらい描写も多いですが、女性という立場を軸に戦争や歴史観について大いに考えさせられます。
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4863291558/hnzk-22


(2)山口県長門市出身の画家、香月泰男の美術館へ取材に行く。
戦後のシベリア抑留を描いた代表作「シベリア・シリーズ」。中でも好きなのは「青の太陽」という作品です。抑留中のほふく訓練があまりにも苛酷で、蟻が巣の穴に入っていくのを見て、「ああ、自分も蟻になって穴の中で平和に暮らしたい」と願った香月が穴の中から空を見上げた、そこには昼間にも関わらず星が輝いていた(闇のように暗い穴から空を見上げると、昼間でも星が見えるらしい)・・・昼間の空に星が見えるほどの穴の暗さ、という壮絶な孤独とかすかな希望をかんじさせてくれる作品。
戦争とは、シベリアで経験したこととは何だったのか。
好むと好まざるにかかわらず、それを考え続けることが画家の一生に付きまといました。奇しくも、香月の郷土・長門にて、昨年ロシアのプーチン大統領が招かれ首脳会談が行われた際には、多くの日・ロのメディアが香月美術館へ訪れたものの、実際には記事にはならなかったそうですが、郷土を「わたしの地球」と呼んだ香月は、墓の中でどう感じていたのだろう。
ところで、香月には二人の息子さんがいて二人とも創作関係の仕事(建築)をしている。婦人は100歳でご健在。戦争に翻弄され、作品スタイルも時代ごとに大きく変わった。立石鉄臣を思い出さずにはいられなかった。

(3)山口県下関市、赤間神宮にある「大連神社」と旧満州から引き揚げた人々。

竜宮城のような下関の赤間神宮の一角に、旧満州から引き揚げてきた「大連神社」があることは、あまり知られていません。実際に終戦後、当時の大連神社の水野久直宮司の手によってご神体及び宝物が持ち帰られたもので、こういった例は大変珍しいそうです。
読売新聞の現・台北支局長、牧野田亨さんによる読売新聞誌上での10年ほど前の満州引揚者についての連載も拝読。丁寧な取材から書き起こした立派なお仕事。同じく「満州引き揚げ」といっても、本当に様々な立場や苦境があったことがわかり、その端々に(1)の下川さんの「二日市保養所」のような存在のリアリティもしのばせながら、多面的に旧満州からの引き揚げを描く、その相対的な筆致に共感しました。わたしが小学生のときに大ヒットしたドラマ『不良少女とよばれて』の原作・原笙子さん(しかもこの筆名・ロシアの「ハラショー!=素晴らしい」って言葉からつけられたと)も、当時の大連神社の舞人で、戦後に立場が逆転したことから中国人のいじめを受け、はじめて虐げられる立場を実感したという記述が印象的でした。


(4)明治期に日本最大のハワイ移民を送り出した山口県・周防大島の日本ハワイ移民資料館にいく。
「瀬戸内海のハワイ」で売り出し、カウワイ島と姉妹島として交流がある周防大島。のどかで風光明媚なこの島は、戦前は災害や人口過多で貧困に苦しみ「芋喰島」という蔑称でよばれ、日本でもっともはやくハワイに移民を送り出しました。
当地では番号で呼ばれ、サトウキビのプランテーションで働いたハワイ移民の苦難の歴史や、現地の日本人同胞による日本語・日本文化教育の資料も充実しています。また、山口県から多く渡ったペルー移民についての部屋もありましたが、第一期にペルー移民として渡った男性が身に着けていた「羽織袴」を見た瞬間に、そういう正装をして日本からいえば地球の裏側の遠い地にたどり着いた人の心境を思って、ぶわっと涙が出ました。ペルーでの移民環境は非常に劣悪で、多くの人が亡くなったそうです。
今回の山口取材では、「移民」や「引き揚げ」に関してたくさんのことを学びました。わたしたちは今、おおくの海外の人を働き手として、または住民として日本に迎えていますが、かつては日本人が逆の立場にあったことは、今ほとんど意識されることはありません。
戦前・戦後の事に関しての記憶がいまの日本人に引き継がれていない事柄は数おおくて、こういう、足元がゆるいところから未来について語ることは、とても「あやうい」感じがするのです。

2017年8月5日土曜日

【お仕事報告】nippon.comにて、ブルータスの表紙騒動について書きました

先日フェイスブック上で書いた『BRUTUS』表紙についての考察がニッポン・ドット・コムで記事になりました。先に中文繁体字版からの公開です。野嶋剛さん、高橋郁文さんに大変お世話になりました、いつも有難うございます!!!
寫了一篇關於《BRUTUS》的封面!請多指教!



《BRUTUS》的封面,臺灣人為何不爽

http://www.nippon.com/hk/column/g00425/

2017年7月12日水曜日

香港映画「十年」~香港返還20年におもう「10年」。


【お仕事報告】
台湾の日本語オンラインマガジン『Taisuki.cafe』 にて、香港映画「十年」について執筆しました。台湾では去年公開され話題となったこの作品、返還20年目を迎えたこの夏、日本でも7月22日より公開されるそうです。


香港映画「十年」~香港返還20年におもう「10年」。

https://taisuki.cafe.network/sono/2219

2017年7月9日日曜日

麗しき故郷、台湾——湾生画家・立石鉄臣を巡って



多言語サイト『nippon.com』にて、湾生の画家・立石鉄臣についての記事を執筆しました。文中に取り上げたドキュメンタリー映画『灣生畫家ー立石鐵臣』は、現在開催中の台北電影節にもノミネートされています。上映は7/13に華山光點にて。

麗しき故郷、台湾——湾生画家・立石鉄臣を巡って
http://www.nippon.com/ja/column/g00421/

2017年7月8日土曜日

【磯永吉】コメとタネをめぐる、台湾と山口のはなし。






水にはさまれて青草

梅雨雲の霽(は)れまいとする山なみふるさと  

(山頭火)

県庁農業振興課様のお計らいで、磯永吉・著『蓬莱米談話』(山口農業試験場/雨読会発行/昭和・39)を農業試験場よりお借りすることができました。
著者の磯永吉博士(1886~1972)は、日本統治時代に農業技師・末永仁と共に「蓬莱米」(台中65号)というお米を開発し「台湾蓬莱米の父」と呼ばれる農学者。 http://www.taipeinavi.com/special/5041312
ぱさぱさと細長いインディカ米だった台湾のお米と、台湾に比較的近い九州などで生産されていたモチモチで丸いジャポニカ米の一品種「中村種」を1000種以上かけあわせ、亜熱帯・熱帯である台湾の気候風土にあわせ改良された二期作のお米「蓬莱米」は、台東の「池上米」など多くのブランドを産み、いまも日々台湾の食卓へと上っています。
今回お借りした『蓬莱米談話』のなかの最後に収録されている「蓬莱米裏話」では、台湾の各地の農家と深く協力し合いながら研究をつづけた様子や、当時高品質の蓬莱米を作っていた新竹の農家で作られた米が一時は日本・東京のお寿司屋さんなどに寿司米として輸出された際、それが台湾産のお米と気づいた客はひとりもいなかったことなどが記されていて興味深い。
磯博士は戦後も、陳儀はじめ中華民国政府の強い要望をうけて台湾に留用・研究をつづけ、1957年に帰国。その帰国先に山口をえらびました(その後は横浜へ移住)。中華民国政府はその功績に感謝するため、毎年20俵もの蓬莱米を磯博士が亡くなるまで送り続けたといいます。
さて、帰国先に山口を選んだ磯博士は、防府市に暮らしながら山口農業試験場の顧問を四年間つとめましたが、そこで山口と台湾との何とも不思議な縁がつながります。台湾大学の磯永吉学会のレポートによると、蓬莱米の元となった品種「中村」は江戸からあった品種「都」系に属しており、その都系で当時あった品種は山口小鯖で伊藤音一という人のつくった「穀良都(こくりょうみやこ)」という品種である、つまり山口は「蓬莱米」の故郷にあたるというのでした。
果たして磯博士はそのことを知って帰国先に山口を選んだのかどうか不明ですが、かつて磯博士が眺めていたこの山口の田んぼで育っている稲たちが台湾の「蓬莱米」の兄弟のような存在だというのは、なんとも不思議な気がします。
この磯永吉博士による『蓬莱米談話』の半分以上は品種改良の複雑な過程や成果などバイオ的な専門分野の論文で占められており、門外漢のわたしにはほぼチンプンカンプンなのですが、そこで急に心配になったのが、ついこの前、日本の国会衆議院で可決された「種子法廃止法案」。
タネや品種改良の話って一般人には難しいし、毎日たべているお米がどういう風に作られてきたかなんて、実はこうして蓬莱米について調べるまで考えたこともありませんでした。
「種子法廃止法案」とは、平たくいえば「日本の基本食料である米・大豆・麦の種を国が守ることを放棄するもの」、つまり米などをはじめとした作物のタネの研究・供給についてもう国はサポートしませんということ。
それによってまず心配されるのが、現場である農家が培ってきたノウハウや体制が混乱することだそうですが、さらに心配なのは将来的に「簡単で育てやすい外国のタネに、現在ある国産種が駆逐されてしまう」こと。
先人の努力の積み重ねでできた美味しい日本のお米の来し方に思いをはせつつ、梅雨にそぼぬれて瑞々しい青田をながめる。
もっともっと「タネとコメのはなし」を知りたいと思いました。


2017年6月29日木曜日

【掲載情報】読売新聞国際版にてご紹介いただきました


另外個日本報紙《讀賣新聞國際版》的報導就6/20出來了。照片是在建成公園後面的y字路口拍了,昨天的《西日本新聞》同安街也是,光都不是觀光的地方,都沒有人注意過的角落,現在在日本大報社的紙上,算是很有意思的現象,就讓我認為台灣的y字路口的力量很大。有一個句子我好友水瓶子寫給我書的推薦文裡說
「這麼多樣性的路口,給了我們一個『新舊並存』的啓示!」是其實說得很好,它教給我們,不只歷史建築,怎麼大街小巷路口都有歷史。而且,能夠知道脚下的小小歷史連繫就可以養對這塊土地的愛情,這是我在書裡面要證明的事情。

西日本新聞様と同じ時期に取材頂いた読売新聞様の記事が、6/20の国際版に掲載されました。ご取材くださった読売新聞台北支局長の牧野田亨さん、素敵な記事をありがとうございます!
ちなみに牧野田さんは福岡・門司のご出身と言うことが取材中に判明。門司には祖父母が居た関係でわたしも幼いころ住んだことがあり、その後も長い学校休みの度に過ごした場所でもあったので、漫画の立ち読みに通った商店街の本屋の話などローカルな話題で盛り上がりました。
縁は異なもの味なものとは、よくいったものです。